哀愁ドライブ


まさかこんな物がこんな所にあるとは思わなかった。
アストン・マーティンDB5、『ゴールドフィンガー』『サンダーボール作戦』で活躍した、云わばボンドカーの元祖にして代表。クルマ乗りなら一度ハンドルを握ってみたい者は少なくないだろう。それが、教授のガレージに。
あんな昔ながらの日本邸宅の中に(あの広さだけでも驚きだが)最新鋭のコンピュータや一流企業や大学並みの研究設備が潜んでいるのだ、その他に何が在ってもおかしくないとさえ思ったが、車庫に貴重なクラシックカーなどと並んでその車を見つけたときに言葉も失ったのは昔、ギミック満載のマシンとともにショーン・コネリーの精悍な横顔に憧れを抱いていたからかもしれない。それは少女時代の淡い想い出として遠ざかってしまったけれども。

もしあの車に乗れるのなら――行先はずっと決めてあった。
夢見がちだった少女も本当の恋を知り、それを失い、いつしか一端の「大人の女」になっていた。そんな苦い恋の想い出の地に。そして今夜、ようやくその機会が訪れたのだ。

アストン・マーティンは東京を離れ、一路東へと向かう。海沿いのワインディング・コース、まばらな街灯以外、行先を照らすのはヘッドライトだけという命知らずの走り屋ぐらいしか攻めたがらない道も、わたしにとっては慣れたコースだった。
学生時代も、研究が行き詰ったときはいつも愛車のハンドルを握ってここまでやって来たものだった。もちろんこんな外車じゃなかったけれど。
海岸線に沿ってカーブの続くこの道は一瞬の迷いが事故に繋がる。
だからこそ悩みも雑念も振り払うことができた。そして――バッグ置き場だった助手席は『彼』の指定席になった。

優秀な科学者で、それ以上に研究員のリーダー格だった彼。
そんな彼の意外な一面を知ったのもこの道でだった。
わたしがぎりぎりの速度でコーナーを攻めるたびにどんどん顔色が青ざめていく。
まさか頼り甲斐のあるしっかり者の彼が、ジェットコースターも苦手だったなんて。
シートベルトと手すりにすがりながら、叫ぶようによく言ったものだ。
「このままじゃいつか俺たち、海の中に突っ込んじまうぞ」って――
それでも、スリルと絶叫の先には絶景の待つこのコースはわたしたちの定番のデートコースになった。岬の突端で沈む夕日を眺めながら、彼はよく言った――

「人間は本能的に、自分とは違う免疫型の持ち主に惹かれるようになっている。
より確実な免疫を子孫に遺すためにな。
でも、それって免疫に限らないんじゃないか?
確かに俺は絶叫マシンにも乗れないビビりで
けど君は引っ込み思案で大人しいけど、でも実はバリバリの走り屋で――
だからこそ、俺たちの相性はバッチリなんだよ」

わたしが嬉々として絶妙のハンドリングを見せながら、その隣で彼が青い顔で苦笑いを浮かべる、そんな奇妙で、でもわたしたちにとって楽しいドライブは、この先いつまでも続くと思っていた。なのに――唐突に視界が赤いテールランプで埋まる。
それも何台も。どうやら渋滞にはまってしまったらしい。
見れば、数台先のところにある掲示板に、工事中につき片側通行と書かれていた。ということは、反対車線の車の列が過ぎ去らないかぎりわたしたちは動けないということか。その横を、おそらくカップルなのだろう、後ろに若い女性を乗せたバイクが車の列の横をさらりと通り抜けていく。二人の表情は真夜中、フルフェイスのヘルメット越しではあったけど、その小さい窓から幸福さが溢れ出しているようだった。

――きっと、わたしも彼もそんな笑顔を浮かべていたのだろう。
けどその日々は長くは続かなかった。婚約が決まったのと前後して彼がある企業からスカウトされた。でもそこでの研究内容が、まさか生物兵器の開発だったとは……大学に留まったまま、何も知らなかったわたしに彼はその研究と、解毒剤のデータを私に送ってきた。その翌日――

