Quick and Happiness

昨年の今頃、どこで何をしていただろうかとふと思い出す。
確か……そう、どっかのキャバクラでもっこりちゃんと大騒ぎしていたはずだ。もっとも、大晦日とは関係なしに365日中350日はそんなものだが。冬だというのに女の子は薄着だったりするから中はガンガンに暖房が利いていたっけ。
それが今年はどうした、極寒の真夜中に外の吹きっさらし。この人込みでは多少の押しくらまんじゅう効果もあるかもしれないが、吐く息はまるで煙草の煙のように真っ白だ。飲みにはたびたび相棒も連れて行っていたはずだが、おそらく昨年も、そして一昨年もこの日は一緒ではなかったはずだ。その理由を敢えて問いただすことはなかったが、何だそういうことだったのか。判ってしまえば案外あっさりとしたもんだ。

「江戸時代はここのお寺の鐘でこの一帯に時間を知らせてたんだって」

ぎゅうぎゅうに肩をひしめかせ合う中、約頭一つ分下からそう呼びかける声があった。

「時の鐘だろ?ここは城から離れてたんで
朝は30分余所より早く鳴らされてたんだとさ」

この界隈に住まう武士にとっては通勤のための云わば予鈴だったが、同時に近くの色街・内藤新宿にとっては女郎との一夜の終わりを告げる『追い出しの鐘』。その30分がさぞかしつれなく思われたことだろう。だが、そんな薀蓄をひけらかすとすぐ斜め下の香が目ん玉をひん剥いてこっちを見上げた。

「なんであんたがそんなこと知ってるんだよ」
「博識はプロのナンパ師の基本だぜ」
「ふぅん。でも、そんな雑学披露しても引っかかる女の子いるのかね」

まぁ、確かに歴史関係はおおよそ実践向きではないな。
そういえば、こんな役に立たない豆知識を誰から教わったのか、と齢の割には老成した眼鏡の横顔がふっと浮かんだ。香もまた、兄から地元の歴史について学んだのだろう。

「にしてもさみぃなー」
「さっきあったかいおそば食べてきただろ。
寒い寒いっていうから熱燗までつけてもらっちゃってさ」

ポケットから手を出して息をはぁっと吹きかけたかったのだが、右も左も隙間なくそれすらもままならない。自ずと、ただでさえひどい猫背がさらに丸くなる。
やっぱりジャングル育ちに日本の冬は少々きつい。
香なんか頬を真っ赤にしながらもまだまだ元気そうだ。厚手のダッフルコート――いかにも昨年まで学生だったという格好だ――に襟元にはマフラーをぐるぐる巻きにして、毛糸の帽子を耳が冷えないようにすっぽりとかぶっている。もちろんさっきから盛んにこすり合わせている両手は手袋で完全防備だ。
ということは普段のコートを一枚引っかけてきただけの俺の備えが不充分だったというだけのことか。

あの頃は良かった、というわけではないが、向こうでのNew Year Eveが懐かしく思い出された。家族で過ごすクリスマスとは違って、こっちは大騒ぎの無礼講。
年が明けた瞬間には「A happy new year!」の声と飛び交うクラッカーとシャンパンの栓、そして誰彼かまわずハグとキスの嵐だ。まぁ、俺はあっちでもとりわけお行儀のよくない連中とばかり付き合ってきたのだが。
だが、もう恒例行事の歌番組の決着はついたはずだというのに、ここに粛々と並ぶ奴らは1986年を迎えた瞬間も黙ってこの列に並び続けていることだろう。その代わりのクリスマスの浮かれっぷりといえばそうなのだが、どうも落ち着きがよくない。

「撩は108じゃ足りないよなぁ」
「煩悩?」
「そっ」
「でもあれってミニマムだろ」
「えっ、そうなの?」

と、108も無いだろう新しい相棒が驚く。それはアニキも教えてくれなかったか。
こいつは少々がさつで気が強く、向う見ずなのが珠に疵だが、それ以外はいたってどこにでもいる20歳の女の子だ。俺の傍にいるのが相応しくないくらいの――じゃあ、だとしたら俺と香の煩悩を足して二で割ったらちょうど108になるのかもしれないな。

