Moving on!

「香さーん、この箱どこに持ってけばいい?」
「ああ、後で荷解きするからそこ置いといて」
「香、これはどうするんだ?」
「んー、えーと――」

いつもはがらんとした冴羽商事のオフィス部分、別名『勉強部屋』が、今日はごった返していた。声も図体も大きいいつもの面々が大挙して押し寄せているだけでなく、床には大小さまざまの段ボール箱が散乱している。

一度はこのサエバアパートを出て行ったものの、ナーガによる一連の事件の片がつくとあたしはまた撩と暮らし始めた。だが、その前に一人で住んでいたアパートをまだ引き払ってないので、しばらくはそこと新宿を行ったり来たりという往復生活を続けていたのだ。美樹さんは「まるで通い婚ね」と笑ってたけど、ようやく今日から再びここがあたしの家になる。

小さい頃から住んでいた団地から初めてここに引っ越してきたときは、荷物を全部バスで運ぶという、今思えばとんでもないことをしてのけた。もちろんそんなことが二度とできるはずがなく、今回はアニキが小さいながらもトラックを借りてきてくれた。働き手なら充分揃っている。みな屈強な男たちと気配りのできる女性たちだ。

「カオリぃ、これはここに置いとけばいいかい?」

梱包された合板の束を抱えながらミックが階段を上がってきた。確かあれは食器棚だったかしら。客間兼用だったため出ていくときに大きな家具は残して、着替えや身の回りの品だけ持っていった。その後、ひょんなことから一人暮らしをすることになって必要最低限のものは買い揃えた。これもその一つだ。
見ればミックはシャツの袖を捲くり上げて、普段決して人目にさらさない火傷の跡もあらわにしている。

「悪いんだけど上まで運んでもらえる?」

当然、一人暮らし用の家具はここに住むには不必要だ。だからそれをまとめて何かのときのために上の空き部屋に置いておくことにしたのだけど、

「Jesus!」

と吐き捨てるように言うとミックはそのまま床にへたり込んでしまった。
7階建てのくせにエレベーターが無いという建築基準法違反のアパートの6階まで重い荷物を運び上げてきたのだ、その気持ちはあたしも判る。だが、

「なにお前組み立て家具ぐらいでへばってんだよ。槇ちゃん見てみろ」

階段の踊り場から撩の声が降ってきた。
アニキはというと、ミックに続いて小さい冷蔵庫を担ぎ上げてきた。
いつもの面々に比べれば体格的に一回り小柄だけど、今まで音を上げることなく1階と6階を何往復もしてくれている。

「ミック、お前言ったよな。『カオリのためならたとえ火の中水の中』って。
まさか今さら取り消しなんて言わないよな。
それともあれか?この細腕じゃ箸より重いものは持てませんってか?」
「No way!これでもリハビリ兼ねてジムに通ってるんだぜ」

とさらに袖を捲くって力こぶを見せつける。かつての女の人のような腕とは見違えるほどの回復ぶりだ。それはともかくとして――

「リョオ!」

階段の下から怒鳴りつける。

「あんたも手伝いなさい!さっきからそこで口先ばっかり指図して」

撩はというと階段上に陣取って、そこから高みの見物とばかりに手伝おうともせずに煙草をふかしていた。

「冴子さんだって手伝いに来てくれてるのよ」

妊婦さんに何かあったらと丁重にお断りしたが、それでもアニキに手を引かせて階段で6階までがってきたのだ。さすがに力仕事はできないので箱の荷解きをお願いしている。

冴子さんだけではない、麗香さんにかずえさん、猫の手も借りたいと唯香ちゃんにまで来てもらったのだ。わざわざあたしのために――
一度はみんなを置いてこの世界から出て行こうとしたのだ、そんなあたしのためだというのにみんな不満一つ口にせずに手伝ってくれていた。
だからこそ、自分が率先して働かないと居心地が悪かった。あたしのわがままにみんなを振り回すわけにはいかないから――

