Sweet Trap


木は森に隠せというが、「白い粉末」を隠すのにこれ以上最適な場所は、ちょっと他には思いつかない。小麦粉、コーンスターチ、砂糖でも粉砂糖、上白糖、グラニュー糖……ありとあらゆる形状の「白い粉末」入りの袋がうず高く積み上げられた、製菓材料商社の倉庫。ここならどんな「白い粉末」でもそれらに紛れさせることは可能だろう。

「真衣さんはどこ!?」

それらの産物を目にしたときとは打って変わって、鋭い声を響かせるのは隣の我が相棒。その格好も弁慶のように重火器をやたらと背負いまくった、いつものカチ込みスタイルだ。

「ふふっ、取引きを持ち出してきたのは君たちの方だろう。
例のものは持ってきたのかね」

と悪役然と言い放つのは、その台詞とはぱっと見で結びつかなさそうな、部長クラスのサラリーマンといった感じの男。だがもちろん、そいつが今回の黒幕だ。

「ほらよ」

そうポケットの中から高々と掲げたのは、ただのICレコーダー。だが、

「この中にあんたらとディーラーとの取引きの一部始終がぜーんぶ収まってる」

こいつを手に入れるのに向かいのガイジンの手まで借りる羽目になった。まぁ、貸しはそのうち返すさ。その証拠物件を奴が目で確かめると、奥の物陰から背中を押されたように、若い女性が姿を現した。

「冴羽さん! 香さん!」
「真衣さん! すぐ助けに行くからっ」

だが彼女の手は後ろに組まされたまま。その両手をがっちりと掴んでいるのはもちろんあの男で、

「音声はそれだけだな」
「ああ、コピーは取ってない」
「じゃあそれを目の前で始末するんだ」

はいはい、とホルスターからパイソンを取り出そうとすると、「早くっ!」と奴からの苛ついた檄が飛ぶ。ったく、せっかちな御仁だこと。
左手に持ち替えたレコーダーを放り投げ、空中のそれを寸分違わずマグナムで撃ち抜く。これくらい曲芸でも何でもない。

「さぁ約束だ。これで彼女を返すんだ」
「ふはは、ふはははははっっ!!」

部長(仮)の下卑た高笑いが倉庫中に響き渡った。

「これでもう取引きの証拠は何も残っていない、お前たちを除いてな!」

そして製菓材料の陰から一斉に俺たちに向けられる銃口の群れ。構える連中の見た目こそ親玉と同じスーツ姿だが、その面構えはどう見てもサラリーマンという感じではない。雑魚とはいえプロの端くれと読んでおいたほうがよさそうだ。
当然、念のために音声データのコピーは取ってあるが、それはまぁそれとして、おかげで却って好都合だ。俺たちが今ここにいるのは人質奪還だけが目的ではない。それなら余所でもかまわない、ここをわざわざ指定したのは――

ドォォォーーン、と倉庫全体を震わす爆発音。これくらいは大したことないが、続いて白い煙幕が辺り一面を覆う。香が発煙手榴弾を炸裂させたのだ。
その煙に紛れて俺は物陰へと身を翻した。

 

今回の依頼人の真衣さんは、いわゆるスイーツ研究家。パティシエと違って自分の店を持っているわけではないが、彼女のレシピは本格的なケーキなどが手軽に作れると好評で著書は軒並み売り上げベスト10入り、お菓子作りの教室は受講者が年単位で「待ち」が続いている状態なんだとか。

その彼女が、最近何者かに付け狙われているような気がするのだという。
こういう世界も一皮むけば足の引っ張り合い、その成功を快く思わないライバルも数知れずというわけで、いつものようにもっこり密着ガードとなったのだが、その間、香は教室のアシスタントとして真衣さんの傍に貼りついていた。
菓子の類はあまり手作りしないものの、料理は香の得意分野だから足手まといにもならずそこそこうまくやっていたようだ。それどころか時節柄、「簡単ガトーショコラのレシピ教わったんだ。今年は期待しててね♪」なーんてことを言ってたが……

うぉりゃあぁぁあぁあぁぁーーーっっ!!!

