Goodbye, My Hometown

そう、誰もがヒーローを夢見ていた。俺みたいな、物心つく前に親を失い、故国を遠く離れたジャングルの中でゲリラに育てられた奴だって。
俺にとってのヒーローはそのゲリラの兵士たちだった。彼らは強きを挫き弱きを助ける、本物の正義の味方だった。余所だったら映画や三文小説の中にしか存在しないような。もちろん幼かった俺は彼らが実際に銃を持って戦う様子を目にしたことはなかった。それでも、兵士たちのしぐさ一つひとつは小さな胸を熱くさせるのに充分なものだった――武器の手入れをする指先、無造作にくゆらす煙草。
まだ俺よりも背の高い彼らと一緒にまじって車座になって、一口だけふかしたそれはやけに苦かったけど、それだけで彼らに少し近づけた気がした。

あのときはまだ信じれば夢は叶うと思っていた、自分もいつか彼らのような“ヒーロー”になれると。でも、彼らに背丈で並び、いつしか抜き去ろうという頃、それは“夢”に過ぎないと気づかされた。時代が変わってしまったのか、それとも俺の眼がよく見えるようになっただけなのか。大義を忘れ、ただ戦いのための戦いに明け暮れるだけの日々。だが俺はそこから抜け出すことはできなかった。この手にあるのは戦うための術のみ、それしか道は残されていなかった。たとえその末に、身も心もぼろぼろになろうとも――。

そうして俺は故郷を後にした――“故郷”と呼ぶには血腥すぎるキリングフィールドを。これからどんな未来が待ち受けているのか全く見当もつかなかった。そもそも見当をつけるにも、俺のような人生を歩んできたやつなんて今までいたこともないだろうから。
思えば俺は、まるで片道切符を握らされて生まれてきたかのようだ。
行先は記されていないが、決して後戻りは許されない。ならただ前だけを見続ければいい。どうせ後ろには荒涼とした大地が広がっているだけだ。
そして、ポケットの中には古びた銀のジッポー ――あのとき、生まれて初めての煙草に火を点けたときのもの。

辿り着いた“自由の国”も決して安住の地とはいえなかった。所詮は根無し草、転々と相棒も変える羽目になる。しまいにはそのうちの一人――ケニーをこの手にかけた。それでもこの国を出ることなく東から西へ、ただ河岸を変えただけなのは、遺言に背いてしまったけれども、彼の仇を取るためだけではなかった。
中南米から進出してきた新興のシンジケート、それだけでその黒幕が誰なのかピンときた。いつかは決着をつけなければならない相手。ラティーノの多いカリフォルニアは奴らにとっては北米進出のための格好の橋頭保だった。

どこか“故郷”とよく似たそこは、思ったよりも居心地が良かった。齢も性格も近い気の合う相棒も見つけ、女遊びときどきドンパチの日々。お互い若くて怖いもの知らず同士だったから、いつの間にかこの街の裏の世界じゃちょっとした有名人になっていた。それでも、たとえ人目を惹こうとも夜な夜なのどんちゃん騒ぎ。
だが、ふっと一人歩きの背中が寒く感じられた。この無防備な背中を誰が狙っているともしれない。通りを行き交う者、陰に潜む者総てが敵であってもおかしくはないのだ。たとえ気のおけない相棒であっても――

そんな毎日に嫌気がさしたのだ。といっても、この街を出たところで何も変わりはしない。闇の世界に生きる人間の背負う業なのだから。それに“生まれ故郷”といってもそこの記憶が俺にはさっぱり残っていない。そんなところに根を下ろすことができるのか――だがそこは、いつかはと心に描き続けていた場所。
もう何もかも嫌になった今がいい機会だろう、これを逃せばいつまで経っても心の中にあるだけだ。どうせ大陸の一番西の際まで追い詰められたことだし、あとは東へ向かって漕ぎ出すだけだ。

夜の埠頭。貨物船ばかりが停泊しているそこは人気も無く、ただコンテナが乱雑に積み上がっているだけだ。まして真夜中ともなれば生き物の気配すらない。
パスポートも持たない俺は、そのコンテナの一つに隠れて船に乗り、太平洋を渡る手筈になっていた。乗り込んでしまえばあとは甲板で娑婆の空気を思いきり吸い込むこともできるだろう。出航は明日、荷物の積み込みはその早朝からだ。
その前に、夜のうちに指定されたコンテナに潜り込む。
この街での日々も愉しいものではあったが、今となっては“故郷”同様、未練はまるで感じなかった。ここの夜景も見納めと感傷に浸ることなく、さっさと乗り込もうと思ったら、

「よぉリョウ、まだ乗っていなかったのかよ」

奴の金髪は暗闇でもわずかな光によく映えた。
元相棒にして、よりにもよって俺がこの街を離れる羽目になったそもそもの元凶――とはいえ、パートナーを解消したのはずいぶん昔のこと。
俺の個人的な“親子喧嘩”に巻き込まれたに過ぎない。そうなればプロとして奴の取った選択は間違ってはいなかった。たとえスイーパーでも命あっての物種なのだから。

