あなたを見つけたときに 私が始まっていく |
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帰ってくると、料理の盛りつけられた皿に混じってダイニングテーブルにケーキが2個並んでいた。あ、そういえば今日は26日だったっけか、とようやく日付を思い出す。香が勝手に決めた、俺の誕生日。ここのところは5日後のあいつの誕生日と併せてCat'sでいつもの連中も巻き込んでのバースデイ・パーティーというのが恒例となっているが、今年は生憎(というか幸い?)店主夫婦がもう一つの仕事の方で手一杯だということで、久しぶりに二人だけの誕生祝いになりそうだ。 ――って、おい。何で2つもあるんだよ。それもショートケーキのような切り分けられた1切れではなく真ん丸のが2つもだ。ホールでも最近じゃ小ぶりのものも見かけるが、これは昔ながらのファミリーサイズ、4人家族で分けても後で子供のおやつ用に残る大きさだ。 一つはチーズケーキのブルーベリーソース掛け。香お気に入りの近所のケーキ屋の看板商品だ。甘さひかえめで中は半生の絶妙な触感は、雑誌に載るような有名店にも引けを取らない、とはあいつの弁(俺はそのままのプレーンの方がどちらかといえば好みだが)。そんなわけで誕生日などの祝いの席にはホールサイズがテーブルの主役となり、そうでなくても時折ショートサイズが登場したりもする。 もう一つは今の季節にぴったりの、イチゴがこれでもかとぎゅうぎゅうに載せられたストロベリータルト。その盛りっぷりはこんもりと山になっているほどで、地滑りが起きないようにシロップでべったりコーティング済みなのが、見るだけでさらに奥歯を疼かせる。こっちは完全に香の趣味だろう。 「なぁ、おい」 と、ガス台に向かって俺に背を見せる相棒に声を掛けた。だが、ご馳走作りに余念のないあいつは振り向こうとはしない、「なぁ、おい」は自分の名前じゃありませんよ、と言わんばかりに。じゃあ、そういうんだったら、 「かおりっ」 そうやって俺の好物を並べてくれるのは有難いが、 「なんで2個もあるんだよ」 ようやく最後の1切れまで揚げあがったらしく、それを揚げ物鍋の蓋に載せると、ようやく香はこっちを向いた。 「うーん、それがね……話せば長くなるんだけど」 「うん、それでね、だったら両方買っちゃえーって」 まぁ、どうせケーキなんてのは香の自己満足で、主役の俺は一切れ口にする程度。その残りは全部あいつの胃袋の中に消えることになる。なので出費を含め、あいつがそう決めたのなら俺の口出しすることではないが、 「だな、お前の誕生日もすぐだし」 マジかよ……あいつの誕生日は当然香自身がおもてなしされる側、ということで俺があれこれセッティングして身銭を切らなければならない。 「一つは撩の分だけど、もう一つは――今のあたしの分ってことで♪」 今のあたし――その言葉が胸にずんと響いた。この日が、もともと生まれた日もそのとき付けられた名前も覚えていない俺の誕生日になったのは、決してあてずっぽうではない。数年前の今日この日、俺と香が初めて出逢ったのだから。だがその出逢いさえなければ、香は今頃―― 「撩とあの日出逢わなかったら、今、自分が と、俺の後悔など察しもせずに香は次々と料理をテーブルに並べる。 「だってあの頃のあたしは、本当にやりたいことなんて すでにベンチにどっかと座りこんだ俺の真向かいに腰を下ろし、そう言い切る香の声音は朗らかで、かつ決然としていた。 「でも大人になったら何かやらなきゃいけないから と懐かしそうに視線を宙に浮かべる。まぁ、その頃の彼女というのは想像の域を出ないが、今でもあのパワフルさだ。ファッションデザイナーという、一見突拍子もない非現実的な夢をあの頃から無我夢中で、遮二無二に追いかけていたことだろう。「やりたいことが見つからなかった」という香とは対照的に。 「でも撩と出逢って、成り行きだったけどパートナーとして 俺の言葉に香が噛みつく。 「それだけじゃないでしょ。『もう後が無い』、まともなやり方じゃ そうかもしれない――いや、そう変えさせてしまったのは槇村であり、その妹の香だといえるだろう。それくらいあいつはこの仕事に真剣にのめり込んでいた。 「もし、撩と出逢わなかったらきっとつまんない人生だったと思うな。 それをあいつは「つまんない人生」という。だがそれは、俺が奪ってしまった世間並みの幸福。もし俺と逢うことさえなければ―― 「でもそれって、流されるだけだったんじゃないかな。 「正解」どころか、俺はあいつを裏の世界に引きずり込んでしまったのだ。 俺と香の真ん中に置かれた2つのケーキ。確かに俺と出逢ったこの日に香の人生は始まったのかもしれない。じゃあ、俺の人生は――? ああ、そのとおりだろう。それまでの俺はただ惰性で生きているだけだった、「死んでいない」だけに過ぎなかった。息をして、食って出して、眠るだけの存在。 だが槇村に、そして香に出逢ったおかげで無理やり前を向かされたようなもんだ。でもそれで気づかされた、世の中案外捨てたもんじゃないと。 「――ねぇ、撩は?」 そんな、当の香には知られたくない感慨を見抜かれたかと、らしくもなく狼狽えてしまった。 「ケーキ。ねぇ、どっちがいい?」 ――何だ、そんなことかよ(ほっ)。見ればあいつは小さなろうそくをこれからどちらかに刺そうと構えていた。ついでに、クッキーで作ったと思しき「Happy Birthday RYO」のプレートも。その手に持つろうそくの中で3本だけ少し太めだ。 「貸せよ、ろうそく」 持っているの全部を素直に俺に手渡す。そのうち細い方をいちごタルトに次々と刺していく。まさかの選択に香は少々唖然と俺の手元を見ていたが、円周に沿ってまばらに数本――それは、香がここに転がり込んできてからの年数、つまり「今の香」の齢の数。 「じゃあ次は」 と、チーズケーキの方に太いのを2本だけ。 「あ、こら撩っ」 って、本当はもう一つのと同じ本数でもいいくらいだ。香と共に過ごしてきた時間、それこそが俺にとっての本当の人生なんだろうから。今までも、そしてこれからずっと。 3月26日は店主にとっても記念すべき日です。 Happy Birthday RYO!! ……タイトルは、もちろんAHアニメ版の主題歌から【泣笑】
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