などと可愛い台詞とは正反対の怒号が、フルオートの銃声とともに飛び交う。それに遅れてボスボスッと銃弾が何か――おそらくは粉の入った袋――に刺さる音。そして漂うアーモンド臭、それは青酸化合物などではなくて正真正銘の、おそらくアーモンドパウダーの袋に弾が命中したのだろう。
狭い空間に立ち込める甘い匂いは、俺にとってはあまり嬉しいものではなかった。

 

真衣さんを付け狙う連中の目星はすぐに立つだろうと思っていた。
どうせ素人、とそのときはまだ考えていた。が、なかなか尻尾を出そうとしない。
どうやら俺たちが付いたことであっちが活動を控えたのか。それはそれで願ったり叶ったりかもしれないが、トラブルは元から断つのが俺たちシティーハンターのやり方、敢えてガードを解いて真衣さん本人を囮にしてみたところ――現れた尻尾は意外な女狐のそれで、実は冴子の部下、つまり警察がずっと彼女をマークしていたのだ。もちろん真衣さん自身はただのスイーツ研究家、何のやましいところはない。
ただ、問題は彼女の取引先だった。

簡単に美味しく本格的なケーキを作るコツとして、真衣さんが推奨していたのがとある米国の、いわゆるケーキミックスというような粉。だがそれは日本ではまだ入手が困難で、個人輸入か彼女のお菓子教室を通してかでないと買うことができなかった。そこで真衣さんに近づいてきたのがある製菓材料の専門商社、そこがミックス粉を輸入し、彼女の名前を宣伝に使ってスーパーなどでも買えるように大々的に売り出そうと持ちかけてきたのだ。
しかし、冴子らが目をつけていたのもその商社だった。

同じ「白い粉末」でも、薬物と小麦粉や砂糖を混ぜて密輸することはできない。
それらは専用の運搬船に載せて日本まで運ばれるのだ。そこに仮に混ぜても、砂の中にダイヤモンド1粒を紛れさせるようなもので後からの回収は不可能。
だがこの手のミックス粉なら、輸出される段階からすでに袋詰めされていて、それをコンテナに載せて運ばれることとなる。その中に一つだけ、同じ袋でも中身は非合法薬物のものを紛れさせて、何か目印さえつけておけば回収は容易だ。
1袋200gでも末端価格で600万、段ボール一箱分を全体に散らしておけば1回の密輸量として充分採算は取れるはず。

そんなわけで一転、警視庁の女豹も絡んでの捕り物に俺たちも巻き込まれてしまった。それを察知してか途端に牙をむいてきたのは件の取引先の担当者。
あろうことか打ち合わせと称して真衣さんを呼び出して、そのまま攫ってしまったのだ。こういうとき職業的犯罪者よりも、この手の半分堅気の人間の方が何をしでかすか判らない。敵の手に陥ちた彼女に万が一のことが無いように、しかしもちろん一刻も早く真衣さんを助け出さなければならない。だが一方でトラブルを元から断つには、この際サツの手を借りて連中をお縄にすることも不可欠だ。

そのために選んだ手段が、取引きだった。

 

倉庫の中は米袋のような大きな袋がそのままパレットの上に積まれていたり、それが段ボールだったりとさまざまな荷物がまるで壁のように並び、その間を通路が縦横に横切る、まるで迷路のようだ。中には小型のフォークリフトも入れないような狭い、隙間としかいえない通路もあり、そこは身を隠すには絶好のポイントだ。
だが物陰の利点は敵も同じこと、売り物をバリケード代わりに集中砲火を浴びせる先は――香ただ一人。あいつがマシンガンやらライフルやらを派手にぶっ放している間、俺がその隙に真衣さんを奪還するというのが今回のシナリオだった。
たった一人で雑魚とはいえ十数人の標的にならねばならない香を捨て置くのは心苦しいが、一たび仕事となれば相棒のことは二の次百の次。
幸い、期待どおりに敵の目を惹きつけてくれているし、見たところ怪我をしている様子も無い。心の中で詫びと礼を述べつつ、黒幕が真衣さんを抱え込む倉庫の奥へと急ぐ。そのとき、

