裸足のFortuna

何でそんなことをしようと思ったのかも忘れてしまったんだが、引き出しのカセットテープの中から一本引っ掴んでみたそれは、鉛筆書きのラベルの文字も判読できないほど薄れていた。仕方がないので中身を聴いて確かめようと、デッキに突っ込んでみたところ、

「――懐かしいな」

もう30年ほど前のものだろうか。あの頃、夏中ずっと愛車のオーディオ(当時はクーパーではなくCR−Xだった)に納まっていたカセットだった。
若気の至りと紙一重の荒削りなハードロックと、それを感じさせない瑞々しい、だがパワフルなヴォーカル。とはいえまだまだ彼らも発展途上、LPが出るたびに進化を遂げていくうち、まだ未熟さの残る1stアルバムはいつしか引き出しと記憶の隅に追いやられたというわけだ。
ちなみに我が家ではカセットテープはまだまだ現役。というのもクーパーではラジオとそれしか聴けないからだ。MDすら使えず、最近のダウンロード音源は言わずもがな。なので車の中でも聴きたい曲はCDで買って、それをカセットに録音するという作業を今も経なければならない。

匂いには人の記憶を呼び覚ます効果があるというが、それには劣るとも音楽にも同じことが言えるはずだ、プルーストのマドレーヌのように。
売り切れになった誘い言葉が、時計の針を巻き戻すように思い出させたのは、ちょうど30年前のあの夏だった。

「――海に行きたいぃ?」
「だってまだ今年一回も行ってないだろ?」
「プールには行ったろうが」
「あれは仕事じゃないか」
と、前髪同様に香が口唇を尖らせた。

「パレオの中に銃が仕込んであるから、結局水の中には入れなかったし」

そう、竜神会の組長に呼び出されたが交渉決裂、1億せしめてそのままトンズラしてしまったのだ。もっとも、急所は外したとはいえ血を流す怪我人がぷかぷか浮いてるプールに入りたいという奴はいないと思うが。

「誘ってくれる友達はいなかったのかよ」

まだこの頃は昔の、カタギの友人とも誘われるままにほいほいと遊びに行っていたようだ。一度は俺を放ったらかしにしてスキーなんか行っていたし。

「それがさっぱり。大学行った子はバイトだサークルだって忙しいみたいだし
就職した子はやっぱり仕事だし」

あ、それで仕方なく俺に白羽の矢が立ったってわけね。と考えが至ればおのずとテンションも落ちてくる。だが、そこを狙い澄ましたように、

「海には水着のもっこりちゃんがいっぱいだと思うんだけどなぁ……」

普段俺のナンパをとっちめる側からしてみれば不本意千万という表情で、ちらちらとエサを目の前にちらつかせてきた。それが生餌か疑似餌かはこの際関係ない。が、それでも重い腰を上げる決め手とはならなかった。

確かに露わな肌も目に眩しい水着姿の美女には心惹かれるものがあった。
だがそれ以上に夏の日差しが眩しすぎるのだ、俺には。
だからビーチにはとんとご無沙汰だった、グラビアの背景は別にして。
所詮は夜の、闇の住人。同じ胸の谷間でも、薄汚れた都会の盛り場で商売女のそれを覗き込んでいる方がよっぽどお似合いなのだ。
ああいう健全な、健康的な世界は俺の居場所じゃない。
そこはもっと純粋で真っ直ぐで――そう、香のような人間にとっては相応しい場所だろう。が、一歩俺が足を踏み入れれば、まるで日向のドラキュラのように灰になって消えてしまうに違いない――

が、引っ張り出されてしまったのだ、結局。夏の海と太陽のもとに。
香にしてみれば、もっこりちゃんを追いかける俺を追いかけてばかりで、楽しむどころではなかっただろうけれど、いつしかそれは毎年のこととなっていった。
一枚ずつ増えていくカセットのように。
それまで俺の世界に真夏の太陽なんてものは無かった。それを連れてきたのは、他でもない香だった、眩しい未来とともに。

あいつがいなければ、俺は野良犬のように夜の闇の中を彷徨っていただけだっただろう。もしかしたらとっくの昔に生命を落としていたことだってありうる。
でも俺は今、こうして生きている。
それは単にラッキーの積み重ねだったのかもしれない。でもそんなツキに恵まれ始めたのもきっと香に出逢ってからだ。いや、ツキばかりじゃない。それだけならただその日その日を生き延びるだけの、今までと何も変わらない生き方だっただろう。
だが、あいつが教えてくれたのは――希望。どんなに厳しい冬もいつかは終わり、陽光溢れる春が、そして眩しいばかりの夏がいつかはやってくると。
冴羽撩という人間の、止まっていた運命の歯車が大きく動き始めたのは、香に巡り合ってから。あいつは俺の――

「あら、『サンディー』じゃない、懐かしー♪」

バラードの音色に誘われたのか“幸運の女神”がひょっこり顔を現した。
つんつんした前髪こそ大人しくなったものの、飾り気のなさも含めて相変わらずだ。
もちろん太陽のような笑顔も。それと一緒に浮かぶカラスの足跡は、ご愛嬌といったところ。

「この歌って大人っぽいから、撩の隣で聴くたびに
いっつもどぎまぎしてたんだよなぁ」

なんて言いながら、無防備に肩に身を預けてくる。その変わらない細い肩をさりげなく抱き寄せる。

「それがまぁ、どうして」
「何よ、すっかり図々しくなったとでも言いたいわけ?」

上目づかいで俺を見遣る。子供っぽく尖らせた口唇はあの日と変わらないが、ウブな少女を魅惑的な大人の女に変えるほど、あれから長い年月が経った。
また違うカセットをかければ、違う夏の記憶が蘇るだろう。
暑い夏、寒い夏、楽しい夏、辛い夏――全部まとめて30の夏を二人重ねてきたのだ。そしていつも、その夏の香に恋をしながら。

「なぁ香、これから海に行かないか? 天気もいいことだしさ」

全曲が終わったカセットを取り出してケースにしまい、ポケットに納めた。この夏の最新盤はすでにクーパーの中でフル稼働中。でもテープ1,2本で着くほど海は近くはないのだ、残念ながら。

「え、ちょっと、これから?」

まぁ、あいつにしてみれば水着だ何だと準備のことが頭をよぎるのも当然だ。
でもそんなものは無くたっていい。太陽と海と、この腕の中に香さえいればいい。
目指すはあの夏、二人初めて行った海岸。今年の香と、恋をしに。



featuring TUBE『裸足のラッキーガール』(“Your TUBE+My TUBE”2015)
アルバムリリース前、武道館の30周年記念ライヴでの初聴きで
今年の暑中見舞いに即決でした♪ が、残暑になってしまいましたが……

  Oh My Summer Days かなり荒れ果てた僕の渚に夏が来た
  太陽を連れて 未来を連れて 裸足で駆けてきた天使


なんて、まんま撩と香のたどってきた歴史だなと。
30年の夏を一気に駆け抜けるような歌詞が
自ずと二人の歳月を重なる、彼らのこの曲を置いて
この夏の暑中/残暑見舞いはないでしょう!!
というわけで、31度目も、32度目の夏も

二組ともども現役でお願いしたいものです♪


City Hunter