馬子にも衣装 |
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香の誕生日は、あいつが主役っていうのにご馳走だ何だとこき使わせるのも悪いので、西口の高級ホテルでディナー→バー→(むふふ)のフルコース、というのが毎年のお決まりだ。この日ばかりはあいつもプライヴェートでは滅多にしないドレスアップをして、俺もいつもの天邪鬼は控えめにしてエスコートに徹する。まぁ、年に一度くらいはそんな夜もあってもいいだろう。
支度があるからと早めに出た香とロビー横のラウンジで待ち合わせる。煌びやかなシャンデリアに足音ひとつ立てさせないほどのふかふかの絨毯、いかにも高級ホテルらしい落ち着いた雰囲気の中で俺だけがやけに落ち着きがないかのようで、ちびちびとグラスのビールをすすりながら(今日くらいはいいだろ?)人の出入りばかり気にしていた。 「撩、待った?」 やっぱりというか、予想はついていた。せっかくのフォーマル、だからこそ香はこの日も着物で現れた。が、正月から俺の誕生日までというもの、ここまで来るとやや見慣れた感はある。が、それ以上に今夜の香は艶やかだった。ここの雰囲気に負けないほど。 遠目にも目を引く瑠璃色の着物は、近くで見ると緑がかった孔雀色から深い藍、そして淡い甕覗きまでのグラデーションを為していた。そこに図様化された異国の花を細かく描き出したさまは、和の風情というよりどちらかというとエキゾチシズムさえ感じさせる。 「――誰に貰ったんだ」 をいをい、素人女の持ちものじゃないとは思ったが、まさか女ですらなかったとは。 「買ったはいいけど少し地味だからって」 着物の値段には疎いものの、一目で安くはないことは判った。 「でもっ、年末の呉服屋さんの感謝セールでずいぶん安くしてもらったのよ! ああ、そういえばホワイトデーに呉服屋に行ったとき、羽織とは別の畳紙を渡されてたっけ。昨年末に注文に出せば仕上がるのはだいたいそのくらいだろう。 「それに――ほら、あたしたちっていろんなパーティーに潜入したりするでしょ? 「つまり、経費で落とせってことか」 だが、むしろこれでは馴染むどころかいい意味で目立ってしまいかねない。こんな、下手すりゃ100万に手の届こうというものを、着物に「着られている」のではなく自然に着こなせてしまえているのだから。まぁ、それはドレスにしたって同じことなのだが。 「お前も何か飲んでくか?」 まだビールは瓶に少し残っていた。そうねぇと、香は一人掛けのソファに腰を下ろすと、持っていたビロード色のクラッチバックを膝の上に置いた。ベルベットで唐草様の地紋が描かれたそれは、普段のパーティでもドレスに合わせて持ち歩いていたものだ。 「うーん、コーヒーでいいや。ケーキも付けるとせっかくのディナーが入らなくなっちゃう」 といつものぺろりとした笑顔で微笑む。 「あっ、ハーブティーもあるんだ。せっかくだからこれにしよっかな」 フォーマルらしく白を合わせた半襟は、膝を突き詰めるほどの距離でようやく判ったが、よく見れば一面細かくビーズ刺しゅうを施されたものだった。それに、明るいアイスグリーンの帯揚げと茜色の帯締め、と―― 「りょお?」 思わず耳元に手を伸ばす。あいつの短い髪には大ぶりのイヤリングがよく映えた。金地に濃紅の石の、着物にもよく合うアンティークなデザイン。 「ああ、これね。絵梨子から貰ったのよ、海外のお土産に」 そういえば彼女から聞いたことがある、ステージでは本物の宝石はあまり使わないと。高い分目立つ大きさのは使えないから、イミテーションのいわゆるコスチュームジュエリーが中心らしい。海外の骨董には本物同様そういうものも数多く出回っているから、出かけたときにはいろいろ見繕ってくるのだろう。 「ブローチもセットになってるんだけど、ほら、今日は帯留めにしてきたの」 と、孔雀の帯の中心にやはり血赤色の繊細そうなブローチが鎮座ましていた。 「着物だとあんまりアクセサリーは付けられないけど、これくらいなら、ね」 そう香は悪戯っぽい笑みをこちらに投げかけた。 せっかくの着物だったら和食の方がよかったのかもしれないが、メインダイニングのフレンチのフルコースを、いつものように他愛ない談笑に花を咲かせながらぺろりと平らげ、そして最上階のバーへとエスコートする。 「はぁ、やっぱり着物だとおなかいっぱいになっちゃうなぁ」 と、すでにディナーのワインとシャンパンで気持ちよくなっているところにカクテルだ。 「にしちゃずいぶん飲んでるんじゃねぇのか?」 あ、さいですか。着飾っても香は香、馬子にも衣装なのかもしれないが。 「あ、そうだ」 と香は持っていた小さな紙袋をがさごそと中を探り始めた。そういえば、レストランを出るときギャルソンからそれを預かっていたような。 「撩の誕生日のプレゼント、渡しそびれちゃったから」 5日前は結局雨で、アパートで花見の真似事になってしまっていたのだ。 「開けていいか?」 笑顔で香は頷く。大仰な桐箱から現れたのは、切子細工のロックグラスだった。 「あたしの趣味を撩に押しつけるのも悪いなと思ったんだけど、これならいいでしょ?」 「ああ――」 切子といえば色ガラスのイメージがあるが、これは透明なクリスタルガラス。 「それでね、実は――」 「ん?」 「ついでにあたしも買っちゃったんだよねー、もう少し小ぶりのタンブラー」 撩のご相伴にあずかりたくってさ、と言い訳めいた笑みを浮かべても、結局自分もいい思いしてるんじゃねぇかよ、バレンタインのときみたいに。 確かに、着物姿のあいつは仕草もどこかいつもと違って見えた。それも当然だ、腕を伸ばすにも袂の心配をしなければならないし、いわば足首まであるロングタイトのワンピースというべきデザインだから、普段のように大股では歩けない。 「――着物じゃ嫌だった?」 そんな俺を見透かしたように。不意に香が切り出した。酔うとなぜかいつもより勘が鋭くなるようだ。 「いや、そんなことないさ」 香の少しとろんとした視線は遠くの夜景に投げかけられていた。 「もうあたしもいい齢だし、それなりの格好しなくちゃいけないのかなぁって。 確かに、ある程度の年齢になればそれなりの、いわゆる「きちんとした」服装を求められることもある。だがそれは、こと洋服に限れば、「エレガンス」や「上品」という既存のジェンダーと密接に結びついたものでもあった。 服装というのは社会的なものであると同時に、自分を表現する手段の一つでもある。だが香にとってはそれなりの年齢として求められる服装というのは、自分を表すどころかそれとはかけ離れた「あるべき姿」に、自分を押し込める枷に過ぎないのかもしれない。 「でもね、自分の着物姿を初めて目にしたとき 一方で着物という直線断ちの民族衣装は、「エレガンス」だけでない「大人の女」を内包する懐の深さがあるのかもしれない。例えば「粋」とか「かっこよさ」というか。例を挙げれば小紋の中でも格が高く、礼装にも使えるとされる江戸小紋。 「もちろん、四六時中着物じゃいられないんだけどね。 そう遠くを見つめる横顔に、少し躊躇しながらもポケットの中のジュエリーケースを取り出した。もしかしたら「可愛すぎる」と却下されてしまうかもしれない。 ということで今年のイベントシーズンも無事、最後の
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