わがころもでに |
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君がため 春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ この冬は最初の話では暖冬だったはずなのに、蓋を開けてみれば記録的な寒さだった。寒くて野菜が高いからお鍋もできやしないと、ワイフは向かいの主婦友達と会うたびこぼしていたし、ここトーキョーでも何度か雪が降ったほどだ。 それでも底冷えのする中を何でわざわざこうして出かけてきたかというと、もうすぐホワイトデーだからだ。日本だけのバレンタインの返礼を1ヶ月後にする風習。アメリカのバレンタインデーはジェンダーフリーだからお返しはその場でということになるが、こっちのそんな習慣も悪くはないと思う。なぜって、二度もドキドキが楽しめるじゃないか。 1ヶ月前、カズエがオレに贈ってくれたのはベルギー産の高級チョコと(手作りじゃないことについてはとやかく言いたくはない。何しろカノジョはチョコを掻き回している暇があったら試験管を掻き回していたいのだから)パシュミナのマフラー。この厳冬を乗り切れたのはヒマラヤのカシミヤ山羊の繊維の持つ暖かさのおかげだけではないはずだ。色も暗くなりがちな冬の装いにアクセントを添えるミントグリーン、きっと服にはうるさいオレのために吟味して選んだものだろう。もっとも、カズエが選んでくれたものならたとえショッキングピンクだって喜んで身につけるが。 その気持ちに報いるにはいったい何を選べばいいだろうか――オレが選んだのは、一本の万年筆。もともとオレ自身そのメーカーのものを愛用していて、ボールペンともども普段から持ち歩いている。もちろん日常の細々とした書類は安物のボールペンであれ何であれインクが出ればそれで充分だろう。だが、人生ときにはペンを選ばなければならないことがある。オレだったら契約書のサイン、そして――婚姻届などなど。逆に、大仰な万年筆などそんなときでもなければ用は無いだろう。けれども、決して必要ではないが有れば人生が豊かになるものこそ贈り物にはもってこいなのだ。 「And you too(お前もか)?リョウ」 No. 1スイーパーとしてあるまじきことに不意を突かれたであろうリョウは、あわてて持っていたものをその分厚い胸板の後ろに隠した。ヤツに気づかれなかったのだから、オレのスニーキングの腕前もまだまだ衰えていないってところか。 「ほら、もうすぐホワイトデーだろ」 ヤツのポーカーフェイスが一瞬ピクリと震える。 「お前自慢のハーレーのサイドバッグ、カオリのサプライズなんだってな」 リョウは普段のアシのクーパー以外にも何台ものクルマをガレージの奥に転がしている。その中に紛れているのが1945年式のハーレーダヴィッドソンWL、通称フラットヘッドだ。そのヴィンテージハーレー特有の二人乗りにはやや窮屈なシートの後ろにカオリを乗せて(だからこそ密着しなければならないのだが、この確信犯め)ときどきツーリングに出かけているのは向かいの我が家からもよく見えた。だが、どうせ年代物のバイクなら遠乗りは無理だろうが、バイクはクルマとは違ってあれこれと物は積めない。そんなときに便利なのが後輪の脇に振り分けるように提げるサイドバッグだ。 「ああ、アレな」 まぁ確かにそれも決して必要というわけではないが、有れば有ったで嬉しい、プレゼントにはもってこいのアイテムだ。まして締まり屋のカオリなら日々消費されるだけの使い捨てのカイロをもったいないと嘆くことだろう。この厳寒のもと、屋外の張り込みという依頼もあったに違いない――っくぅ、オレに言ってくれれば手だって何だって暖めに掛けつけたのに! 「あっ、てめ!」 判ったさ、ヤツの背後を覗き込んだだけで。店の紙袋はライターを取り扱っている専門店のもの。ライターとカイロの取り合わせといえば、 「Zippoだろ」 Bingo!何も言わなくてもその憮然とした表情が総てを雄弁に物語っていた。 「ペアルックってわけかよ」 カオリは煙草を吸わないからライターは持っていない。トラップの点火にはマッチでも充分だ。だからそのカノジョと同じZippoをとなれば、そういう組み合わせになるわけだ。 「あ――」 リョウが鈍色の空に視線を向けた。無意識のうちに手のひらを差し伸べる。 「降ってきやがったな」 それは冷たい雨粒ではなく、小さな白い結晶。それがはらはらと舞い降りてオレのウールのコートの肩に、アイツのよれよれのコートの袖に落ちてはふっと溶けていく。 「道理で冷えると思ったぜ」 もう用事は済んだ、これ以上長居をすることもない。何より早く暖かい家に帰りたかった。今日は実験明けで結果のデータをまとめるだけだとカズエもずっと部屋にこもっていたから――暖かなコーヒーと笑顔の待つHome
Sweet Home。 「さっさと帰れよ、カゼひくぞ」 この寒さの中、香を外に出したくないっていうアイか。 ――君のためプレゼント買いに街に出る もともとは百人一首ネタ用のストックだったのですが
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