“サンキュー” from London


「あら」

ダイレクトメールに混じって届いた封筒は、赤と青の縁飾りの付いたエアメールだった。心当たりは無いわけじゃない。撩の知り合いは太平洋を渡った先にごろごろいるようだし、あたしの実の姉さんも今はそこにいる。そして今までに出逢った依頼人の中にも、遠く海の向こうに夢を追いかけていった人も少なくなかった。

横文字は決して得意ではないけど、いかにも日本人が書いたような判りやすいブロック体の住所には「LONDON」の文字。それで何となく心当たりは絞れた。大切に上まで持っていって、とっておきのペーパーナイフで丁寧に封を開けると、

「うわっ!」

その声に昼寝中だった撩も一緒に跳ね起きた。
「おい、どうした香」
「このカード、封筒から出すと勝手に開くふうになってるみたい」
「なんだ、ポップアップカードか。驚かすなよ」

でもこの勢いの良さはなかなか破壊的で相手を選ぶ必要もあるかもしれない、心臓に持病のある人はNGとか。そして、その2次元のびっくり箱からは“Thank You!”のメッセージが飛び出してきていた。

「『Dear 冴羽さん、香さん お元気ですか?
お手紙が遅くなってしまいごめんなさい』」
「撩っ」

彼はその勢いで床に落ちてしまった便箋を拾い、読み上げ始めた。それをあたしが引ったくる。撩はその文面を肩越しに覗き込んだ。

現地の語学学校でのレッスンと、その合間に片っ端からロンドン中の演劇学校のオーディションを受けまくり、幸い今の学校に拾ってもらい、そこでの授業に追われてすっかり日本のことを思い出す余裕もないまま、こんな時期になってしまいました。こちらでは日本とは比べものにならないほど過ごしやすい夏も終わり、空はいつの間にかどんよりとした雲に覆われ、あとはどんどん日が短くなっていくだけです (>_<) 少しは学校にもこの街にも慣れたのか、こういう季節にはホームシックというほどじゃないけど、ふと日本のことが懐かしくなります。でもそれは子供の頃過ごした街や、青春を傾けた劇団の仲間のことじゃなく、ほんの1週間も一緒にはいなかった冴羽さんたちのことだから不思議ですね。

「ひとみさん……元気にしてるみたいね」

それは、半年ほど前の依頼人からの手紙だった

ゴールデン街にたむろする売れない劇団員、彼女もその一人だった。
アルバイトで生活費と活動資金を稼ぎながら、酔っては「いつか同じ新宿の紀伊国屋ホール!」とくだを巻く。でも口だけはそんな威勢のいいことを言っているにもかかわらず、「売れない」が頭に付く今の現状を誰もぶち破ろうとはせず、そんなもんだと済し崩し的に受け入れてしまっているようなぬるま湯の毎日――同年代は真っ当な社会人として働き、中には結婚している子もいるというのに。
そこから抜け出すために彼女はひとり立ち上がった。演劇の本場・イギリスに行って、そこで一流のレッスンを受け、一流の舞台女優になると。だが――それにはまず先立つものが要る。といってもそれだけの額を一朝一夕に得られるものではなかった。

でも――冴羽さんたちに出逢えたからよかったものの、今でもあの頃の自分に思いきり「バカ野郎!」と言ってやりたい気持ちでいっぱいです。そんなに旨い話があるわけない、簡単に大金が稼げるなんて絶対裏があるに決まってる、そんなの判っていたはずなのに、なんで……。

彼女が乗った儲け話は、案の定というかやはりというか、犯罪の片棒担ぎだった。それに気づいてしまったひとみさんの葛藤はいかばかりだったろうか。そこから抜け出したい、そして、この悪事を明るみに出さなくては――でも、そうなればたとえ騙されてだったとはいえ、その「共犯」であった自分も無傷じゃ済まない――

バイト先の飲み屋で、噂に聞いたXYZ。でも半信半疑で数日間、新宿駅の伝言板の前でうろうろしながら結局書けずじまいでした。そしてあの日、同じように伝言板の前で行ったり来たりを繰り返していたときに偶然、香さんに出逢わなかったら――私はこうして今、夢を素直に追いかけることはできなかったはずです。本当にありがとうございました。

「そうそう彼女、あたしが伝言板チェックしてるのを見つけて
すぐに泣きついてきたのよ」

そこから先は、いつものお手のもの。冴子さんやミックも巻き込んで(また借りを盛大に増やしてしまったのだけど)犯罪集団の所業を白日の下に曝け出してやったのだ。むしろ、手を焼いたのは“アフターサービス”の方だったかもしれない。
それまで、それどころじゃなかったりそんな気になれなかったりで手を付けられなかった留学準備――ビザの取得や航空券の手配なども同時進行で進めなければいけない中、ひとみさんからすっかりやる気が失われてしまったのだ。

