めでたくもあり めでたくもなし


お正月だからといって、するべきことは実はあまり無いかもしれない。
せいぜいがおせちやお雑煮を食べたり、駅伝とサッカーの結末を見届けたり、その合間に人波が切れるのを見繕って初詣でに行ったり、という程度だ。
年始回りをしようにも、Cat'sは休業中でプライヴェートでわざわざ顔を出すのも忍びなく、お向かいもかずえさんの実家へ帰省中。要は典型的な寝正月一直線。
それに比べるとほんの数日前まではおせちの準備や大掃除としなければならないことが山積みだったけど、それも年が明けてからのんびりするためといえなくもない。

とはいうものの、元旦といっても特に年が改まった感覚も無く、拍子抜けしたようないつもどおりの朝が過ぎていこうとしていた。あたしはというと、おせちの最終仕上げ――お重詰めと、お雑煮の準備でニンジンやらゴボウやらを切り刻む。
作るものは確かにお正月なんだけど、やってることといったら普段とあまり変わらない。確かに昨夜は紅白を見て、ゆく年くる年も見たはずなのに……そんなとき、

「ふぁあぁぁ、おはよーさん」

もうその挨拶も不似合いな、昼近くになって同居人がようやく起きてきた。

「おはようじゃないでしょ、今朝は」

との言葉も背中で聞き流し、リビングに向かいソファにどっかと腰を下ろした。
そして別刷り&折り込み広告多数の新聞を開きながら、テレビのスイッチを入れる。といっても流れるのはどれもテンションが空回り気味のバラエティばかり。
だからあたしも一旦は消したのだ。

「あ、まだ天皇杯始まってなかったか」
「あんたねぇ、そんな時間まで寝てるつもりだったわけ?」
「いいだろ、一月一日なんだから、いつもよりゆっくりしてたって」
「撩の場合その『いつも』がそもそも遅いのよ」

そういつの間にかいつもの応酬になってしまう。まぁ、その方があたしたちらしいといえばそうなのかもしれないけれど。

「だいたいさぁ、正月だっていっても昔から
『門松は冥途の旅の一里塚』ともいうんだぜ」

なんて撩が言い出すのも、もはや謹賀新年並みの、毎年のご挨拶だった。
確かに、年が改まればそれだけ人生の終着地点に一歩近づくことにもなる。
そう考えれば新年だからといって一概にめでたいだなんて言っていられないのだ。
かつてのように、元日にみんなが一つづつ齢をとる『数え年』ならなおさら、その実感は強かったはずだ。人は誰しもいつか死を迎える。それは自明のこと――少なくとも、あたしたちにとって。そして、死というのはその終着地点でじっと待ち構えているだけではない。あたしたちの後ろに絶えず付きまとい、隙あらばその大鎌を振るおうとしている。それはあたしや撩のような特殊な人間だけの話ではない。
誰の背後にも死神はいる、その気配に気づいていないだけで。

「なー腹減ったんだけど、お雑煮出来てるかー?」
「ごめん、まだこれから。夕飯には出すから
その代わりおせちあるし、それと焼き餅にしない?」

時間が時間なので、あたしもお昼にすることにした。台所仕事の手を休め、ストーブの上からやかんを外し、焼き網をセットする。そして再びキッチンに戻るときれいに詰められた重箱を重ね、リビングへと運んだ――その中に並ぶのは、ほとんどが縁起担ぎの定番メニュー。黒豆は「まめに働けますように」、数の子は「子孫繁栄」、そして海老は「腰が曲がるまで長生きできますように」。そういえば真っ赤なチョロギも「長老喜」なんて当て字があったっけ。
少なくとも重箱の中には、いつか必ず訪れる『死』の影は感じられなかった。
そうやってみな、当たり前のはずの現実から目を逸らす、終わりなき世のめでたさを、と。「終わり」は、誰の上にも必ずやって来るというのに。

――めでたくもあり、めでたくもなし、か。

「おっ。餅っていうより今すぐ一杯やりたいくらいだな」

目の前に並ぶおせちに撩の機嫌が途端に上向く。ったく、単純なやつ。

「お屠蘇はまたあとで」
と湯飲みを目の前に置く。

「撩は5個ぐらい食べるよね」

暖まった網の上に、撩の分とあたしはとりあえず3つ。もしかしたらあいつはこれだけじゃ足りないかもしれないけれど、それは後から追加で焼けばいい。
それと味付け用に醤油と砂糖、海苔ときな粉。あとお湯を入れたボウルも。
その中に膨らんだお餅を次々に放り込んでいくのだ。

いつか終わってしまうのならば、人生なんて虚しいものだと思う人もいるだろう。
でもあたしは違う。どうせ終わってしまうのならば、最後に「楽しかった」と言って終わりたい。限りある生命だからこそ精一杯がむしゃらに、できれば笑って生きていたい。どうせすべては無駄だと儚みながら生きるのと、どちらがより『濃い』人生だろうか。もし来年の正月が迎えられないとしても、だからこそなおさら、今笑顔でいないと。

「はい、焼けたよ!」

とどんどん撩の取り皿にお湯にくぐらせたお餅をのせていく。それをあいつは醤油につけて海苔を巻いて、次々に口に入れていく。まぁ放っとけば硬くなって食べづらくなるというのもあるけど、それにしてもものすごいスピード――って、

「りょおっ!」

言わんこっちゃない、口の中で餅が固まりになって、喉に詰まりかけたのだ。

「お茶お茶っ」
と無理やりに流し込む。幸い、胃の方に流れてくれたようだ。

「もぉ、少しはゆっくり食べなさいね。新年早々
餅で窒息死なんて知れたら裏社会中の笑い者になるわよ」

そんな死に方をすればNo. 1の名声が一瞬で崩壊だ。それに――たとえ明日をも知れない生命だとしても、そんなにすぐに死なれちゃ困る、あたしが。
撩には今年もいっぱい笑ってもらわないと。冥途の旅の一里塚をめでたくもするもしないも、心の持ちよう一つなのだから。

「あ、そういえばまだ言ってなかったわね」
「なんだよ」
「明けましておめでとう、撩」

だから新年は、あたしにとってはいつも「めでたくもあり」なのだ。

「――おめでとさん。今年もよろしくな、香」


「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」
との言葉は一休禅師のものと伝えられていますが
毎年言ってるのは撩じゃなくて店主ですね【苦笑】
なんだか昨年ラストの定点の続きのようになってしまいましたが
お正月なので、そこはなんとかポジティヴに。
先のことは判らないからこそ、今を大切に
そんな「前向きな刹那主義者」でしょうから、撩も香も。
ということで、今年もHard-Luck Cafeをどうかご贔屓にm(_ _)m


City Hunter