Dance with you

カウンターという止まり木で羽を休めながら、俺は飲みさしのロックグラスを眺めていた。といってもここはいつもの新宿のうらぶれたバーではない。六本木の外国人向け高級クラブ――美人なお姉さんがお相手してくれる方の『クラブ』ではなく飲んで踊れる方、つまりイントネーションはフラット、やや語尾上がりの『クラブ』。
そういう店はガキどものたまり場、というのが日本の一般通念だが、海の向こうにはやたらとドレスコードの厳しい大人向けの店も数多い。ここだってネクタイ着用、とまではいかないがTシャツとジーンズで入れるほど甘くはない、そのTシャツにいくら高級ブランドのロゴが入っていたとしても。ジャケットか、少なくとも襟付きのシャツでなければ門前の黒服にすごまれてお引き取り願われなければならない。
そんなわけで今日は一丁羅の黒スーツだったりする。客層も母国でそういう店に慣れた外国人か、外国慣れした日本人ばかりだ。
この店に来たのはもちろん仕事絡みだったが、その仕事は片がついたばかりだ。それでも今ここにいるのは――ここのジン・アンド・ビターズをきっちり飲み納めするため、というのは格好つけすぎだろうか。

今回の仕事は単純な人探し、いつもだったら「シティーハンターの仕事じゃねぇ」と蹴っているような依頼だった。だがそれを引き受けたのは依頼人がブロンドの美人だったから――というわけではなく、そのブロンド美人が昔のちょっとした知り合いだったからだ。彼女は今では小さな貿易会社の社長夫人に収まっていた――3年前までは。3年前、彼女の夫が日本で死んだ。そう連絡が入ったのだ。正しくは行方不明になった、だろう。海の事故で、取引相手とのクルーズ中に誤って転落したというのだから。
だが、その彼を見かけたのだという。六本木の、今俺が飲んでいるこのクラブで。それを日本観光帰りの知人に聞いた彼女は伝手を頼って俺に頼みに来たのだ、わざわざアメリカから。あまり気乗りのする仕事ではないとはいえ、昔かけた迷惑を並べたてられては――それも針小棒大に――引き受けざるを得ない。
とりあえずミックに不良外国人人脈を当たってもらうことにしたが、それだけで彼女の気は納まらなかった。自ら乗り込むと言い出したのだ、夫を見たというクラブに。日本語には夫の仕事のおかげでさほど不自由はないとはいえ、見ず知らずの東京の夜の街に一人で行かせるわけにはいかない。
というわけで俺たちも彼女とこの店に毎夜のように通うことになった――俺だけでなく、なぜか香も一緒に。
そして、結論だけ先に言っておこう。彼女の夫は生きていた。
だが――

回転ドアが開くたびについつい背後に眼が行ってしまう。商売柄、というよりはむしろ本能だろう。もしも入ってきたのがもっこりちゃんであればブロンドだろうが黒髪だろうが大歓迎。気の利いたカクテルをひとつ贈って素敵な一夜を過ごすまでだ。
だが、

「Ryo, are you waiting for someone(リョウ、誰かを待ってるのかい)?」

と緑色の目をしたまだ若いバーテンダーに訊かれた。

「For wonderful encounter(ああ、最高の出会いをな)」
「Encounter with who(誰と出会いたいんだ)?」
「Well, anybody glaborous girl(そりゃあ美人だったら誰とでも)♪」

そう言うとすっかり顔見知りになったバーテンダーは打つ手なしと言うように外国人特有のオーバーアクションで肩をすくめてみせた。そのとき、再びガラスのドアが回った。

ホールターネックの胸元の大きく開いた真っ赤なドレスは完璧なボディラインを忠実になぞりながら、膝のあたりから優雅なフレアーを描いていた。
そしてその裾からすらりと伸びる足元を彩るのは、同じく紅のハイヒール。
踊りに行くには華奢なヒールで、ステージのようにひときわ高くなったエントランスから一歩ずつ階段を降りていく。そのたびにフレアーが揺れ、深紅のサテンがダンスフロアの瞬きを乱反射させる。
ローズレッドの唇、ドレスほどではないが赤い髪が落とした照明の中に浮かび上がる――間違いない、香だった。

香は笑顔でダンスフロアの片隅にたむろしている一団に大きく手を振った。
毎夜のようにここに出入りしていれば当然顔見知りもできる、スタッフにも、そして常連客にも。彼らのネットワークがもたらす情報が今回の仕事では大きな手助けとなった。そのおかげで依頼人の夫の現在の居場所も身の上も突き止めることができたのだから。

