わがころもでに

君がため 春の野に出でて若菜つむ
わが衣手に雪は降りつつ

この冬は最初の話では暖冬だったはずなのに、蓋を開けてみれば記録的な寒さだった。寒くて野菜が高いからお鍋もできやしないと、ワイフは向かいの主婦友達と会うたびこぼしていたし、ここトーキョーでも何度か雪が降ったほどだ。
一見シティーボーイでも実は自然児育ちだったオレとしてはこれくらいの雪など大したことはないし、そもそもメトロポリスでもニューヨークやシカゴの冬には銀世界がつきものだ。だが、すでに暦の上では春を迎えてさらに1ヶ月以上経った3月だというのに、いまだにこの身を切るような寒さは正直参った。これじゃいつまで経っても冬用のコートが仕舞えやしない。

それでも底冷えのする中を何でわざわざこうして出かけてきたかというと、もうすぐホワイトデーだからだ。日本だけのバレンタインの返礼を1ヶ月後にする風習。アメリカのバレンタインデーはジェンダーフリーだからお返しはその場でということになるが、こっちのそんな習慣も悪くはないと思う。なぜって、二度もドキドキが楽しめるじゃないか。

1ヶ月前、カズエがオレに贈ってくれたのはベルギー産の高級チョコと(手作りじゃないことについてはとやかく言いたくはない。何しろカノジョはチョコを掻き回している暇があったら試験管を掻き回していたいのだから)パシュミナのマフラー。この厳冬を乗り切れたのはヒマラヤのカシミヤ山羊の繊維の持つ暖かさのおかげだけではないはずだ。色も暗くなりがちな冬の装いにアクセントを添えるミントグリーン、きっと服にはうるさいオレのために吟味して選んだものだろう。もっとも、カズエが選んでくれたものならたとえショッキングピンクだって喜んで身につけるが。

その気持ちに報いるにはいったい何を選べばいいだろうか――オレが選んだのは、一本の万年筆。もともとオレ自身そのメーカーのものを愛用していて、ボールペンともども普段から持ち歩いている。もちろん日常の細々とした書類は安物のボールペンであれ何であれインクが出ればそれで充分だろう。だが、人生ときにはペンを選ばなければならないことがある。オレだったら契約書のサイン、そして――婚姻届などなど。逆に、大仰な万年筆などそんなときでもなければ用は無いだろう。けれども、決して必要ではないが有れば人生が豊かになるものこそ贈り物にはもってこいなのだ。
銀色に黒の細かいチェックが入ったものとディープレッド、どちらがいいか迷ったが、白衣の胸ポケットに滑らかな光沢を放つ深紅のペンという取り合わせも、いかにも彼女らしくセクシーだ。そして何より、どんなジュエリーよりも理知的な彼女を輝かせるアクセサリーになるはずだ。
それにブルーブラックのインクボトルとコンバーター(このアナログ感こそが万年筆の醍醐味)を付けたギフトボックスにカードを添えていそいそとデパートのエントランスを出ようとしたところ、そこに不似合いな男の影を見つけた。
オレと変わらない長身にがっしりとした肩幅は何を着ても似合いそうではあるが、そのヤツが着ているものといえばいつもと変わらないよれよれのギャバジンのコートなのだから。

「And you too(お前もか)?リョウ」
「お、お前もかって何が『お前”も”』なんだよ」

No. 1スイーパーとしてあるまじきことに不意を突かれたであろうリョウは、あわてて持っていたものをその分厚い胸板の後ろに隠した。ヤツに気づかれなかったのだから、オレのスニーキングの腕前もまだまだ衰えていないってところか。

「ほら、もうすぐホワイトデーだろ」
「それがなんだっていうんだよ」
「お前だってカオリから何か貰ったろうが。それをお返ししないとオトコが廃るもんな」
「あ、ああ。チョコだけな」
「――知ってるんだぜ」

