京の着倒れ、難波の食い倒れ

いったいどれだけ「鶴の恩返し」状態になっていただろうか。
年末にかけて大掃除・買い出し・おせち作りと忙しい合間を縫って着付けの所要時間の短縮に努めてきたが、結局2時間もかかってしまった。
もっとも、これでも一応自分の実力というのは見極めているつもりだ。時間に間に合うようにすべての準備を整えてから着付けを始めたのだから。
それでも、帯だって結びやすいように全通、つまり前後の見えるところだけではなく全体通して柄の入っているのにしたのにこのザマだ。今度こそもっと時間短縮を目指さなければ――って今日が本番であったはずなのだけど。

今日は元日、一月一日。お店が休みのこの日に(といっても最近では一日から開いている店も増えてきてるそうだが)Cat'sではいつもの面々で新年パーティーを開くのが恒例になっていた。
一応、ホスト夫妻の負担を減らすために持ち寄り式にはなっているのだけど、パーティーの主役であるおせちとお雑煮(それもエビの乗った伊集院家伝統の味!)は美樹さんたちが用意しているのだから結局は一番の功労者だろう。
とはいうものの、ミックとかずえさんは和風だけでは物足りないだろうとアメリカのご馳走の定番、ローストチキンをまるまる一羽持ってきてくれているし、
冴子さんは某老舗和菓子店のお年賀限定の餅菓子を差し入れ
(麗香さんはそれに便乗し;苦笑)それに対抗すべく、といっても勘当中の女子大生は手間暇で勝負ということで
かすみちゃんも手作りのケーキを持ち込んでくれるのが半ばあたしたちの間での定番の役割分担となっていた。
そして当冴羽家は、撩の呑兵衛ぶりを見込んでかメインとなるお酒の選定を任されている。といってもやる気のない目利きをよそにあたしが近所の酒屋さんと相談のうえでちゃんと購入済みだ。しかも一升瓶を持ち運ぶ際の風呂敷包みのやり方まで丁寧に教えてもらって。

「かおりぃ、もう開けていいかぁ?」

ドアの向こうから待ちくたびれたような間の抜けた声が響いた。
何とか帯も結べたし、帯揚げも帯締めもそれなりに様になっている。髪型の仕上げはまだとはいえ、メイクも着付け前に完成済みだ。もう大丈夫だろうと、最後に姿見の前で左右斜めになって確かめた。
もっとも、着物の場合は洋服と違って、どこまでが“下着姿”として、見られて恥ずかしいものかはよく判らないのだけど。

「あ、うん。もういいよ」

すると、件の風呂敷に包まれた一升瓶2本、計2升をぶら下げた撩が、のっそりとあたしの部屋に首だけ突っ込んだ。今回は(といってもこの面子だといつもそうだけど)女性の出席者の方が多いので、撩たちの好みは無視してフルーティで飲みやすいものをチョイスした。

「何時スタートだった?」
「4時って言ってたけど、ああ、Cat's集合じゃないわよ」
「えっ?」
「せっかく着物なんだから、まずはみんなで初詣に行こうって4時に花園神社に」
「着物って、それはおまぁらだけだろ」

当然、正月は初詣客を見込んだ屋台が軒を並べているし、あたしたちがそれに捕まってしまうだろうことは容易に想像がついた。その一方で撩は酒瓶2本をぶら下げて女性陣待ちだ、ふくれっ面も当然だ。
そのあいつは相変わらずのいつもの格好(Tシャツだけは今朝、新品を下ろさせたけど)、それは他の男性陣も同じこと。とはいえ、着物とはいえあたしも「小紋」、ドレスコードは「平服」なのだから。

ボルドー色の地に唐草の地紋、そしてやはりエキゾチックな白い花が大きくあちこちにあしらわれていた。いろいろ羽織らせてもらった中であたしが一目惚れしたものだ、新年パーティーに着ていくのはこれしかないと。

「黒の帯も良かったんだけどね、
それだと他の着物に合わないかなって思ってこれにしたの」

最初に呉服屋さんに合わせてもらったのは黒繻子に鮮やかな色糸で花々と鳥が刺繍された帯だった。それもお正月らしくて綺麗だったのだけど、コーディネイトのきかないものを置いておけるほどの余裕はあたしのタンスにも懐にもない。
その代わりに選んだのは、臙脂に鴇色で縦横に格子を走らせた上にパステルトーンで、まるでどこかの神社のご神体の古い鏡の裏のような唐花模様をあしらったもの。それにベージュの丸組の帯締めに、帯の1色と同じ淡いピンクの帯揚げを合わせてみた。着物と帯が決まったというのに、それだけでは着物は着られないからとしばらく取っ替え引っ替えを繰り返したのちにようやく決まった渾身の組み合わせである。
そのちょっとした自信作を撩は少し離れたところからためつすがめつ眺めていたけど、それについては一言も口にしなかった。その代わり、

