背中から抱きしめて |
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とんとんとん、と包丁とまな板が軽快な音を立てる。 切った肉と野菜をフライパンに落とし込むと、じゃあっと水分が弾ける。 それを菜箸と手首の返しで全体に火を通す。 あとは味つけが済めば炒めものの出来上がり。 Cat'sで思わぬ長居になってしまって、いつの間にか夕飯の支度が押してしまった。だから今夜は手早く出来るものしか作れそうにない。といっても、人の数倍は食べる同居人のいるせいで、ボリュームも種類もそれなりにないといけない。冷凍食品で何品かまかなえるとして、そうそう、お鍋の中のスープはどうなったかしら。といっても缶入りのトマトスープに具をいくつか足して温めてるだけなんだけど。 そのとき、背後で何か動くものの気配がした。 なんてことはない、腹を空かせた同居人だ。いつまでたっても夕飯になりそうにないからわざわざ催促に来たのだろうか。と思ったら、無言で近づいてくる。もしかしたら食事より先に一杯始めるつもりで缶ビールを取りにきたのか。まったくいいご身分だこと。 「りょおー、用が無いならあんまりうろうろしないで」 あのでかい図体が後ろを通るだけで、はっきり言って邪魔なのだ。 それに、ときにそれは身の危険にまで発展しかねない。盛りがついてしまえばあのケダモノはリビングだろうがキッチンだろうがまったくお構いなしなのだ。 そのままダイニングテーブルに押し倒されて、または台所の壁に背中を押しつけられたまま最後までされてしまったのは一度や二度では収まらない。 今日のように気配をはっきり漂わせながら近づいてくる分にはまだいい。他愛もない軽口を二言三言叩き合ってから、軽くたしなめられてすごすごと立ち去るのなら青信号。たしなめてもじゃれつくように後ろから抱きつかれたら要注意だ。軽く振り払うなり肘鉄を入れるなりして反応を確かめる。それで大人しく退散するときもあれば、(その代わり後片付けから何からすべて終わった後、それなりの代償を払わされることも)それすら聞かずに強引に抱き始めてしまうときもある。 最悪なのは、全く気配を感じさせずに気づいたときには撩の腕の中というパターンだ。そうなったらあらゆる反撃は意味をなさない、そのまま大人しくヤツに頂かれてしまうことを覚悟しなくてはならない。 「撩、聞こえ――」 てるの?と言い終わる前に、背中から抱きしめられた。 「ちょっと、リョオ!」 いつものように反撃を試みるが、きつく前へと回された彼の腕はそれすら難なく封じ込めた。せっかく夕飯が出来上がるというのに、その前にあたしから食べられてしまうのか――と身の不運を嘆いたりもしたが、だがいつもとは様子が違った。 普段だったら不埒に身体中を這いまわる撩の手が、今はただただあたしを抱きしめるだけなのだ。それも、痣がつくほど強く。 「撩・・・」 覗き込まれるのを嫌うかのように肩口に押しつけられた撩の表情を窺い知ることはできない。だから、何があったのかはあたしには判らない。でもそれで構わなかった。あたしには言えないのなら、言えないなりの理由があるのだろう。あたしだって、撩の総てを受け入れられるほど大きな人間じゃないのだ。 だから、今あたしにできるのは、こうして彼の感情を受け止めてあげることだけ。 「しばらく、こうしてていいか・・・?」 消え入りそうな声で撩が尋ねる。 答えを言う代わりに、コンロのスープ鍋の火を消した。
れにゃんこさまから4444hitのリクエストとして
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