帯に短し襷に長し

今年もあと1ヶ月を切ったというのに、香がいつも、心なしか浮かない顔をしている。

発端は美樹ちゃんのいつもながら突拍子もない思いつきだった。
「せっかくのお正月なんだから、来年はみんなで着物にしましょうよ」という、帰国子女の考えそうなことだ。男性陣はあれこれと理由をつけて、結局は美女(約一名除く)の艶やかな晴れ着姿を鑑賞する側に揃って回ることができたが、意外にも噛みついてきたのがかすみちゃんと冴子という、一見これといって共通点の無い二人だった。が、泥棒の名門と警察官僚という違いはあれど、どちらも日本の伝統と格式に揉まれたお嬢様育ちなだけはある。

「そんな漠然と着物って言われたって困りますよぉ」
「そうそう、訪問着にしなきゃいけないのか小紋でいいのかはっきりしないと」

と、実は振袖と留袖の違いすら覚束ない招待主に対して、和のドレスコードを十字砲火でレクチャーする様子は、居合わせたこっちも一通り勉強になるほどだった。その結果、普段のCat'sでのホームパーティ程度で、ということで一応の決着がついたが、それが香の憂鬱の原因というわけではない。アパートへの帰り道、あいつは鼻歌交じりで着物パーティを楽しみにしてたのだから。鬼が見たら一緒に大笑いしそうなほどに。

「だいたい、おまぁ着物なんか持ってるのかよ」
「だいじょぉぶ、いざとなったら貸衣装屋で借りればいいんだし♪」

それがほんの1週間しないうちにこの有様になってしまった。
もちろんあいつのこと、始終塞ぎ込んでいるというわけではなかった。普段はてきぱきと、やれこまめに大掃除だやれその合間をぬって営業活動(ビラまき)だと先生でもないのに慌ただしく駆け回っているのだが、ふっと一息ついた瞬間にその影が香の表情によぎるのだ。

「かおりぃ?」

と俺が呼べばまたいつもの明るい微笑で顔を上げる。だがそれはあくまで上から塗りつぶされた笑顔であって、その地色は紛れもなくさっきまでの憂鬱であった。

今頃になって着物が無いことに悩んでいるのかとも思った。
お城で舞踏会なのにドレスが無いわと。そんなシンデレラのお困りごとなら魔法使いの手を煩わせなくても、このハンサムなサンタが叶えてやるつもりだ。そのために衣装持ちのママさん方だったり知り合いの質屋だったり、いろいろ根回しはしてあった。それをどこからか嗅ぎつけたあいつの自称・大親友が

「そういえば呉服屋からライセンスブランドの話が来てたのよねぇ。
どうせだったら名義貸しなんかじゃなくて
北原エリ完全プロデュースの着物コレクションにしようかしら」

などと言い出したのには閉口したが。

そんな折、同じくらい浮かない顔をして

「最近香さんが落ち込んでるのは、もしかしたら私のせいかもしれない」

と打ち明けたのは、向かいの美人の女医だった。
やはりCat'sでここしばらく話の種になっていたのは、新年に何を着ていくかということだった。

「それがねぇ、ファルコンが買ってくれるっていうのよ。
一家の主婦になったからには着物の一枚も持ってないとって」
「わぁ、羨ましぃ」
「いいなぁ、撩なんてあっても飲み代で消えちゃうもの」
「かずえさんはもう決まった?」
「うん、前に母から送られてきたのがあってね。
亡くなった祖母の形見分けであんたの分だって。
昔のお嬢さんで、金沢の呉服屋に頼んで箪笥一竿分の着物と一緒に
嫁に来たって人だから物は持ってたんだけど
貰った分はずーっと段ボールにしまいっぱなし」
「あらぁ、もったいない」
「だから慌てて開いて、一枚一枚確かめてるところ。
カビたりしてないか、虫は食ってないかって」
「そっかぁ、お祖母さんの形見かぁ……」

