きょう、ロマンスカーで |
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ひかりは頬をガラスにくっつけんばかりにして車窓の景色に見入っていた。座席が向かい合わせのボックス席だから、窓の外を見ようとするとどうしても身をよじらなければならないが、それすらもお構いなしに都会から郊外へと移り変わっていく風景に目を凝らす。そんな娘を香は隣の通路側の席から嬉しそうに見つめていた。 そして俺はというと、反対側の席から二人の姿をぼんやりと眺めていた。車内販売のビールを片手に、どこかでこそばゆさを感じながら。 そんな俺たちを乗せて特急列車は新宿から湘南・江ノ島へとひた走っていく。 江ノ島くらいの距離なら普段だったら自分でクーパーのハンドルを握って行くものの、なんでわざわざ電車、しかも通常運賃の倍取られる特急に乗っていくかというと、ひとえにひかりのリクエストだった。 家族旅行というものには全くといっていいほど縁がなかった。三人でどこかへ遠出するという機会はほとんど無かったし、まして泊りがけとなればなおさら。 だからか、今度の遠出が決まってひかりはことのほか喜んでいた。 「あーあ、どうせだったら香ちゃんと二人っきりで箱根でもっこりがよかったなぁ」 そんな軽口を叩かなければその場の空気に馴染めなかった。 「2人分だって1泊するだけの宿代なんてどこにあるのよ」 箱根の温泉旅館なんて高いんだし、と香がぼやく。 「じゃあなんで江ノ島なんだよ。海って季節じゃないだろ?」 「でも・・・ありがとうね、撩」 不意に声音が柔らかくなった。 「何がだよ」 「ひかりのわがままに付き合ってくれて。 一生なんて大げさかもしれないが、それは俺たちにとって誇張でも何でもなかった。俺や香にとって来年の夏はおろか、今年の夏すらもありえないのかもしれないのだから。 「きっといい想い出になるわ」 そう言われている娘は、窓の外の景色に飽きたのか、車内の通路を近づいてくる移動販売のワゴンに目を奪われていた。全く、食い意地が張ってやがる。 「ああ、そろそろごはん食べよっか」 「これが楽しみで朝ごはん抜いてきたんだからねぇ」 そういうと香は手を上げてワゴンを呼び止め、駅弁と飲み物を頼む。まぁ、これも旅の楽しみの一つに違いない。だがひかりはそれだけでは不満とばかりに、ワゴンのある一点を見つめていた。 「これか?」 俺が指差してやったのは、車内販売限定キャンディ。容器にはこの特急の写真がプリントしてあった。目的地に着く前からお土産もないだろうが、その眼が母親譲りの上目遣いだったものだから否とは言えなかった。 「900円になりまーす♪」 思った以上の出費だった。ただの器に入っていればこの半分の値段で済むだろう。それにしても、いったい誰に渡すつもりなのだろうか。それとも自分への記念品にするつもりなのか。もしかしたらこの特急も、いや、家族旅行もこれで最初で最後なのかもしれないのだから。 「ねぇママ、これ一本で海まで行けるの?」 駅弁の飯粒を頬につけながらひかりが尋ねる。 「そうよ」 あいつの言う「みんな」とは俺たちではなく、秀弥や鴻人などの子供たちのことだ。そろそろ冒険もこの街の中だけでは飽き足らなくなってくる年頃だろう。 「そうねぇ、でも行くんだったら普通の電車にしてね。特急料金取られるから」 ――いつか、これから俺たちと行くであろう海まであいつらだけで行く日がきっと来るだろう。そしてきっと、自分一人で来る日も。そのときあいつが思い浮かべるのは、俺たちと一緒だった遠い想い出なのだろうか。そして、そのときに見た水平線と今目の前の景色を重ね合わせるのだろうか。 車窓の遠くにかすかな海面のきらめきが覗く。新宿からの1時間弱の旅は間もなく終わろうとしていた。
れにゃんこさまから5000hitのキリリクとして
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