愛という名の桜


「キレイだねー、撩」

そう香は足元も見ずに歩を進める。まぁ確かにきれいなのは判るのだが、

「なぁ、もういいだろ? そろそろどこか座ってメシにしようぜ」
「だめよ、まだ半分も見て回ってないんだから」

と、淡い薄紅に染まった枝を見上げながら歩き続けていた。荷物を全部俺任せにしてないだけまだマシかもしれない。だがこの広い庭園内にどれほどの桜の木が植えられていると思っているのか――。

3月26日、香の決めてくれた俺の誕生日にはこうして花見に行くのがすっかり年中行事となっていた。弁当をこしらえて、シートを敷いてまるで雲かと見紛うほどの花を眺めながら。大っぴらに酒が飲めないのは少々不満ではあるが、それを差し引いても数ある桜の名所の中でわざわざ新宿御苑に足を運ぶのは、そこそこ近所だからという理由だけではなかった。
先述のとおり、ここには園内のいたるところに数多くの桜が植えられている。
その種類もさまざま、まだ寒さの残る時期からほころび始める早咲きもあれば、桜前線から遅れて花をつける遅咲きもある。そして、ただの花見であればもっこりお天気お姉さんの伝える満開の時期に合わせて行けばいい。
だが、俺たちは今日この日でなければいけないのだ。
だからこの時期、いつ行っても外れの無い御苑に、今日ばかりはわざわざ入場料を払ってこうして毎年足を運ぶのだ――まぁ、タダで入れる抜け道ぐらい知ってるんだけどな。

「もぉ、しょうがないわねぇ……じゃあ、ここにしよっか」

香がここと決めたのは芝生の広場で、その縁飾りのように周囲の彼岸桜は満開を迎えていた。今年は日曜ということもあって、同じような花見客が思いおもいにシートやテーブルを広げてささやかな宴を楽しんでいる。
彼女もまた二人分だけの場所を確保すると、バスケットの中身を広げ始めた。

「お、旨そうじゃねぇか」
「ふふ、今日はお祝いだもんね♪」

朝からあいつが腕によりをかけているのは知っている。
靴を脱ぎ捨て、長い脚を行儀悪く延ばすと、そのうちの一つ、定番の唐揚げ――俺の好物でもある――をぽいと口に運んだ。さらに2つ、3つと続けたくなるが、それと同じくらいビールが欲しくなる。でも、香が持ってきているのはせいぜい……

「ほら、あったかい烏龍茶」
そう水筒の蓋を手渡してきた。
「葉っぱから淹れたから、ペットボトルのより美味しいよ」
と香も水筒付属のプラ容器を、手のひらを温めようとするように両手で抱えていた。

「この時期って意外と寒かったりするしね」
「花冷えっていうもんな」
「あ、そういえば撩、知ってる?」

珍しくあいつがもったいぶって訊いてきた。って、誰より自分がその続きを早く言いたいくせに。でも、知識ではどう見ても俺には分の悪い香がそう言ってくるとは、大した度胸じゃないか。

「桜の花って、冬寒くないと咲かないんだよ」
「ああ、休眠打破だな」

香の自信はもろくも一瞬で打ち砕かれた。どうせ教わったのは槇村あたりだろうが、そのくらいのことを俺にひけらかせていい気になろうなんざ100年早い。

「花芽自体はもう昨年の夏には出来てるんだ。
だが出来てからしばらくは眠り続けてる。その眠りから覚めるためには
冬の間に充分寒さに晒されなきゃならないってわけ」

だが香は、出題者のお株を奪う俺の答え合わせに悔しがるでもなく、ぽつりとこう呟いた。

「まるで、人間と同じね」

そのとき、俺の中でどこかで聞いたフレーズが鳴り響いた。
ある歌は歌う、冬、深い雪の下に眠る種も、春になり、陽の光を浴びれば花を咲かせるのだと。だがその花は、もし雪が降らなければ、うららかな小春日和の続く冬だったなら、もっと美しい、より大輪の花を咲かせるのだろうか――
けれども、この国の春を淡く彩るこの花は違う。そのような恵まれた、けどぬるま湯のような環境の中では決して咲くことはできないのだ。

思えば我ながら、たいそう碌でもない人生を送ってきた。
物質的にも恵まれない、その上殺伐とした戦場、そして誰より信じた男からの裏切り――誰も信じることのできない、隙を見せれば文字どおりの「命取り」の、光差さぬ闇の中。その身の上の余りにもの違いに己を卑下し、人を突き放し、ただ冷笑を浮かべることしかできないこともあった。
だが、今にして思うのは、それも花を咲かせるために必要なものだったのだ。
あのとき――もうずいぶん前の同じ3月26日、あいつが春を告げる一陣の南風のように現れたてから、少しずつ固い蕾をほころばせ、そして――

「ああ、きれいだな……」
「えっ?」
「桜がさ」

満開に咲き誇る桜の下、何かに憂うことも怯えることもなく、無邪気に握り飯にかぶりつく――おお、中身は鮭フレークか――これを幸福と呼ばずに何と呼ぶ、それも、この花たちと同じくらい満開の。それを与えてくれたのは、心を閉じ込めるかのように厚く降り積もった雪をこのうららかな春の陽のように融かしてくれたのは、他でもないこの最愛のパートナーで……だが、次の瞬間、

「あっ――」

一瞬、冷たい風が吹き込んだかと思うと、早々に咲き始めていたらしい花弁はあえなく風に舞い散った――幸福というのは確かに儚いものかもしれない。
だが案ずることはない――

「ほら」

とコートの片袖を脱ぎ、それを香の肩へと掛けた。自ずとコートと俺の腕の中にすっぽり収まる形になる。

「こうすればまだ寒くないだろ」

そう声をかければ、香はほころぶような笑顔を見せた――どんなに厳しい冬も必ずいつかは終わり、再び花咲く春を迎えるのだから。



featuring Bette Midler 『The Rose』なのですよ実はw
とあるTV番組でこの曲が取り上げられていて、気になってふと検索
実はそれまでこの曲のタイトルを知りませんでした【苦笑】
もちろん歌自体は聞いたことがあったんですけどね。
そして3番の歌詞に目を通しながら
なんか足りねぇな」と【爆】
実はバラも桜も同じバラ科、なのでバラの種も同様に
冬越ししないと芽が出ないんですけどね。

とはいえ、人生の極寒を乗り越えたからこそ迎えられた
冴羽氏の春が長く長く続きますように。

Happy Birthday, Ryo!

違う意味での「春」は永遠に続きそうだよなぁ……「回春」とかの方のw


City Hunter