「誰だっ!」

てっきり香の方で手一杯で背後はお留守かと思ったが、勘の良い奴もいるようで背後の気配に振り向かれてしまった。運のいいことに気づいたのはそいつ一人だ。
ここで余計な物音を立てたら倉庫中に俺がここにいると知らせるようなもの。
パイソンのグリップで俺より背の低い脳天を強かに殴りつけた。どさりと物音を立てられるのも嫌なので、くたくたと倒れ込んだところをいったん受け止め、その後転がしておく。そして先を急ぐ前にもう一度、香の方を見遣った。
相変わらずの一斉射撃を荷物の陰になってやり過ごしていたが、やはり連中はここの社員ではないらしく、バスバスと袋の中身を思いきり売り物にならなくしていた。
穴から舞い上がる粉塵の色からして、白い粉ではなくココアパウダーだ――それも飲み物にするにはもったいないほどの上物の。
そっちの「白い粉末」も鼻から直接吸い込めば効果絶大なように、チョコレート色の粉も鼻腔から直接粘膜を強烈に刺激する。そのとろけるような甘味に一瞬気が遠のきかけるほど――いかんいかん、と気を取り直し囚われの姫の奪還に、敵の本陣へと急ぐ。

真衣さんの身柄に匹敵する何か――この場合、取引きの証拠――を手元にがっちりと掴んだうえで、それと引き換えに彼女の身柄を引き渡させる。
ついでに未だ証拠不十分で警察が踏み込めない状況を打破するために、この、どこかしらに必ず薬物が隠されているであろう倉庫で警察が踏み込めるだけの大騒ぎを演じて、奴らにブツを見つけさせるという、これぞ一石二鳥。すでに警察の皆さんも近くで待機中だ。

「てやぁあぁぁあぁあぁぁあーーーっっ!!!!」

敵の攻勢が一瞬止んだ隙に、再び香が物陰から飛び出した。すでにココアパウダー袋のバリケードは数多の銃弾で崩れ、防護壁の体を為さなくなっていた。
それゆえ攻撃は最大の防御とばかりに捨て身で打って出たのだ。
粉袋に弾がめり込む代わりに、今度は「バリバリ」と「パリパリ」との間の、何かが割れるような音が近くで響く。って何で俺の方に向かって撃つのかね。
そして異臭――俺にとっては――が一気に倉庫中に満ち溢れた。
――バニラエッセンスかよ!

思わず足が止まった。それは真衣さんの教室でも一度、香に嗅がされたことがあった。小瓶の中に鼻を近づけるだけでむわっと、官能的ともいうほど甘い薫りに脳髄を鷲掴みにされるような感覚をおぼえた。
甘いがゆえに危険な、俺にとってはドラッグとも同じもの。
途端に本能がアラームを鳴らす。それが何瓶も――下手すりゃ何十瓶も一斉に割れて、その芳香が解き放たれたのだ。脳内に鳴り響くアラームは最大音量――いや、頭の中で巨大な銅鑼が打ち鳴らされているに等しい、それが繰り返し何度も。
当然、平衡感覚も揺らぐ、足元も覚束なくなる。一刻も早くここから真衣さんの許へ駆けつけたいのに――

一方の香はというと、このアーモンドもチョコもバニラも総てない交ぜになった、究極の甘い匂いにすっかりハイになっているようだった。
もともと甘いものには目の無い方だから当然といっちゃ当然だが、この倉庫全体に立ち込める薫りがまるであいつにさらなる活力を与えているかのようだ。
さすがにジャンキーのようにいかれ狂っているというわけではないが、パワー全開というか百人力というか、銃弾もグレネードもばら撒き放題だ。これだけの敵をたった一人で相手にしていても全くめげることはない。