それが香の心に暗い影を落としたであろうことは、俺自身痛いほどよく判る。着物というものはこの国では、しばしば母から娘へと受け継がれていく、云わば目に見える系譜のようなものでもある。だが、俺も香もその線から切り離されてしまった存在だ。普通であれば形見の着物のように、黙っていても受け取れるものを俺たちは一から手に入れなければならないのだ。
もちろんそんなことでいちいち凹んでいたらハートがいくつあっても足りやしない。ただ、そう思って心にきつく蓋をしても、ふとした瞬間にそれは蓋を押しのけて、頭をもたげてしまうのだ。今の香のように。

「私がもう少し気を使っていれば――」
「いや、それでいいんだよ。逆に気なんて使われたら
あいつも俺も気まずくなっちまうんだから」

とは言ったものの、それでは香の憂鬱は思ったよりも根が深いことになる。着物の一枚や二枚買ってやったところで到底晴れはしないほど。とはいっても俺にできることといったらそんな目に見えるサンタくらいだ。
とりあえず本腰を入れて見繕ってやろうかと思った矢先、珍しく冴子から誘いがあった。香にだ。行きつけの呉服屋を紹介するから一緒に新年用のを選ぼうというのだ。つまりはシンデレラの魔法使いの役を買って出たのである。
これで目先の心配事も一応は解消されるだろうし、それに香も女だ、煌びやかな世界に触れれば少しは心も晴れるだろうと送り出してやったところだった。

とはいうものの、今でこそあんな“女狐”だが、山の手のお嬢様の野上家御用達で大丈夫かと心配になるのは親心というのかどうやら。お値段もそれなりだろうし、そんなお育ちのよさそうな着物が香に似合うようには思えなかった。
かといって絵梨子さんプロデュースもいまいち信用ならんしなぁ。
それに、もし合わなかったときに質が押しの強い店員をかわせるのか、その辺は冴子がついてくれるとはいえ……

「たっだいまぁ!」

と息を切らせてリビングに飛び込んできた香は、朝とは打って変わって明るい表情だった。もっとも、軽い足取りとはいかなかったのは両手に提げた大きな紙袋のせいだ。

「おいおい、いくら散財したんだぁ?」
「その点はご心配なく、冴羽商事経理担当の名誉にかけて」

そう軽口を叩く口調も、それまでのわざとらしい空元気の影は潜めていた。間違いなくいつもどおりの香だった。クリスマス前の今から新年を指折り数え、鬼と一緒に笑い転げるような。

「その代わり、いろいろ見るだけ見せてもらったんだ。楽しかったなぁ♪」

と、ばさばさとテーブルの上にポラロイドを広げてみせた。
冴子の連れていった店は野上家行きつけにしてはなかなかセンスの良いところだった。そこに映っている着物もコンサバティブというより意外と現代的というか斬新というか、あいつほどの家となると数軒抱えていてもおかしくはないのでその中で香に合いそうな店を選んだのかもしれないし、それを見繕った店員の感性というのもあるだろう。
ただ、こういう場において俺は香の見る目というのを案外信頼しているのだ。そうはっきりと口に出したことはないが、あの天下の北原エリが親友と認めているのはその辺も含めてなのだろうから。
たとえ普段着の安物一枚選ぶときだってあいつは気を抜かない。それは今回だって同じはずだ。店員に押しつけられて渋々袖を通したのであれば、写真の中の香はここまでキラキラしているはずがなかった。

例えばよくある格子模様でも鮮やかな赤とピンク、またはローズレッドと黒の市松模様なんてそうそう似合うものではない。
絣模様だって変則的でどこかモダンな、まるでジオメトリックパターンのようなものを選んでいる。そんな一見大胆な柄が似合うのも香の華やかな顔立ちあればこそ、というのは少々褒め過ぎだろうか。

サーモンピンク地の大輪の梅の花に、松葉緑にマルチカラーストライプの帯も、また淡い鴇色にアイスグリーンの薔薇という少々奇抜な取り合わせの着物に、白を基調にしたパステルトーンのキューブ柄のような帯という取り合わせも、決して着物に負けていないのだ。