連中を一網打尽にしてくれたこと、なおかつ私を含め、何も知らないで働いていた子には警察の手が及ばないようにしてくれたことはいくら感謝してもしきれません。それでも――いくら騙されていたとはいえ、私のせいで辛い思いをした人がいるという事実に、本当に私は今まで何も無かったように勝手な夢だけを追い続けていいのかと自分を責める気持ちに押し潰されそうになっていました。けれど、冴羽さんの慰めと励ましがあったから私はもう一度前を向いて、笑顔で日本を旅立つことができました。

「慰めと励ましって、彼女に何をしたのよ」

いつものように彼女に露骨なモーションをかけていただけに不安になってくる。

「何って、屋上で思いっきりひとみちゃんに思いの丈を叫ばせただけだって。
即興演技っていうやつ? いやぁ、あれは凄かったなぁ【笑】 堰を切ったみたいに
『そりゃ大金巻き上げられた人もいるけど
こっちだってあいつらのおかげで
人生狂わせられそうになってる被害者なんだぞぉおおっ!! あたしの人生返しやがれ
このすっとこどっこいの業突く張りの、
守銭奴の大馬鹿野郎がぁああっっっ!!!』
ってww
 『自分』のままだとどうしても言えなくても
『役』の仮面を被れば言える本音ってのもあるしな」
でも、そのおかげで彼女は晴れ晴れとした顔で出発できたのだ。

けど、一度つまづくとその後は何をやってもうまくいかないというか、当日は空港行きのバス乗り場まで間違えてしまって、結局予約していたバスには乗れなくて冴羽さんのミニクーパーでパトカーに追われながら成田を目指す羽目に……おかげで最後の最後まで、冴羽さんたちにはドキドキハラハラさせてもらいました。それも今となっては良い思い出です。

と言えるほどに。

さて、ロンドンでは毎日が演劇漬けと言っていいほどです。もちろん授業では実地だけでなく、座学でも「役柄の正しい理解」や「シェイクスピアから始まる演劇の歴史」など勉強することが山ほどありますし、外でもせっかくのロンドンですから学割を使ったり、演劇学校への入学が決まる前からも、半額のチケットを手に入れるのに長蛇の列に加わったりして舞台観賞漬けの日々です。といっても一番遠くて安いバルコニー席とかですけどね。しかも演目も、英語の台詞で筋書きを追うので精一杯だと演技なんて気にしてらんないですから、日本にいるときから嫌というほど原文を頭に叩き込んだシェイクスピアばかり。でもさすが本国、いつでもウェストエンドや小劇場などで必ず何本かやっているので、それをときには同じプロダクションで何度も見に行ったりしています。もう少し英語力がつけば他のお芝居も見に行けるのですが……。

「いくら安い席を選んででも、こんなにお芝居ばかり見ていてお金が続くのかしら」

と、お金のことでトラブルに巻き込まれただけあって、心配になってしまった。
もっとも、悪党どもが詐欺紛いのやり方で集めた泡銭のうち、被害者へ弁済してもまだ残ったものを当座の留学費用に充ててしまったのだけど。

幸い、ミックさんから紹介してもらったWeekly Newsロンドンオフィスのバイトのお給料で、なんとか生活はできています。ほとんど使い走りのような雑用ですが、締め切り間際になると編集部は修羅場で、こっちも英語で怒鳴りつけられたりといったとばっちりを受けることもあります。ただ、お給料の額を現地の同級生にこっそり話したら驚かれました。けど今は勉強のために、相部屋の安い学生寮住まいで、食事もリンゴと自分で作ったハムサンドとかで節約しながら、空いたお金でせっせと劇場に通って刺激を受ける毎日です。

今度は彼女の身体のことまで気がかりになる。

(自炊で日本食というのもロンドンに来てすぐは考えましたが、こっちだとしょうゆなど日本の食材が高いので夢のまた夢です)
というのも、入学してまだひと月ほどですが、イギリスの学生との実力の差を思い知らされてばかりだからです。確かに日本で10年劇団員を続けてきましたが、演技の勉強といったら先輩から教わったものくらいで、先輩もそのまた先輩から……という頼りないもの。それ以前に、向こうでは小さい頃から自己主張というのを教え込まれているので、実技の授業の押しの強さはもちろん、座学でも積極的に考え、自分の意見を述べようとしているので、ただただ考えることに時間ばかり費やしてしまう私はどんどん引き離されているように感じてしまいます。

さっきから心配ばかりしているせいか、ありありと目の前に浮かんでくるようだ。
鏡張りのレッスン室で、または車座になった教室で(洋画によく出てくるような)他の生徒の中に割って入れない、小柄な大和撫子の淋しそうな姿が。

そんなときにはいつも私は、空を見上げることにしています。古い建物やビルのひしめくロンドンの街中でも、テムズ川に架かる橋の上には空がぽっかりと広がっています。それをぼんやり眺めながら、この空はあの東京の、新宿の空にも繋がっているんだなぁって。そして、同じように香さんも自分の夢を追いかけてるんだから、約束を叶えるためにも私も負けちゃいられないって勇気をもらっています。

