無い袖は振れぬ

「もうすぐバレンタインかぁ……」

通りのショーウィンドウも、お正月ムードが抜けたと思ったらもう1ヶ月以上先の「恋人たちの一大事」モードだ。最近じゃ近所のスーパーもチョコレートの特設棚を設け始めていた。

まぁ、今年も歌舞伎町の綺麗処から山ほど頂けるのは確実だろう。
もちろんチョコ獲得レースNo. 1を死守するのは間違いない
(最近はあの金髪野郎も追い上げてるみたいだが、俺が10年以上かけて築いてきた地位をほんの数年で並ばれてたまるものか)
だが、俺の心配は――そもそも貰えるんだろうか、あいつから。

正月の着物de新年会からすっかり香は着物に夢中になっちまっているようだ。もちろんあんな高いもの、気軽にと買えないし買うほどあいつも馬鹿じゃない。だが、小物周りがいろいろ物要りのようで、やれ足袋だバッグだハンカチだポーチだ……って、それは別に洋服用のを流用してもいいんじゃないのか?
以前じゃその前を素通りしていた地下街の瀬戸物屋が、いつの間にか和風雑貨も扱うようになっていたので近頃じゃ香はその前を通るたびに店の中に入り浸っては、千代紙みたいな柄のあれやこれやに目を輝かせていた。
もちろん携帯用ミラーや小銭入れなどはすでに普段使いのがあるのだし、わざわざ着物と洋服用で使い分けるのはかえって無駄遣いだろうが。前にそう言ってやったら、

「別に欲しいわけじゃないし、欲しいと思ってももちろん買わないわよ。
もうあるんだし。でも『いいなぁ』って思うのだけはいいでしょ」

とムキになって言い返された。現に、その店で香が買ったのはがまぐち型の印鑑入れ一つだけだ。「仕事上、ハンコの出番も多いものね」と言ってちゃんと日常使いしているようだが、そもそもハンコにそれ用のケースが必要なのか、といったら型押し細工のトンボにせせら笑われるかもしれないが。

そんなわけで今のあいつは自分への買い物に夢中なのだ。
この調子じゃショーウィンドウも見逃してもうすぐバレンタインということも気がつかないんじゃないかと気が気でない。
まぁ、チョコレートくらいだったら今年も貰えるだろう。香特製の甘さ控えめ。
最悪、知り合いにばらまく小袋のおこぼれだっていい。だがそれプラスアルファを期待するのは野暮ってものだろうか。

そんな俺の心配などいざ知らず、ずいぶん前から香は家では暇さえあれば毛糸玉と棒針に相対していた。それもまた我が家の風物詩、最近肌寒くなってきたなという頃からどこからともなく編み物道具一式を引っ張り出しては、冬中ちっちくやっているのだ。
――俺の心を千々に乱しているのは、その色なのかもしれない。舌に乗せればこっくりととろけるように甘そうな、チョコレート色。それを見るたびに「本物もお忘れなきよう!」と俺を通して警告してくる。もっとも、当の本人がチョコレート色の毛糸だけで充分満足してしまっている危険性も無きにしも非ず。
それにしても、いったい何を編んでいるのだろうか。もうずいぶん前からその色の毛糸しか目にしていないような――それこそ、年が明ける前から。
もちろんうちには俺と香しかいないからそのどちらかのため、なんだろうけど近頃では腕を見込まれて頼まれものも引き受けてきたりする。
それ以上に香が夢中になって、でも楽しそうに編み針に没頭している姿を眺めていると、声をかけるのもはばかられてしまうのだ。

そんなもやもやを抱えながら香の“内職”を静観していた折、やおらあいつがソファから立ち上がると、ダイニングのベンチに座りながらバーボンをちびちびやっていた俺につかつかと歩み寄ってきた。
手には件の編みかけのブツ、まだ片側に棒針が通ったままだ。
そして、そのチョコレート色の元毛糸玉をふわっと俺の肩に巻きつけた。幅1メートル未満、長さは俺の背丈よりは短いか。

