Last Night in March |
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あたしの誕生日にはホテルでディナー、そしてその後は……というのもすっかり冴羽商事の年中行事として定着しつつある。 「自分の誕生日に自分でご馳走作るバカいるかよ」 そう撩は言う。 「今日ぐらい上げ膳据え膳でいいんじゃないのか、お祝いなんだからさ」 と。そうはいってもドレスアップして、テーブルマナーも気にしつつ……というのも正直苦手ではあるけれど、それが年に一度のこの特別な日に、というなら「不慣れ」も「新鮮さ」に変わる。着慣れぬドレスもアクセサリーも、かえって背筋が伸びるというように。 「本日のメインでございます」 きれいに空になった魚料理の皿を下げられると、それと入れ替わりに差し出されたのは、まるで絵のように付け合わせとソースの添えられた上品なサイズのラムチョップだった。それだけで心躍るものがある。 「それほんと好きだな、お前は」 毎年趣向は変わるとはいえ、旬の食材だけあってこの時期ここのメインの肉料理はいつもラムだった。ちなみにデザートのケーキは苺の乗ったもの。そこにスパーク花火が刺さって運ばれてくる。 「そういうわけじゃないけど、でもこういうのって できれば手づかみでかぶりつきたいところをぐっと我慢して、丁寧にナイフとフォークで骨から身を剥がす。何しろここはまるでお城の大広間のような、ホテルのメインダイニングの中でもかなり良い席だ。具体的に言えば奥まったところにあって、それでも程よく視線に晒される、誕生日などでドレスアップして見せびらかせたいカップルにはうってつけのポジションだろう。 「でもさぁ……」 その自分の発想がツボだったようで、撩はナイフとフォークで肉塊をやっつけながら堪えたような笑みを浮かべ続ける。確かにあたしは3月31日生まれの牡羊座だけど…… 「あんただってそうじゃないの」 とナイフで皿の上を指し示した。もちろんあいつの場合、本当は牡牛座って可能性も無くは無いだろうけど、一応はその5日前生まれであたしと同じということになっている。 「あれ、撩ラム肉嫌いだったっけ?」 そう言うと、マナーよりは一回り大きめに切った肉を口の中に押し込んだ。 「ああ、やっぱ良い肉使ってるわw ほら、お前も味わって食べろよ。 言われなくともと、口を大きく開けない程度のサイズのを一口含む。 「けど今どき、ラム肉なんて大きめのスーパーでも売ってるだろ。 撩に話すにはちょっとだけ勇気が要った。 「前に友達の友達が北海道出身で 正しくは初めて逢った後のインターバル期間。だからあまり言う気がしなかったのだ、その頃の話をすると撩があまり面白くなさそうな顔をするから。 「でもそれってずいぶん前だろ。もう10年は経つか」 と言ってる傍から撩は、テーブルの向かいから手を伸ばしてあたしのラムを一口横取りしていった。むぐむぐ…… 「高級そうなソースとかかけてるけど その『料理の定番』をあんたが知ってるってことでも充分びっくりなのだけど。 「自分で作るんだったら、思う存分手づかみのし放題だぜ?」 との言葉に思わず気持ちが傾きそうになるけど、それでもあたしは自分で挑戦する気にはなれなかった。これはただの料理じゃない、撩と今日この日ここだけで食べる特別なもの。それを自分でいつでも作れるとなれば、その有難みが無くなってしまいそうに感じるのだ。 「――ようこそ、今年もいらしていただき誠にありがとうございます」 まだメインディッシュの途中であたしたちのテーブルの傍らにやってきた人がいた。一人はソムリエ、もう一人は―― 「副支配人!」 彼とは顔見知りだった。もちろんその上の支配人もだけれど、やたらと事なかれ主義の上司に代わってあたしたちとの折衝は彼との役目だった。 「毎年、この記念すべき日に当ホテルをご利用いただき光栄です。 と言うと代わってソムリエが一歩前に出る。 「ラムにはボルドーの赤がよく合いますが 撩も少なからず驚いたような表情を浮かべているということは、彼が用意したサプライズではなさそうだ。グラスに真紅がみるみる満ちていく。 「でもなんでわざわざ……」 との撩の言葉に、副支配人は少し困った顔を見せた。 「実は本日が私のここでの最後の勤務でして……」 今度はあたしが声を上げた。確かにここは全国に系列のホテルが数か所ある。 「明日からは北海道の方で支配人として働かせていただくことになりました」 そうにこやかな笑みを浮かべる副支配人。 「けど、なんでわざわざ……」 あたしの問いにそう言い切った口調こそ晴れやかであったけど、その奥の惜別の思いはしっかり伝わってきた。撩もきっとそうだろう。 「もちろんこれが永久の別れってことじゃありませんし ――春は出逢いと別れの季節、こと今日に限って言えば「別れ」の方にぐっと傾く。でも明けて4月1日になれば人は新たな出逢いへと一歩を踏み出す、別離の哀しみから。あのときのあたしも、そうだったから。 「――ラムの香草焼き、作ってみようかな」 いつものようにスパーク花火の刺さった苺のケーキにナイフを入れながら呟く。 「あ、でもローズマリー、だったっけ。それも買ってこないと」 ああ、花やハーブを育てるのは夫婦二人の趣味でもある。 「それに、自分でやってみても面白そうだしな」 毎年この日が同じように迎えられる幸福は否定しない。 撩ver.もそうですけど、うちの二人にとっての誕生日の祝い方って 「マンネリであることの幸福」を噛み締めることなんじゃないかとw 毎年同じルーティーンであっても、それをまた今年も 迎えられたこと自体が幸せというか。 でもその「マンネリ」がいつまでも同じように続くとは限らないわけで それは↑みたいな些細な変化に過ぎなくても。 でも、変わることは決してよくないことばかりじゃない。 変化を恐れない、むしろそれを楽しめる一年であらんことを。 Happy Birthday, Kaori! 次の副支配人さんもいい人でありますように【笑】
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