1982年元日〜あるいは弁財天の誕生 |
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社会人になって初めての新年は、意外なほどいつもどおりだった。 妹たちと並んで父の「有難い」話を聞き(普段家に寄りつかない次妹も、残り364日引き合いに出されないためだけに顔を出したようだ)母がお手伝いさんと年末いっぱいかけて作ったおせちをつつく。ただ、惰性でお年玉が出そうになったのだけには閉口したけれども。 しかし、今年の私には行かなければならない所があるのだ。 一度も外で働いたことのない母は「せっかくなんだから晴れ着でいいじゃないの」と言われたが、そんな格好で出かけてしまってはようやく薄れてきた「お嬢」のあだ名がまた復活しかねない。カシミアのコートを羽織ると、元日早々車のハンドルを握った。 ここに来たのは、管轄内とはいえ初めてだった。 「――なぁ、おみくじどうだった?」 隣の若いカップル――もしかしたらどちらもまだ10代じゃないだろうか――が人ごみの中で肘をぶつけ合う。 「あたし大吉ー」 そんなやりとりも今日は微笑ましかった。 現地の警備本部は社務所の一角に設けられていた。雅な本殿とはうってかわってのコンクリート造りの建物、その一室が警察のために割り当てられていた。 「――つまり、賽銭箱に辿り着くまでに被害に遭ったということですね」 はい、という代わりにそれが精一杯というように、女性は弱々しくうなずいた。そして膝に置かれた手だけが悔しそうにスカートを握りしめる。和服でこそなかったが正月らしい一張羅が、居並ぶくすんだ色の刑事たちと相まってますます彼女の窮状を際立たせていた。腕章をはめた槇村の手は膝の上の帳面の上を滑らかに走っていたが、時折その動きを止めて彼女の方を見遣り、真っ直ぐ目を見てその消え入りそうな声を親身に受け止めていた。 「見つかりましたらすぐに連絡いたします。 女性が立ち上がるとそう彼も立ちあがって、深々と頭を下げた。それに合わせて彼女も頭を下げると、さっきまで深くしかめていた眉を少しだけ緩め、部屋を後にした。 「思ったより忙しそうですね」 と言うと槇村はさっきまで被害者が座っていた席を勧めた。 「槇村さんが忙しくしてるのに、わたしばっかりゆっくりしてちゃ悪いでしょ。 と菓子折りを差し出し、他の刑事たちにも会釈する。決して高いものではないつもりだが、カシミアのコートと相まって場違いな居心地の悪さを感じずにはいられなかった。くすんだ色の刑事たちの視線が痛い。もはや頼りは目の前の相棒兼師匠しかいなかった。 「そうはいっても、ほとんど盗犯係の手伝いってところだからな。 ああ、道理で。見慣れない顔だと思ったら。 「まだ境内をうろついていれば彼女の財布も返ってくるだろうけど そうしかめ面で腕組みをしたかと思うと、 「ああ、すまない」 と言って、盥の中から缶コーヒーをつまみ出した。常にぐらぐらと火にかかっているから、いい保温になっているらしい。 「熱いから気を――」 それに金属だから、当然手のひらでしっかり掴むには熱すぎたはずだ。そんなことにも気づかずに受け取ろうとしたので、慌てて床の上に落としてしまった。 「あっ、ごめんなさい」 そう槇村は、ハンカチでくるんで拾い上げると、今度はそれごと手渡した。 「今日は、妹さんは?」 さっきまでの落ち着き払った刑事ぶりはどこへやら、見る見るうちに表情に暗雲が立ち込めていった。彼とはすでに1ヶ月コンビを組んでいるけど、こんな顔をした槇村刑事を目にするのは今日が初めてだったので、おかしいどころかむしろ呆気にとられてしまった。彼が、あの槇村さんが妹のことになるとこんなに冷静さを失ってしまうのかと。 「――あ、いやすまない」 そう、それを聞きたかったのだ。もちろん、そのためだけに今日ここに来たわけではない。それでも26日以降、数日間チャンスはあったのに、その顛末はとうとう聞けずじまいで年が明けてしまったのだ。 「それで、どうでした?」 質問には質問で返されてしまった。てっきり、私の想像では友達と楽しく過ごしていたと思っていたのだけど…… 「友達の一人がケーキ屋の娘でね、 もっとも、ほんの一日だけの手伝いなら労基法も関係ないと思うんだが、と呟くと、彼もすでに口を開けていた缶コーヒーを口元に運んだ。そういうところはきっと、妹さんも兄に似たに違いない。 「それで帰ってきて言ってたよ。最初のうちは外でずっと立ってたから寒くて それは、可愛い妹の小さな成長を誇らしく語る兄の些細な自慢話に過ぎなかったかもしれない。でもそれ以上にその言葉は、私の胸の中にずしんと、鉛のように重く響いた。 「俺たちのクリスマスだって似たようなものさ。 ――クリスマスは家族で過ごすもの、それができないのは可哀そうと思い込み、お節介にも休みを譲ってあげた自分が、今さらながら恥ずかしく思えた。 「――まるで、サンタクロースね」 そんな私の内心の動揺を、あの槇村はさらりと受け流した。いや、彼なら気づいていないはずがない、判っていて敢えて気づかないふりをしたのか―― 私はもう飲みごろになった缶コーヒーの残りを一気に流し込むと、やおら折りたたみ椅子から立ち上がった。 「槇村さん、腕章はある?」 それは彼をはじめ、警備の私服刑事が巻いているものだった。 「あるにはあると思うが……」 今日は非番だろうと言いたげな彼を視線で制した。 「だってわたしも今日は、帰って美味しいお屠蘇を飲みたいもの」 その言葉に槇村刑事は、苦笑いを浮かべながら余りの腕章を一つ差し出した。 実はクリスマスの際「家族と過ごせないクリスマス=可哀そう」という いくらそれが世間一般の“定型”とはいえ 自分が常日頃考えていることとは正反対の偏見をもとに ストーリーを展開してしまったことの反省がありました。 それについてあげつらうこともできましたが 駄文書きの端くれなら作中で語るのが筋かと。 というわけで半分以上クリスマスのときの話になってしまいましたが【苦笑】 詰所内の光景はあくまで店主の想像の産物ですが これがどこの神社だか、新宿ラヴァーな方なら 描写で判ってしまいますよね……
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