「来たわ。ごめんなさい、遅くなって」

いつも彼を乗せていた助手席に、今夜は花束一つ。
それを、このコースの中でもひときわ険しいカーブから、海にぽぉんと放り投げた。
波間に消える前に花は暗闇へと沈んでいく。
付けっぱなしのヘッドライトは、ガードレールの色の違いを映し出しているはず。
一年前の今頃、その一つが滅茶滅茶に壊れ、そこから一台の車が猛スピードで海へと転落したのだ。警察は事故として彼の死を処理した。でもそれは巧妙に仕組まれたものだと私は確信した。だってあの彼が、いつもこの道を通るたびに血の気を失くしていた彼がここで猛スピードの車を走らせるはずがない、わたしじゃあるまいし――きっと『奴ら』は彼の行動も確認済みだったのだろう、よくデートでこの道をドライブしていたと。けどまさか、運転していたのは女のわたしの方とは夢にも思わずに。

本当は誰よりも先にここに来なければならなかったはず。
けれどもわたしは今までここに来ようとはしなかった。彼の仇を討つまでは……
敵の息子に近づき、求婚を受け、式の当日に屋敷内の極秘研究室から兵器のサンプルを奪い取る。そして――冴羽さんの予想外の助けも得て、奴らの野望も元から断つことができた。というのに、結局今の今になってしまった。
すでにこの海にも北風が吹きすさぶ季節。それは……
わたしの心の中に彼以外に、もう一人の面影が棲みついてしまったから。
そんな心のままでは彼に花を手向けるわけにはいかなかった。
でも、新しい恋すら望み薄のまま、二重の傷心を抱えてわたしはここにやって来たのだ。もう一つの恋も諸共に葬るため――
もうこれ以上、傷つくことはないと思った。
彼を喪ったとき、この先どんなことがあってもこれ以上辛いことは無いだろうと。
でもこの胸は、あのときほどではないにしても確かに痛むのだ。

「……ふふ、『別離』には免疫は関係ないってことかしら」

それとも、この程度の痛みで済んでるということ自体『免疫』が効いているということなのかもしれないけれど。でも、これから先どこへ行こうか。
これで今回のドライブの目的地に着いてしまった、もう後は帰るだけ。
なのに帰る気にはなれなかった。
冴羽さんも、そして彼が心の中で愛するたった一人の女(ひと)もいる街へは――
来た道を引き返せば、相変わらずの工事渋滞。
その列にはまり込む前にわたしは再度、アストン・マーティンをUターンさせた。
いっそ、行き先は決めない方がいいのかもしれない。
わたしの助手席にはしばらく誰も乗ることはないのだろうから。
それは淋しいことのように聞こえるだろう。
けれどもその間、誰彼かまわずに峠道を攻めることもできれば(これでも多少は手加減していたのだ)思いきり絶叫マシンのハシゴに興じることだってできる。
それって実は、すごく素敵なことなんじゃない?

しらじらと海側の水平線が明らみ始めていた。この様子ではきっと岬での日の出に間に合うだろう。いつか彼と見た夕日と同じ色の。
それからぐるりと西側を回って……
そこから先も、助手席に『自由』と『孤独』だけを乗せた、わたしの気ままなドライブは当分続きそうだ。

featuring TUBE『哀愁ドライブ』(2007“WINTER LETTER”)

TUBEの(とは限らないけど)新しい曲を聴くたびに
まず考えるのは「これは誰の曲だろう」ということ。
これを聴いてかずえが思いついたとき、自分の中で
彼女のイメージがより大きく、よりくっきりふくらみました。
二次創作の中では「ミックのスイートハート」というのが先行してて
亡き婚約者を、そして撩を愛していた彼女の姿は
ファンの中ですっかり忘れかけているかもしれませんから【苦笑】

ちなみにかずえさんの趣味&特技がドライブ、それも
相当なスピード狂【笑】というのは、登場回での
「……わたし、運転には自信あるからいい」という
言い逃れ半分の台詞と、アニメ版の“中の人”が
逃がし屋のみゆきと同じというのが乏しい根拠【爆】


City Hunter