「あんまり動かないでね。棒針が抜けるとまたやり直しだから」

と言いながら香はしきりと長さを気にしていた。
ざっくりとした太めの糸で編まれたそれは、しかしながらみっちりと隙間なく、これならちょうどアパートの外壁を叩くように吹いている夜風の中を歩いていっても平気なくらいだ。ブラウンの単色だが、まるで織物か籠の網目のような、いわゆる「網代文様」――あいつのおかげでずいぶんと詳しくなっちまったもんだ――が全体のいいアクセントとなっていた。

「ちょっと長いかなぁと思ったけど、やっぱり撩だとこれくらいで
ちょうどいいかな。よし、これでフリンジ付けちゃおう」
「――マフラー、か?」
「そう、だけど」
「誰の」
「あ、あんたに決まってんじゃない!」

と一転、顔がいきなり真っ赤になる。とまぁよくも一瞬にしてこんなに色が変わるもんだ。

「バレンタインの内職で一稼ぎできるにしても、それで自分のプレゼントが
用意できな
いようじゃ引き受けたりしないわよ」

そう言いながら俺の首からはらりと未完成のマフラーを外す。

「なぁ、これだけじゃないだろ?」
「当たり前でしょ。ちゃんとチョコだって準備してますっ」

そう真っ赤な顔でなぜか拗ねたように言い放つ香がやけに可愛らしくて、いじり倒したくなってしまう。だが――待てよ。ずいぶんたっぷりめのマフラーにしても、香の器用さからすれば一月もあれば充分編み上げられるはずだ。
それを何で昨年のうちから……。
思い立ってベンチから立ち上がると、さっきまであいつの座っていたソファの傍ら、毛糸などの入った籠に近寄り覗き込んだ。同じチョコレート色やらまた違う色やらの毛糸玉の奥に、やはりチョコレート色の何かが見えた。
毛糸ではない、「元」毛糸だ。

「あっ、ちょっと勝手に見ないでよ!」

躍起になって香が俺の手を止めようとするが、それでも俺は籠の中からそれを引きずり出した。同じ網代文様の、これからマフラーがそうなるように両端に同色の房飾りがついている。ただし、その幅はマフラーの倍近くはあるだろうか。

「なんだよ、これ」
「……ストール」

見りゃわかる。というか名前は判らなくても、肩とかに巻きつけて使う防寒用の何かであることは想像がついた。ショールとか、角巻とか。

「誰の」
「――あたしの」

着物の防寒は選択肢が限られる。上着の種類もそれほど無いし、それよりはこうして巻きつけるものの方が便利だし暖かいのだろう。でも、それが既に出来ていて俺のが後からということは――

「なぁ、かおりぃ」
「な、なによっ」
「もしかしてこのマフラー、ストールの毛糸が余ったから、
とかじゃないだろうなぁ?」
「ちっ、違うわよ!最初からペアで編もうと思ったの!
そりゃ、あんたはそういうの好きじゃないし、だから隠してたんだけど――」
「だったら簡単な方から先に済ませた方がよくねぇか」
「大変だったから先にやっちゃおうと思ったのよ」

それでもなぜか、さっきまでとは違うもやもやがぬぐいきれない。もちろんそんなことたわいなくて、場合によっては理不尽なものなのかもしれないけれど。
なんだか無性に納得できない、しきれない。バレンタインの特製チョコレートくらいでは。

――こりゃあ当日は、チョコより甘ーいスペシャルプレゼント、だな。
そっちは甘ければ甘いほど大歓迎なのだから。

というわけでハッピー?バレンタインですw
キモノを始めると、趣味が変わるというか広がるというか
今まで気に留めなかったものが欲しくなってしまうんですよねぇ。
おかげでもともと財布の紐が固かったはずなのに
そっち方面ではついつい緩んでしまいます。もちろん本体でも【泣】
でも、カオリンはちゃんと撩ちゃんのこと忘れてませんからね!
ついで……と思われても仕方ないのかもしれませんが【苦笑】


City Hunter