「あっ、撩。列、進んだよ」

すでに108のうちいくらかが消え去ったようだ。空いた隙間を小走りで詰め、振り返って俺に手招きするさまは年甲斐もないといえなくもない。
だが、彼女がほんの9ヶ月前、毎晩ひっそりと涙にくれていたと思う者はこの人込みの中でもいないはずだ。

「来てたのか?毎年、槇村と」
「うん、刑事だったころはさすがに非番の年だけだったけど、辞めてからは毎年」

じゃあ、今は何を思ってここに並んでいるのだろう。兄との想い出の詰まったこの除夜の鐘に。一応「喪中」となっているわけだから、それを理由に正月のあれこれを一切やめてしまうことも今年はありだ。だが、いつもと違う年末年始はなおさら心の中の空席を意識させてしまうのかもしれない。
だとしたらいっそ、まったく普段どおりに過ごしてしまった方が……たとえ、その隣にいるのが兄ではないとしても。いや、だからこそその一点だけの違いが喪ってしまったものを強烈に見せつけやしないだろうか――
一見、順番を心待ちにしているという風情の香の横顔にあれこれと心がざわめく。俺はただの相棒兼同居人、あいつが押しかけてきたから気が済むまで付き合ってやっているにすぎないというのに。

「あっ、もうそろそろだね」

そう言うと香は左手の袖口をずらした。

「合ってるのかよ、時計」
「大丈夫。このときのためにさっき時報で合わせておいたんだもんね」

ああ、出がけにどこかに電話をかけていたのはそのためだったのか。

「はち、なな、ろく、ごぉ、よん……」

雑踏の中で彼女のカウントダウンは掻き消され気味だったが、それでも新年が近づくにつれてあたりの空気もざわめき始めていた。

3、2、1――

「あけましておめでとうっ!」

いきなり早口で言い切った。とっさのことにぽかんとする俺をよそに、香はなぜか勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。

「あ……びっくりしたよな。毎年アニキとやってることなんだ」
「槇村と――」
「先におめでとうって言った方がおごってもらえるって」

なるほど、早押しならぬ「早おめ」といったところか。だが、あの槇村が一回りも違う妹と一緒にムキになって早口で賀詞を言い合う姿が想像できなかった。

「なぁ、それで何勝何敗だったんだ?」
「えーと、最近はほぼオレの全勝だったかな」

ああ、やっぱり。あいつのことだ、ほどほどに付き合いながらも常に花を持たせていたわけだ。相棒自慢の、可愛い妹に。

「へっへー、何おごってもらおうかな♪」

こいつは気づいていたのだろうか、そんな兄心を――まぁいいさ。
これからはしばらく俺が、槇村に代わっておめでとうを言い合うことになるのだろう。香が俺をこうして鐘つきに誘ったということは。
だが、俺は槇村じゃない。たとえあいつにとっては兄代わりに過ぎなくても。わざと負けてやるのは性に合わない。きっと来年からは本気で競い合うことになるのだろう――大人げないな、俺も。

「やっぱりチョコバナナは外せないよなぁ。それに綿あめの屋台も出てたしぃ――
そうそう、タコ焼きに、焼きそばに、お好み焼き!」

人ごみの両脇にずらりと並ぶ屋台を見ながら、まるで舌なめずりをせんばかりの口ぶりだ。

「かおりぃ、前詰まったぞ。置いてくぞー」

きっと昨年の今頃、俺が歌舞伎町で飲んで騒いでいる頃、槇村はこうして振り返って妹を呼んでいたことだろう。しばらくはその代役を務めてやるのも悪くないと思った、俺なりのやり方で。

というわけで2012-2013のイベント第2弾、
撩×香の初めてのお正月です。
実は除夜の鐘ネタってまだ書いてなかったんですよねぇ。
まだまだ組んで一年も経っていない、お互いの距離も
探りさぐりの色気のない二人ではありますが、
だからこその、まるで『兄弟』のようなやり取りが
うまく伝わっていれば幸いです。
それでは、皆様にとって2013年が素晴らしい一年でありますように。



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