それにしてもずいぶん斬新なものばかり選んだものだ。
小さく、影絵の絵本のような猫が描かれたものもあれば――これ着てったら絶対あのタコ坊主が気づくよなぁ、目なんてほとんど見えないくせに――、ただのブロックパターンだと思ったらよーく見ると飛行機柄だったりするのもある。これはやめてくれよな、海坊主ほどのアレルギーではないにしても。
また、柄物ばかりというわけではなく、こっくりとしたボルドーレッドの無地に、これまた深みのあるビロード色の更紗模様の帯を合わせたコーディネートは、季節柄クリスマスカラーと洒落てみたのか。

一方の冴子はというと、一枚だけ香と一緒に写真に納まっていた。
日頃の女狐ぶりはどこへやら、墨色の地に薄墨色で大輪の花を染め抜いたシックなモノトーンの着物に、落ち着いた臙脂色に雪輪をあしらった帯という姿からは令嬢育ちにしか出せない品の良さがあった。
その横では同じ黒地に竹垣の格子と鮮やかな牡丹の花を散らした着物に、蘇芳色にやはり古典の七宝柄を、こちらは大胆に配した帯の香が、よく似た配色だからだろうか、まるで姉妹のように仲良く佇んでいた。

「ああ、冴子さんが買ったのはこの着物じゃなかったんだけどね」
「あいつも買ったのか?」

まぁ、ああ見えて高給取りだし、ついでに何か誂えさせたのだろう。それくらいあのブルジョワには当然に違いない。

「うん、成人式の振袖以外持ってないし
それも今度は唯香ちゃんにあげちゃったからって」

――ああ、そういえば冴子のやつ、見合いは2回とも着物じゃなかったもんなぁ。

「それに、貰ったところで自分には着れないって」
「なんで」
「ほら、サイズが合わないでしょ」

そうはいっても、女物の場合お端折りで何とでもなるんじゃないか、香もそう思ったらしい。だが、

「着丈はなんとかなるけど、裄、つまり腕の長さはその人に合わせないと。
だからどうせお下がりをもらってもつんつるてんになっちゃうわけよ。
昔の人って今より小さかったから。160cmもあったら
ちょうど香さんと同じくらいの扱いだったっていうんだから」
「でも、かずえさんは――」
「彼女はわたしたちの中でもそれほど背の高い方じゃないし、
もしかしたらお祖母さまも当時の人にしてみれば
大きい人だったかもしれないわよ。もちろん、直しに出せば
多少は伸ばせるけど、それだって縫い代がそれだけ取ってないと」

そして、こう言い切ったのだ。

「わたしだって、あなたと同じなんだから」

案外、絢爛豪華な金襴緞子よりこの一言が何より香の心を軽くしたに違いない。それにはあの魔女のお婆さんに感謝しなければ、なんて言ったらナイフで串刺しにされかねないが。

「でも思ったより高くついちゃったなぁ」

――おい、さっきと言ってることが違くないか?

「だってしょうがないじゃない、必要な出費だったんだから。だいたい、成人式のときに貸衣装で済ませちゃったから、着付け一式持ってなかったんだもの」
「じゃあそのときはどうしたんだよ」
「そんなの忘れちゃったわよ。だから、クリスマスプレゼントはこれでいいわ」

と、紙袋の一方を高々と掲げる。

「それで、余計な出費はしなくて済むでしょ?」

これが冴羽商事経理担当としての収支のつけ方というわけですか。もっとも、こちらとしては着付け一式といわず着物から帯から、全部出してやってもよかったんだがね。
とはいえ、俺の選ぶ楽しみは無くなってしまったがそれで良しとしよう。ようやく戻った香の笑顔が、俺にとっての一足早い、そして何よりのクリスマスプレゼントなのだから。

というわけで、2013-14イベントシーズン『彼女がキモノに着替えたら?』
第1弾、楽しんでいただけましたでしょうか?
今回は試着だけなので、香に似合っても買えないであろう着物も
どんどん着せることができて非常に楽しかったです♪
ちなみに、帯枕や腰紐などの着付けセット一式ですが
店主の覗いた通販サイトでは\10,000前後でした。
これが安いか高いか……まぁ、その程度で済んでよかったね撩ちゃんw


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