「まだまだぁぁあぁああぁぁあぁあっっ!!!」

マガジンまで尽きてしまったのだろう、腰だめにしていたスコーピオンを放り投げ、背中に斜め掛けにしていたステアーの銃口を瞬時に前へと向け、再び銃爪を引き絞った。しまいにゃバズーカまでぶっ放すんじゃないかと心配になったそのとき、甘ったるい匂いに何か別の、毒々しいものが混じっているのを俺の嗅覚が捉えた。
どうやら肝心のブツにぶち当ててしまったらしい。風穴からさらさらと総て流れ出てしまったら、警察が踏み込んできても証拠を掴めやしない、などということを心配する余裕はなく――視野が歪む。足元が傾ぐ。頭の中の銅鑼は鳴りやまない。
それどころか脈は胸郭を飛び出しそうな勢いで、それに比例してか息は肺にまで届いていないかのよう。背中に妙な汗がじっとりと滲む。その場にくずおれてしまいそうになる――強烈な不快感が全身を覆い尽くそうとする、が、

リョオっ!!

――ああそうだ、こいつは俺にとって甘ったるいだけの女じゃない。
その声は錐のように鋭利でバッドトリップに歪みそうになる俺の感覚をぐさりとえぐる。その痛快なまでの痛みは感覚に正気を取り戻させた。
鮮明になった視野が捉えたのは、真衣さんの手を引いてその場から逃げようとする黒幕の姿。奴の脚にここからマグナムをぶち込む。もちろん彼女の綺麗なおみ足に傷一つ付けることはなく。一方で香は天井に向かって信号弾を放った。
それは屋根を突き破り、冴子率いる警官隊の突入の合図となる。
もちろん俺たちの逃げ道もちゃんと計算済みだ。

……………

………

「――冴羽さん、香さん。本当にありがとうございました」

警察の検証を遠目に見ながら、真衣さんは深々と頭を下げた。
ただのスイーツ教室の教師がこんな事件に巻き込まれて、しかも攫われ人質にされてしまったのだから、こうして助け出されるまでの心境は「心細い」という言葉ですら生温かったくらいだろう。

「いや、おかげで悪党どもの悪巧みを
一つ葬り去ることができたんだ、よく頑張ったよ、真衣さんも」
「いえ、そんな……」

なんて言葉も、下心半分、もう半分は……勝手に口をついて出ちまうんだよなぁ、これが。

「それで、お礼といってはなんですが――」

との言葉に、あわよくばの期待が高まる。いや、もっこりなんてことまでは考えちゃいないが。

「今日はバレンタインですよね」
「あ、あぁ」
「帰ったら香さん手作りのガトーショコラが待ってますよ♪」
「え、あ……あれはあたしと真衣さん合作の――」

チョコレートに掛けたリボンのように真っ赤な顔をした香が割って入る。が、

「あら、わたしは作り方を教えただけで、実際手を動かしたのは香さんでしょ?」
「あ、うん……そうだった、かなぁ……」

いや、別に香手作りのチョコレートケーキが嫌だとかいう天邪鬼なわがままを言うような仲ではもうない。しかし、今日今すぐ帰ったら、というのはできれば御免蒙りたい。未だにココアやバニラエッセンスの余韻で頭がくらくらするのだ、思い出しただけでも。その上アパートにチョコレートが待っていると想像しただけで――ぶっ倒れそうてしまいそうだ。

――撩ちゃん、甘いものはしばらく見たくないもんね〜っ!!【泣】



甘いものの苦手(二次創作共通設定)な撩にとって
今回のミッションはどアウェー極まりないものだったことでしょう【泣】
といってもこのシチュエーション、実はずいぶん前から
バレンタイン用に転がしていたネタだったのですが
やはりもうずいぶん前に、10,000hit記念リクエスト大盤振る舞いの際に
真衣さまから頂いていた
「CHの依頼で余裕たっぷり冷静な香と何故か冷静になれない撩」
というお題を消化できるのではないかとのことで
5年越しのリクエストとなってしまい、大変申し訳ありませんm(_ _)m
お詫びのしるしといってはなんですが、こうして撩ちゃんが
助けに来てくれましたので【苦笑】これにてご容赦を。
って真衣さま、今も読んでくださってるのかなぁ……


City Hunter