下駄を履いても首っ丈

香がソファで楽しげに針仕事をしていた。もともとあいつは手先が器用だからこういうこともお手のものだ。高校のときには絵梨子さんのお針子をしていたそうだし、今でもあの『撩ちゃん人形』だって作ってしまう腕前だ。ただ、あの顔はいかがなものかと思うのだが。

それでも、冬場の編み物はともかく普段の生活で針を持つ用事というのはあまりないので、シャツのボタンが取れたり靴下に穴が開いたりということでないかぎり珍しい光景ではある。あいつがまるで膝掛けのようにばさりと広げているのはこっくりとした赤紫の、袖が付いてるので着物っぽいのだが、着物そのものだったらすでに香の部屋に用意されていた。
ピンクやら緑やら、色とりどりのストライプが全体を斜めに走っている、というと相当派手に聞こえるが、全体的にパステルトーンの範疇で抑えてあるのでぎりぎりセーフだろう。それに、香だったらそんな柄も力技で着こなしてしまえるに違いない。
それに合わせるのは、同じく引っ張り出してあった臙脂の帯、正月にワインレッドの着物と合わせたもので、鳶色の格子の上に丸く唐花紋があしらってある。そして、ホワイトデーに買ってやった桜色に臙脂の柄の入った羽織も衣紋掛けに吊るしてあった。

ということは、今香が縫物をしているのは長襦袢だな。覗き込んでみたら案の定、その襟元に半襟を縫いつけているところだった。黒地に桜の花が細かく刺繍されたもの。この時期しかできないお洒落だ。

にしても随分と楽しそうだ。
明日は一応は俺の誕生日、ということになっていて新宿御苑で花見というのがほぼ毎年のルーティンとなっている。今年はそれに着物で行くと張り切っているらしい。
そんなに俺の誕生日を楽しみにしてくれているというのはその日の主役冥利に尽きるのだが――いつもはこんなに嬉々としていただろうか? 針をせっせと動かしながら鼻歌まで歌っちまって。

「ずいぶん派手な襦袢だよな」
すると、すっかり自分の世界に入り込んでしまっていたらしく、

「痛っ!」

針を指先に刺しちまうなんて、今どきマンガでもありえんぞ。
件の襦袢はクラレット色に、ラベンダーやフラミンゴ色(よく見れば白地にその色の絞り模様が入っている)の、雪輪模様が全体に散らされていた。おそらく色目はその上に着る着物よりも濃いはずだ。もちろんそれが透けて見えたりはしないだろうけど。

「こういう目立たない、一見見えないところにこそ凝るのが粋ってもんなのよ」
「へぇへぇ」

と、すっかり江戸っ子気取りだ。玉川の水で産湯を浸かったわけでもないのに。

「お前さぁ、自分の準備に熱心なのもいいけれど――」
「ご心配なく、お弁当の下拵えはちゃんとやっておいたから。
時間のかかる野菜の煮物はもう作ってあるし
残りも明日着替える前にちゃちゃっとやれるようにしてあるわよ」

「その着替えにどんだけかかるんだよ」
「うーん、羽織だから普通のお太鼓結びで1時間、いや45分!」

と言い切った。
実際、場数を踏むごとに着つけにかかる時間は短縮されつつある。新しい帯結びに挑戦すると1時間は軽く超えるが、それでも基本のお太鼓だと「目指せ30分以内!」と時短に励んでいるようだ。

「でも、普段の洋服だったらそんなの10分もかからないだろ?
それをなんでわざわざ――」

「着物だとさ、いつもの景色が違って見えるんだよね」

香は針を持つ手を休め、背筋を伸ばした。

「何が違うんだか具体的にはよく言えないんだけど
でも、いつも以上にきらきらして見えるの」

あいつの言うことは判らなくもなかった。
同じ風景でも見え方が違うときが俺にもある。それは――香が傍にいるとき。
まるであいつが何かの光を発しているかのように、総てが際立って映るのだ。
たとえこのドブネズミ色の街でも。そしてこう思えるのだ
生きてるってこともそんなに悪くないんじゃないかと。
俺にとっての香が香にとっての着物というのが少々癪ではあるが。

「明日、天気どうかな……」

確かにこの時期は花冷え、花曇りという言葉があるように天気は崩れやすい。ちょうど、こいつの20歳の誕生日のように――26日の予報は何とか持ちそうだということだが、油断はできなかった。

「雨なら花見は中止だぞ」
「うん、判ってるよ」

香は着物用の雨の用意は持っていない。もちろん、降れば花見どころではないのだが。

「でも弁当は作れよ」
「うん。着物も着るよ」

どうせうちの中だもん、とすっかりこっちの方があいつにとってのメインとなっているようだ。それでも俺は、口には出さずと明日の天気を心から願った。
きっと、いつも以上に輝いた景色を目にしているはずの香の傍なら、それ以上に輝いた景色を目にできるだろうから。

というわけで撩ちゃんHappy Birthday!
というか香ちゃんたら、それにかこつけて
着物が着られる方が楽しみで仕方ないようですが(^^;)
でも、それが香なりのドレスアップということなら
それこそ撩の誕生日を祝う気持ちそのものではないかと♪


City Hunter