「そういえば美樹さんは?」

元傭兵の女コマンドだけに、彼女がいれば男手一人分くらいになる。
それにかすみちゃんも見当たらない。学校の用で出られなかったのかしら。

「ああ、美樹なら――」

と海坊主さんが言いかけたそのとき、

「お待たせ〜!」

とかすみちゃんを引き連れて美樹さんが現れた。手には抱えるほどの大きなお皿、かすみちゃんの提げているバスケットの中には魔法瓶が何本も入っている。

「そろそろお腹空いたでしょ」

と美樹さんが皿のラップを剥がすと、そこには一面にサンドイッチが並んでいた。

「で、こっちがCat'sオリジナルブレンド♪」
「朝からかすみちゃんと張り切って作ったんだから、どうぞ召し上がれ」
「あら、もうこんな時間」

冴子さんが壁の時計を見上げる。針は12時を指そうとしていた。
立ち上がろうとするとすかさずアニキが駆け寄る。

「香さん、カップ借りるわね」

お店の持ってきてもよかったんだけど、途中で割れちゃったらね、と美樹さんが言う。働いた後の空腹感とコーヒーの匂いに引き寄せられるように、誰もが手を休めてサンドイッチの周りに集まってくる。
だけどあたしは仕事を途中で放り出すわけにはいかなかった。とりあえず、この箱の荷物を整理し終わるまで――。

「香さんも早くいらっしゃいよ」
「そぉよ、みんなで一緒にお昼にしましょうよ」

そう呼んでくれるけど、それに甘えちゃいけない。
そもそもこんなあたしが「みんな」の範疇に入ってもいいのか判らないのだから。

「美樹ちゃんもこう言ってくれてることだしさぁ、メシにしようぜぇ」

とすでに口をもぐもぐさせながら撩が言う。何もしていないヤツにそんなこと言われたくない。だけど、

「なにおまぁ一人で肩肘張ってんだよ。
んなことしなくたって別に構いやしないのに」

大皿を取り囲む顔を見遣る。みんなあたしを見つめていた、優しい笑みを浮かべながら。そんな眼差しに気が緩んでしまったのか、

ぐぅ〜

とあたしのお腹が大きな音を立てた。しょうがない、朝早く起きて朝食をとってそれっきりだったんだもの。
みんなの輪に加われば美樹さんがマグカップを手渡す。あれほど嗅ぎ慣れたはずの匂いが鼻孔をくすぐっただけで、目から涙が零れ落ちた。

「そんなぁ、香さんったら」

帰ってきた、心からそう思えた。
このアパートに、みんなの中に、あたしのいるべき場所に。

「泣くことないじゃないのよぉ」

そう言って宥める麗香さんの口調も、サンドイッチの味も、みんな前と変わらなくてやっと元に戻れたんだ。だからあたしは生きていける、ここで、前と同じように。

「そういえば、仕事どこまで進んだの?
午後からかすみちゃんと手伝おうと思ってたんだけど」
「もう大きい荷物はあらかた片付いて、後は細々したものだけかな」

美樹さんに訊かれてあたしはそう答えた。

「じゃあお昼の後片付けが済んだらそれを
香さんの部屋に持ってけばいいかしら?」
「そうしてもらえれば――」
「いや、俺の部屋に運んでもらえる?」

一気に座の視線があたしたちに釘付けになる。まぁ、そりゃそういう仲になったのも事実なんだけど・・・何も、こんなところで言わなくたって!
こっちを見つめる視線はどれもにやにや半分、祝福半分といった具合だった。

「やっぱりぃ、道理で最近香さんきれいになったと思ったら」
「とうとうオマエもカクゴを決めたってわけか、えっ?」
「もぉ、麗香さんも、ミックったら!」

格好の標的にされているはずの撩もまんざらではなさそうで。

「あ〜っ、撩のバカっ!」

そう、何もかもが元どおりになったわけじゃない。
これから始まるのだ、新しい何かが。


3000hitを踏んでくださったれにゃんこさまから
拙作『closer by closer』(および50題#24『after-service』)の続き、
香が一時ひとり暮らしをしていた部屋からサエバアパートの引っ越し風景
ということでリクを頂きました!
実は前々から店主自身も書いておきたいと思っていたシーンだったので
冴子姐さんやミックなどのお手伝いっぷりがありありと浮かんできて
自分でも考えていて楽しかったです。
ただ、個人的にはこの後(もっとはっきり言ってしまえばこの日の夜)が
すっごい気になるんですが・・・【殴】

ということでれにゃんこさま、こんなんでよろしかったでしょうか?
これからもHrad-Luck Cafeをどうぞご贔屓にm(_ _)m


City Hunter