「Hey, Kaori」
「C'mon, join us!」

白人も黒人も、日本人も彼女に手を振り返した。中にはホイッスルのような口笛交じりで。カウンターの片隅の相棒に気づかないまま、香は俺の背後を駆け抜けてフロアの人込みに紛れていった。
ミラーボールが光を振りまき、軽快な音楽が鳴り響く。
客としてはフロアの真ん中で楽しげに踊っているのと、その周りでやはり楽しそうに談笑にふけっているのと、およそ半々ぐらいだろうか。
香は後者の中にいた。知り合ったばかりの、だがもうすぐお別れの友人たちとのバカ話にケタケタと笑い転げているあいつがいる。それはここからでもよく見えた――踊る人影に遮られながらも。もちろん話の内容はけたたましいダンスミュージックにかき消されて聞こえない。だが、彼女が馬鹿みたいにはしゃいでいるのは、まるでスポットライトが当たっているかのようにはっきりとこの目に映っていた。

あいつは躍起になって否定するだろうが、香と俺は結構似ている。
例えばどうしようもなく打ちひしがれると、逆に羽目を外すほどにわざと明るくふるまってしまうところとか。あいつが大きな声で歌いながら――鼻歌などではなく――皿を洗っていたり掃除機をかけたりしているのは、たいてい何かあったときだ。だったら俺の午前様も少しは判ってほしいものだが。

今夜あいつが痛々しいほどにはしゃいでいるのも当然のことだろう。
確かに依頼人の夫は生きていた。だが彼の記憶は失われていた。さらに悪いことに、今の彼には愛する人がいた――3年前、瀕死の重傷を負い自分の名前すら忘れてしまった彼を献身的に支えてくれた女性。よくあるといえばよくある話だ。
そもそも彼の事故は仕組まれていた、保険金殺人だった。主犯は共同経営者である友人。二人の営む会社は倒産寸前だったが、彼にかけられた多額の保険金によってその危機を脱し、持ち直すことができたという。そしてそのおかげで、“亡き”夫から会社の権利を引き継いだ妻はこうして彼が生きていたころと変わらない暮らしができていたのだ。
彼は死んだ、これが誰もが幸せになれる結論だった。
彼女の夫だった男は3年前に死んだのだ。直接、面と向かって会っても、彼は妻のことを思い出せなかったのだから。彼の記憶喪失は外傷性のもので、過去を思い出す可能性は低いという。ならばこのまま帰ってしまえばだれの生活も壊れずに済む――そう言って今日、彼女を見送ってきた。
この結果に、依頼人以上に打ちひしがれていたのは香だった。
まるであいつ自身が夫の記憶喪失を宣告されたかのように。彼女がいる間は気丈に支えていたのが、その役目も終わった以上、羽目を外したくなるのも無理はなかった。

仲間の何人かがダンスフロアに繰り出した。彼らは香を手招きする。一も二もなくあいつはフロアに躍り出た。さまざまな色彩の明滅が彼女のドレスに、そして肌に落ちる。リズムに身を任せて踊る彼女は、まるで何もかも忘れて音楽に没頭しているようだった。

「Don't you mind, Ryo(いいのかい、リョウ)?」

と言いながらバーテンダーは一杯のカクテルを差し出した。キール・ロワイヤル――香がいつもこの店で頼んでいたもの。そしてフロアの方を視線で指して俺に目くばせする。彼女のドレスのような赤いカクテルと飲みかけのロックグラスを両手に俺は席を立った。
音楽は激しさを増し、フロアの熱気もそれに正比例する。その合間、グラスを掲げながら人込みをすり抜けていく。それはそれでステップを踏んでいるかのようだ、ただしひどく不格好なステップを。香の姿はその向こうに掻き消されてしまっていた。

――もし、あいつがこのまま俺の前から消えてしまったら、
そして記憶を失ってしまったら。

香は彼女の身の上を我が事のように感じていたはずだ。いつ、どんなことが起きても不思議じゃないのが俺たちの稼業なのだから。
彼女を取り戻すことができても、記憶を失ってしまっていたのなら、そしてそれが二度と取り戻すことができないのなら、香は死んだも同じだ。俺が愛した、そして俺を愛してくれていた香は――たとえ、それを口に出すことはなかったにせよ。
俺のことをきれいさっぱり忘れてしまったとしたら、いくら「好きだ」「愛してる」といったところで答えが返ってくることはない。
ならば今、俺のことを覚えているうちに、香が消えてしまわないうちに――。

「撩!」

人ごみから半分覗いた顔が俺の名を呼んだ。

「来てたの?」
「ああ・・・」

それ以上何も言えないままフルートグラスを手渡す。

「―――あ、よかったらもうちょっと静かなところに行かない?」

と、残りの仲間がたむろっている一角を指差す。

「Hi, Ryo!」
「How's going?」

この連中とは俺もすっかり顔見知りだ。英語、日本語、その他、知ってる言語のちゃんぽんでワールドワイドに会話が弾む。その横で香は、カクテルでさっきよりやや頬を赤らめながら、判るはずもない会話に相槌を打っていた、多幸症的な笑顔で。昨日や今日付き合いはじめたばかりの奴らには判りそうもないが、彼女一流の、満面の作り笑いだ。その横顔を眺めながら俺は胸が痛んだ。あいつの本当の笑顔はこんなもんじゃない、こんな笑顔をさせるわけにはいかないと。

