虫歯の大人のホワイトデイ


「ねぇ、これなんかいいんじゃない?」
「んー、じゃあそれにして」
「あーもぉっ、リョオ!」

俺の素っ気ない返事に香が噛みついてきた。

「そりゃ選ぶのはあたしだけど、渡すのは撩なんだからね?
ラッピングの中身知らないのバレたら恥かく以前に失礼じゃない」

そうはいってもどうせ受け取る方も、お前のセレクトってのは判ってると思うがな。

「それにただお菓子配るだけじゃないの。
これはお返しなんだから、ちゃんと
それ相応の気持ちがこもってないと――って撩!」

と言いつつ、俺たちがいるのは「それ相応の気持ち」が聞いて呆れるような所だった。輸入食料品店のお菓子売り場、といえば聞こえはいいが、そこは見栄えとお手頃プライスが両立という点では香がまさに泣いて喜ぶ店でもある。
すなわち「3倍返し」という世間一般のホワイトデーの「気持ち」は敢えて無視するつもりらしい。確かに横文字の並ぶパッケージは高級そうにも見えなくないが、実は本国ではそんじょそこらのスーパーに並んでいるような商品で、そういえば俺も昔、アメリカにいた頃に場末の食料品店で見かけたようなものもある。
まぁ舶来信仰もここに極まれりなのだが、そんなお菓子の山――を通り越して壁の中をコマネズミのように歩き回るあいつを横目に見ながら、本当はそれどころじゃないだろとどこかで心配せずにはいられなかった。
んなもん見てるだけで、奥歯がずきずきと痛んではきやしないかと。

最初は、朝一番の歯磨きで冷たい水に歯が沁みていたようだった。
もともと俺は寝汚い方だから、そんな姿を目にすることもほとんど無くて、そういえばそんなときもあったような、という程度だった。だが次第に熱いコーヒーでも痛みを覚えるようになればそれに気づく機会も増える。しまいにはハンマーを振るおうにも奥歯を食いしばれずに狙いが逸れるようになるほどだった。

「なんで行かないんだよ」
「どこに」
「歯医者」

いつしか頬杖を突きながら奥歯の辺りを押さえるのが癖のようになってしまっていた。かの経国の美女・西施は持病の癪に眉をひそめるさまも美しかったそうだが、あいにく香じゃ見ていて痛々しくなってくる。

「あのさ、歯医者って一度行くと毎週通わなきゃならないのよ?
たいてい同じ曜日の決まった時間に。それじゃあたしたち
依頼を受けようがないじゃない。
『この日は歯医者に通院だから仕事抜けなきゃいけません』だなんて」

それもそうだが、どれだけ仕事熱心なんだよ。自分の歯1本犠牲にしてもいつ来るかもわからないXYZに備えようだなんて。

「だいたい撩、なんであんた虫歯出来ないのよ」
「ん?」
「少なくともあたしが知っているかぎりでは
歯医者に行ったことなんてないんじゃないの?」
「当たり前だろ? 俺、保険効かないし、教授も歯は専門外だからな」

一応診られないこともないが、できることはというともう手遅れになったのを力技で引っこ抜くという、いかにも装備に欠けたゲリラの軍医らしい治療法だけだ。あんなドリルのような精密機械、戦場にあるわけがないのだから。

「力入れるときには文字どおり歯をくいしばるからな。
お口の健康もスイーパーの基本よ、香くん」

「どおりで、あんたがいっつも歯磨きだけは丁寧にやってると思ったわ。
てっきりヤニを気にしてるのかと思ったら」

まぁ、それもあるわな、プロのナンパ師としては。煙草味のキスってのも乙なものかもしれないが、それも程度によりけりだ。まぁ、それはともかく。

「でも、自覚があるならわざわざ虫歯がひどくなるようなことは
やめといた方がいいぞ」
「ひ、ひどくなるようなことって……?」
「俺の義理チョコ、せっせと消化してくれてるんだろ?」

それについては咎め立てしない。どうせ甘いものは口にしない性質だし、最近ではそれを判った上であっちも贈ってきているようだ。一方で香はチョコレートの類には目がない。それでもプロポーションのためにと持ち前の自制心を発揮して少しずつにはしているようだが、今年はそれすら引っかかってしまった、いつもとは違うところで。

「そりゃ認めたくないわな、歯が痛いのは虫歯のせいだなんて。
熱いのや冷たいものが沁みるのは知覚過敏のせいにしたいよな。
歯医者に行くっていうことは自ら自分が虫歯だって認めるようなもんだから」

擬人化されたミュータンス菌の得物のように、目の前の香にぐさぐさっと槍が刺さるさまが目に浮かぶようだった。

「でもっ、チョコレートって夏越したら――」
「んな半年先のことまで心配すんな。いくら俺がモテモテでも
その前におまぁが全部空にしちまうだろ」

完全に論破され、がっくりと肩を落とす。
それでも結局、香が歯医者に通い出したのは、軽く一仕事を終えて当分は来た依頼に選り好みせずに飛びつかなくて済むようになってからだった。
程度は進んでいたものの、幸い削って詰め物をするだけで済みそうだ。
おかげでもうあの痛々しい仕草と表情は目にすることも無くなったが、痛みというのは得てして心理的なものでもある。あのドリルの音を聞くだけで虫歯でもない歯が疼くように、この四方八方を甘い物に囲まれている今の状況は決して今の香には天国とは言い難いはずだ。それでもせっせとあれを掴みこっちを手にしと、ホワイトデーのお返し選びに余念のないさまを見ていると、こっちまで胸が苦しくなってくる。
まるで頬を押さえる香の姿を目にしたときのように。

「――今年はホワイトデー、何もくれなくていいからね」

たまたま行き会った歯医者の帰り、香はそう言っていた。

「だって飴なんて貰ったら、良くなりかけてる歯をまた悪くするだけだもん」

そうはいっても、今年も受け取ってしまったのだ、あいつの気持ちを。
それだけは俺自身が有難く頂いたのだから。

棚に見つけた、色鮮やかなフルーツがパッケージに描かれているキャンディー。
そこにはシュガーレスとの表示がある。もちろん他の甘味料の中にも歯に良くないものはあるだろうけれど、少なくとも普通の飴よりはマシだろうと――

「リョオーっ」
「ああ、今行く」

香に拘束される前に、レジを済ますことにした。さっさと包んでもらわないと、それを見た香がまた笑みだけを浮かべられるように。



このタイトルの元ネタ知ってるかどうかで、齢がバレますね【苦笑】
バレンタインに引き続き「お菓子なんか見たくもない!」シチュですが
そこはやっぱりホワイトデーですから、って撩が一番甘々♪
まさに「歯が浮きそう」ではありますが
ぜひとも浮かないよう歯周病にはご注意をw
虫歯といえばアニメでは美人の歯医者さんも登場してましたが
冴羽商事のデンタル事情をちらっと書けたのも楽しかったです。
というわけで、チョコとキャンディーの摂り過ぎには
くれぐれもお気をつけくださいませ【笑】


City Hunter