「帯」
「ん?」
「下に出てるとこ? 曲がってる」
「ああ、垂れね。って、えっ!?」
「じっとしてろよ」

と言うと、撩は後ろからあたしの帯に手をやった。
迂闊だった。
けれども、垂れの下線は合わせ鏡の姿見でも無ければチェックは難しかった。
基本のお太鼓結びは一見複雑そうに見えて、基本の構造さえ覚えれば後ろ手でも結ぶことができる。お太鼓の下に見える「垂れ」の部分は帯の一方の端で、背中のお太鼓の中に折りたたまれて帯締めで抑えられたものの残りだ
(ゆえに帯「締」めである)。だから、真っ直ぐに直すときは垂れの短い側をお太鼓の中から引っ張り出すか、長い方を中にたくし込むかすればいい。
その辺の仕組みを知っているのか、撩はあたしの腰のあたりに屈みこんでその長さを引っ張ったり押し込んだり微調整を続けていた。

「よし、なんとかなったぜ」

とあたしを鏡の前で振り向かせた。見返れば、鏡の中に真っ直ぐに整った帯が映っていた。

「目で見ただけじゃ真っ直ぐかどうか判りづらいからな。
そういうときは手で確かめるんだ」

そう言うと撩は、両手であたしの手をそれぞれ掴むと、垂れの両端に持ってこさせた。

「ほら、触ってみれば手の位置で高さが判るだろ?」

あいつが着物にやけに詳しいのに驚いたが、それほど意外でもなかった。
撩ほど「ヒモ」の二文字の似合う男もいないだろう。あたしに出逢うずっと前、そんな暮らしをしていそうなことは容易に想像がついた。この界隈の和服美人といえばその道の女性だろうから。嫉妬してみたところで過去のことだし、こいつがそういう男だというのは誰よりあたしが一番よく判っていた。
それでも釈然としないものを抱えて、ふっと前に思っていたことが口を突いて出た。

「あたし、撩のことが羨ましかったんだ」
「へっ?」

藪から棒に、だろう。でもあたしは続けた。

「あんたって有り金いっつもきれいに使い果たしちゃうじゃない。
いつだったか1億使い切っちゃって」
「ああ、あったあった」
「だからあたしがしっかりしなきゃって財布の紐きっちり締めてたけど、
あたしだって本当はそんな柄じゃなかったのに」

昔の――小さい頃のあたしも、撩と同じで宵越しの銭は持たない方だった。
お祭りでお小遣いを貰ったときも、露店ですっかり散財してしまいアニキを呆れさせた。まるで年度末の公務員じゃないかと……ああ、そのときも今のように浴衣を着せてもらったっけ。

けれども今は、自分にそういう性分が判っているからなおさら、冴羽商事の経理担当として堅実な財政政策を敷き続けてきた。チラシを見比べ、近所の店を回りグラム当たりの値段まで計算したうえで一円でも安いものを買う。そんな節約がいつしか半ば自己目的化していた。
確かに増えていく通帳の預金残高には達成感があった。月給取りとは違って無収入が長く続くことだってある、だからなおさら。
でもふと思うのだ、もし撩もあたしも生命を落とすようなことがあれば、貯め込んだこのお金はどうなるんだ? そうやって無駄に塩漬けにしておくくらいなら、回してやるのが本来の使い道ではないのだろうか――
リンゴ飴に射的、水風船すくいとすっかり使い果たしてしまった幼い日。でも、そこで手に入れられたのは握りしめた硬貨以上のものだったはず。

「あんたが酒だ女だってぱーっと散財してるのが
ずいぶん楽しそうだったから」
「それで着道楽、ね」

道楽――かもしれない、一見何の役にも立たないものに結構な額をつぎ込むのは。でも、少なくともあたしの周りの「道楽」持ちはみな楽しそうなのだ、撩を含めて。自分の楽しみのためにつぎ込む金は、損であって損ではないというように。
確かに、あれやこれやと帯やら小物やらを合わせている瞬間は、今まで得たことのないような満足感があった。おかげで今日のために一揃えだけで充分なものを、帯も着物も数枚ずつ買ってしまったのだ。それでも、支払った以上のものを手に入れることができたとあたしは思っている。今でも、一人で着付けられた満足感、そしてこれから過ごすいつもと違う新年パーティーへの期待に胸がいっぱいなのだから。

「だから、これからもいっぱい着て元取らなくちゃ」

結局そうなりますか、と撩が苦笑いを浮かべる。その顔がやけに嬉しそうだ。同じ道楽持ちとして、「飲み道楽」に寛大になってくれるかもしれないという思惑だろうか。そうはいかない、だってあたしは冴羽家の大蔵大臣でもあるんだから、あくまで予算の範囲内で、費用対効果を勘案したうえで、ね。

「香、そういや足袋は?」

前から持っていたストールをひらりと巻きつけ、いつもと変わらずすたすたと、いつもより少し小股で廊下を歩く。着付けのときに股を少し割っておいたので足さばきも楽だ。

「3足1000円の足袋ソックス」
「安っ」

それに昔浴衣と一緒に揃えた下駄を引っかけると、未だ玄関の撩を手招きした。

というわけで新年あけましておめでとうございます、というのは
本来喪中で言えないのですが、本年も宜しくお願いいたしますm(_ _)m
今回取り上げました着付け豆知識は、店主が実際に教わったものや
実際に着てみて体得したものだったりします。
といっても初心者なものでそこまで責任は負いかねますので
とりあえずご参考までに、ということで【苦笑】


City Hunter