ヤツのポーカーフェイスが一瞬ピクリと震える。

「お前自慢のハーレーのサイドバッグ、カオリのサプライズなんだってな」

リョウは普段のアシのクーパー以外にも何台ものクルマをガレージの奥に転がしている。その中に紛れているのが1945年式のハーレーダヴィッドソンWL、通称フラットヘッドだ。そのヴィンテージハーレー特有の二人乗りにはやや窮屈なシートの後ろにカオリを乗せて(だからこそ密着しなければならないのだが、この確信犯め)ときどきツーリングに出かけているのは向かいの我が家からもよく見えた。だが、どうせ年代物のバイクなら遠乗りは無理だろうが、バイクはクルマとは違ってあれこれと物は積めない。そんなときに便利なのが後輪の脇に振り分けるように提げるサイドバッグだ。
よくあるハーレーにくっついているものといえばやたらとスタッズ(鋲)に取り囲まれたものや、車輪に巻き込むんじゃないかというほど飾り紐が垂れ下がったものだが(プレスリーの袖じゃあるまいし)カオリが特注で頼んだというそれは銀のバックル以外飾りらしい飾りのない、だからこそヴィンテージハーレーにぴったりのものだという。どうせ春になったらそれと一緒にカノジョを連れ出すに違いないというのがこの街の情報筋の間でのもっぱらの噂だった。

「ああ、アレな」
「で、お返しに何買ったんだよ」
「ただの白金カイロだよ」

まぁ確かにそれも決して必要というわけではないが、有れば有ったで嬉しい、プレゼントにはもってこいのアイテムだ。まして締まり屋のカオリなら日々消費されるだけの使い捨てのカイロをもったいないと嘆くことだろう。この厳寒のもと、屋外の張り込みという依頼もあったに違いない――っくぅ、オレに言ってくれれば手だって何だって暖めに掛けつけたのに!
だが、使い捨てに押されたとはいえ白金カイロ自体そんなご大層なものではない。それをわざわざあいつが隠しているとなると――

「あっ、てめ!」

判ったさ、ヤツの背後を覗き込んだだけで。店の紙袋はライターを取り扱っている専門店のもの。ライターとカイロの取り合わせといえば、

「Zippoだろ」

Bingo!何も言わなくてもその憮然とした表情が総てを雄弁に物語っていた。
リョウが普段からZippoのライターを持ち歩いているのはこの街の裏に一歩でも足を突っ込んだ人間ならみな知っていること。

「ペアルックってわけかよ」

カオリは煙草を吸わないからライターは持っていない。トラップの点火にはマッチでも充分だ。だからそのカノジョと同じZippoをとなれば、そういう組み合わせになるわけだ。
そうでなくても香とすれば充分嬉しいに違いない。これからまだまだ寒い日は続きそうだ。夜の張り込みとなればそれ以上に冷えるだろう。だが手の中にこのハンドウォーマーさえあればきっとしのげるに違いない。その温もりはリョウの手のひらの温もりも同じなのだから――オレのこのパシュミナのマフラーと同じく。

「あ――」

リョウが鈍色の空に視線を向けた。無意識のうちに手のひらを差し伸べる。

「降ってきやがったな」

それは冷たい雨粒ではなく、小さな白い結晶。それがはらはらと舞い降りてオレのウールのコートの肩に、アイツのよれよれのコートの袖に落ちてはふっと溶けていく。

「道理で冷えると思ったぜ」

もう用事は済んだ、これ以上長居をすることもない。何より早く暖かい家に帰りたかった。今日は実験明けで結果のデータをまとめるだけだとカズエもずっと部屋にこもっていたから――暖かなコーヒーと笑顔の待つHome Sweet Home。
だがリョウは反対方向の駅の方に歩を向けていた。

「さっさと帰れよ、カゼひくぞ」
「ああ、伝言板寄ってからにするわ」

この寒さの中、香を外に出したくないっていうアイか。
それぞれのパートナーへのプレゼントを手に提げながら俺たちはコートの襟を立てそれぞれの方向へと足を進める。それぞれの事情を抱えながら足早に歩く3月の雑踏の上に名残の雪は平等に降り積もっていった。

――君のためプレゼント買いに街に出る
コートの袖に雪は降りつつ


もともとは百人一首ネタ用のストックだったのですが
ホワイトデー=愛するカオリンへのプレゼント選びということで
拡大版としてこちらでupいたしました。

イベントネタの個人的な楽しみの一つに
撩と香のプレゼント選びというのがあります。
なので、どうしても物の描写の方に力が入ってしまいがちで
なかなか萌えどころを共有してもらいづらいというところもありますが【苦笑】
ジッポーのハンドウォーマーというチョイスはずいぶん前から暖めてました。
やっぱり撩には100円ライターよりジッポーなので、これでおそろですw
万年筆ってのは店主のマイブームということで。


City Hunter