そんな遺恨はとっくに水に流した風情で奴は悠然と歩み寄る。

「水臭いなぁオレに黙って出ていくなんて」
「てめぇに話す義理も無いだろ。
つかなんでお前がここにいるんだ、ミック」
「LA中の情報屋総動員してここを突き止めたんだぜ。
いくらかかったと思ってるんだよ」

と、三文芝居がかった口調は相変わらずだ。

「にしても船の名前がパンドラとはねぇ」

処女航海、というように船は女になぞらえられるにしても、だ。

「縁起でもない船だな」
「さぁな、案外希望も残ってるかもしれないさ」
「かもな、オマエっていう疫病神も乗っていることだし」

そんな無駄口も俺たちにとっては洒落にならない。

「――本当に行っちまうのか」
「ああ」
「淋しくなるな」
「よせよ、そんな台詞は女相手にしておけ」

いつまでもこいつに係っている義理はない、たとえパートナーを解消した後も気の合う遊び仲間だったとしても。俺は荷物――といっても足元の頭陀袋一つを抱えてその場を後にしようとしたが、そのとき、おもむろに奴は俺の両頬を掴むと、

「Ryo, smiiiiiiiiiile!!!」

と無理やり口角を引きずり上げた。

「っな、何しやがんだ!」
「ちゃんと笑えよ。ったく、最後の最後までシケたツラしやがって」

ちゃんと、って――頬をつねり上げられただけなのだから笑おうにも笑えやしない。だが、

「だいたいオマエ、いっつも眼が笑ってねぇんだよ」
そう言われてしまえば何も言い返せなかった。

「まだオレたちが組んでた頃から、飲んで騒いで
いかにもエンジョイしてるっていうのに
眼だけは腐った魚みたいな眼しやがって、
それじゃ楽しんでないってのがバレバレじゃねぇかよ」

あの頃――俺がまだこの街に流れ着いた頃、ケニーをこの手にかけたという十字架、そしてそう仕向けた連中への憎しみがずっと胸から消えなかった。たとえどんなバカ騒ぎのときも。

「だからさ、リョウ。今度逢うときにはマトモに笑えるようになれよな」

それは意外な言葉だった。こいつは俺とまたどこかで逢うつもりなのか、そもそも逢えると思っているのか――遠く海を隔てて、しかも常に死と隣り合わせの世界。
もう一生奴と逢うことはないと思っていた。いや、もし運よくお互い生き延びられたとしても、二度と顔を合わせたくはなかった。だが、そんな遺恨もおかまいなしのいかにもアメリカ人な能天気さが奴の欠点でもあり、また長所でもあった。

その能天気な元相棒は、少々面喰っているその元相棒をよそに、煙草を一本咥えながらあたふたとポケットのあたりをはたいていた。どうやら火を忘れたらしい。
仕方なしにポケットからジッポーを取り出すとその火を奴の口元に近づけた。
その様を見るうちに俺も吸いたくなってラッキーストライクを咥えながら自分もまた火にその先を近寄せる。ライターの小さな炎でも互いの顔がはっきり見えるほど、この上なく距離を狭める。

そして奴は一服吸いこむと、

「See you someday!」

と大きく手を振った。小さな火が闇に弧を描く。
その赤のアーチも次第に闇へと紛れていった。

「じゃあな、か……」

奴のブロンドを見送りながら、手の中で銀のジッポーを弄んでいた。
いつか、初めて煙草に火を点けたときのもの。あの後ともに国境を越えてきた数少ない古馴染みの一つ――いつから俺はまともに笑えなくなってしまったのだろうか、あの頃はまだきっと、ちゃんと笑うことができたはずなのに。
そのときの自分を取り戻すことができるのだろうか。そしてまた、心から笑うことができるのだろうか――

傷だらけのジッポーは手のひらの上で、真夜中の港のかすかな灯りを乱反射させていた――まだそこに、あの日の輝きは残っている。

咥えたままの煙草のニコチンを、肺までぐっと吸い込んだ。昔はよくむせて、ふかすのが精一杯だったのに。それは憧れていた年上の兵士たちの姿、俺にとってのヒーロー。そこからはどんどん遠ざかってしまっていたかもしれない。
けれども、いつか心の底から、あの頃のように笑うことができたら、そのときは一歩でも近づけているかもしれない、あの頃の憧れに。

ボォッと遠くで汽笛の音がする。そろそろの頃合だ。
それまでは何かに押し流されるように生きてきた。そうしてこの西の果てまで流れ着いた。押し寄せる波はなおも俺を、今度は広い海へと突き落とそうとする。
だが、打ち合わせたとおりのコンテナへ向かって、俺はそれまでとは違う一歩を踏み出した。

2013年5月23日、当『Hard-Luck Cafe』はめでたく
開店10周年を迎えることができました。
ということで記念すべき駄文をということでいろいろ迷いましたが
10年を機に、新たに原点を見つめなおすという意味で
CHにとって一つの始まりといえる1シーンを
店主の出発点でもあるTUBEから『さよならMy Home Town
(“Beach Tine”1988)をfeaturingして描いてみました。

ある意味やむを得ない決断であったとしても、それがなければ
遠くアメリカ大陸で暮らしてきた撩と、地球の裏側の香が
出逢うことはなかったわけですから。

というわけで、こちらはなかなか心機一転とはいきませんが
これからも当Cafeを何とぞご贔屓にm(_ _)m


City Hunter