「なぁ香、約束ってなんだよ」
「あら、言ってなかった? ひとみさん、凱旋公演には
必ずあたしたちを招待するって」
「ああ、そのことか」

と面倒くさそうにつぶやく。あっちの芝居ってドレスコードとかうるさいんだよなと。
でもその約束にはもう一つ、対になる片割れがあった。

「じゃあ、香さんの夢ってなんですか?」

屋上の上で、彼女はこう尋ねた。自分の夢は、いつかイギリスでもトップクラスの舞台女優になって、その名声を引っ提げて日本の舞台に立つことだと答えてから。

「あたしの夢かぁ……やっぱり、撩に相応しいパートナーになることかな」

これしか思いつかなかった。あたしの20歳のときからの、今も途上の永遠の目標。

「じゃあ、お互い頑張りましょうね!」

そう笑顔で指切りした、あの空をテムズのほとりで思い出しているのだろうか、彼女は。表舞台と裏の世界、全く選んだ道は正反対でも、志だけは同じ高さに見据えて。

それに、私にはもう舞台しかありませんから。騙されたとはいえ結果的に、誰かを傷つける共犯になってしまったのも、総ては役者としてもっと上を目指したかったからでした。ならば中途半端にそれを投げ出してしまうよりは、他の全部を投げ打げうってでもこの夢を貫き通すのが私にとっての償いだと思っています。

「判っているんだ、彼女は。本当のライバルは
クラスメイトじゃなくて、自分自身だって」

手紙からいったん視線を外し、撩が言った。

「周りが彼女より巧いんじゃない、『巧く見える』だけなんだよ
弱気のフィルターを通せば」

その言葉はあたし自身の胸にも突き刺さる。劣等感に怯えているのは同じだから。

「だってひとみちゃん、あんなに魅力的なんだぜ?」

とあたしに笑いかけながら口にしたその言葉は、男目線のそれではなかった。
確かに最初は、これじゃ「売れない」が頭に付くのは当然だというほど表情は硬く、ぎこちなかった。でもそれは不安と恐怖に怯えてのもの。目の前の難題が一つづつ消えていくたびに、彼女は持ち前の明るさ、表情の豊かさを取り戻していった。取り繕ったり、何かを隠したりすることのない、有るがままの喜怒哀楽。それはまるで雲一つない、澄み渡った青空のような。

「人を惹きつける素質は充分さ。あとはそれを
どう客席に伝えるかだ。きっとその方法を、ロンドンで見つけてくるだろうよ」

その機会が得られたのも、冴羽さん、香さんのおかげです。本当に、本当にありがとうございます。今はこうして遠く離れてしまっていますが、私にとって二人は大切な恩人、そしてかけがえのない友達です。お世話になって、一緒に過ごした日々のことを一生忘れません――

リビングの窓越しに見える、そろそろ秋晴れといってもいい空が、心なしか潤んでいた。きっとひとみさんとは二度と逢うことはないだろう、他の依頼人と同じように。たとえ凱旋公演のチケットが贈られても、その席は2つ並んで空いてしまっているに違いない、どんなに特等席だとしても。それでもあたしたちにとって彼女は――彼女も、やはり大切な友達なのだ、たとえ住む世界が遠くなってしまおうと。

「ねぇ撩」
「ん?」
「みんな元気かな」
「みんなって?」
「みーんなよ」

この空の下、もう逢えない「友達」がたくさんいる。出逢いの数だけの「ありがとう」を残して、みんな別れていった。二人のおかげで夢を叶えられた、もう一度前を向くことができたと。でも、あたしにとってもそれは、同じ数だけの「ありがとう」なのだ。
そう言ってもらえたおかげで、この仕事をやっててよかった、挫けて諦めないでよかったと。

「みんな元気に頑張って、自分の夢追っかけてるさ」

そして撩はあたしの頭をそっと抱き寄せた。あたしもその「みんな」の仲間に加えるように。
――忘れないよ、みんな。ずーっと。だってあたしたちは
今も、かけがえのない友達なんだから。


featuring TUBE『サンキュー』(2006“B★B★Q)

10年前、アルバムを初めて聴いてすぐ、この曲は
依頼人から撩たちへ宛てられたものだと思いました。
(こういうシチュを自力では考えもつかないシチュが浮かぶのも
歌ネタの醍醐味でもありますw)
そしてこのゲストヒロインのモデルは当時、店主だったはずでした【爆】
なのに10年経った今、留学の夢はどこかに行ってしまい
あろうことか会社勤め(!)をしながらこれを書いています。

CH’を始めた当時、サイトを通じてお付き合いのあった方の
ほとんどがすでに連絡が途絶えているというか
ここ数年コメントでも名前をすっかりお目にかかっていません。
そのことを恨みに思ったこともありました。でも
もうそんな遣り取りを交わすことが無くなっても
「友達」であるのは変わりはないのかもしれません
少なくとも撩と香にとって、依頼人の女性たちが
いつまでも心の中で、大切な友人であるように。
なので、かつてのご贔屓様と分かち合った想い出を大切にしつつ
これからも当Hard-Luck Cafe、精進していきたいと思います。


City Hunter