ダンスフロアの明滅が止み、ダンスビートがフェードアウトしていく。チークタイムの始まりというわけだ。俺は香の手を取ると、そこにそっと唇を落とした。

「踊って下さいますか、お嬢さん」

これが俺に言える精一杯のセリフだった。

フロアはさっきより格段に人口密度が落ちていた。そりゃそうだ、チークダンスなんて「二人はラヴラヴです♪」というのを開けっぴろげに宣言しているようなものだから。だが、事情の違うカップルがここに二人。

「どうだ」
「え?」
「気ぃ、晴れたか」

香は視線を合わせまいとするようにシャツの胸元に顔を押し付けるようにして身を揺らす。だから俺もあいつの顔を見ずに言った。

「最悪」
「そうか」
「はしゃげばはしゃぐほど辛くなってく。
だから余計にはしゃごうとして・・・けっきょく悪循環」
「・・・そうだろ」

そんなことなら嫌というほど身に覚えがある。だったら残る方法は一つだけ。

「泣いちまえよ」

それができれば苦労はしない。だが、

「俺は黙ってお前の前から消えやしない。お前のことを忘れもしない」

泣いてる子供をなだめるように軽く背中を叩いた。すると反対に、押し付けられた顔からかすかな嗚咽が聞こえた。その声は胸板に吸い込まれてフロアに漏れることはないだろう。だが、シャツがしっとりと湿ってきたのははっきりと感じられた。

チークタイムはたった1曲だけ。だがその一曲のバラードが――バラードなんてのは押し並べてそうだが――今夜ばかりはやけに長く感じられた。どうせならいつまでも続いてほしい、そう願った。あいつが笑顔を取り戻せるまで・・・。
だが曲も終りに近づきあとは後奏だけになると、香は俺のシャツでぐいっと涙を拭い静かに身を引きはがした。再び軽快なダンスミュージックがフロアに流れる。それを合図にさまざまな目の色、肌の色をした客たちがまた押し寄せてきた。さっきの連中も一緒だ。いつもと違うハイヒールだということも忘れ両手で彼らに手を振る香は、間違いなく心からの眩しい笑顔だった。


『 ダンス・ウィズ・ユー 』 は TUBE には珍しく【苦笑】大人っぽい曲なので
自分の中ではCHのイメージが違和感なく浮かびました。
例えば真っ赤なドレスの香嬢とか。
なのでこれは歌詞そのものというより、
歌詞及び音楽のイメージから浮かんだ映像のノベライズに近いでしょうか。
なので原作以上に何ともヘタレな冴羽氏です【笑】
文中では「クラブ」と言ってますが、コレ、どこからどう見てもディスコですよね、
それもバブル期の【爆】
自分、まったく夜遊びとか経験無いんで、
そういうイメージは『都会のシンデレラ』で止まってしまってます。
まぁ、CHもこの曲もそういう時代のものだということでご容赦を。


< みみこさま コメント >

87年にリリースされた、TUBE の 『 ダンス・ウィズ・ユー 』 をもとに書かれた作品を頂きました。
自分の好きな曲が作品になるのは、嬉しいものです ♪
この曲の歌詞をそのまま僚と香に当てはめるのは難しいところを、事件・依頼といった CH ならではの設定で、僚と香の姿が描かれていて、感動してます。
特に、僚が香の手の甲にキスをして、「踊って下さいますか、お嬢さん」 と言ったシーン。サビの部分の、“ I wanna dance with you all night . 好きだよ‥‥ その一言が 言えなくて ” という歌詞が僚と重なり、照れ屋の僚が香を一途に想う姿が何とも言えずいいのです!

游茗さま この度は素敵な作品を下さり、本当に有難うございました。

当店と相互リンクしてくださっており、CH kids同盟会員でもいらっしゃる
みみこさまのサイト『Just for you』が閉鎖なさるということで
以前に相互リンクの際の捧げものとして進呈した拙作を出戻り公開いたしました。
みみこさまは『ダンス・ウィズ・ユー』がお好きだということで
勝手にフィーチャーした駄文を押しつけてしまいました【苦笑】
一つCHサイトの灯が消えてしまうのは淋しいものですが
これからもCHのファンは続けていくということですので
みみこさまの将来に幸多からんことを、この場をお借りしてお祈り申し上げます。
今までお疲れ様でした!そしてこれからも当店をどうぞご贔屓にm(_ _)m


background by

City Hunter