Summer Breeze |
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どうしてこうなってしまったのだろう?せっかく楽しみにしていた夏祭りだというのに。ああ、判っているさ。楽しいときばかり続くわけなんてないっていうことは。だが、隣を一緒に歩いていたはずのカノジョは今はいったいどこへ行ってしまったのか。でもそれは、元はといえば総てオレのせい、ジゴウジトクと言われても当然のことだった。
――似合うじゃない、ミック! この浴衣もカノジョが誂えてくれたもの。大き目なチェッカーが印象的なインディゴのもの。夏に長袖フルレングスではかえって暑いのではないかと思ったのだけど、薄手のコットンで開口部も広く、スーツなんかよりよっぽど風が通る。それに――前より少々貧相になってしまったカラダもうまいこと隠してくれそうだ。 「ちょっと市松模様が派手すぎるかなぁって思ったんだけど カノジョはというと、白地にコバルトブルーで雪の結晶のような模様を絞り染めにしたもの。それに、同じくブルーと白でジオメトリックな模様(日本のトラディショナルな柄で『アサノハ』というらしい)の帯を、後ろから見ればまるでプレゼントのリボンをかけたように結んでいる。 「Splendid(すごいじゃないか)!一人でキツケができるだなんて」 そして涼しげなバスケットの巾着袋にからりころりという音も心地よい塗りのゲタ・サンダル。オレにも同じようなものを用意してくれたのだけど、 「ミック、なんでローファーなんて履いてきたのよ」 それでも一応、裸足用のローファーにしてきたのだが、 「I see(判ったわ)。次は浴衣にも似合うサンダルを探してくるわね」 カイバラの船から満身創痍のオレがProfessorと呼ばれる老人の屋敷に担ぎ込まれたのはまだ春といっても肌寒い頃のこと。ただでさえエンジェルダストの副作用で全身の筋肉がズタズタになっていた上に、両腕に重度のelectric burn(電気熱傷)だ。社会復帰レベルが前提のリハビリですらもう夏にさしかかっていた。 「ねぇミック、近所でお祭りがあるんだけど」 そう誘ってくれたのは教授の助手を務めるカズエだった。 「せっかく日本に滞在してるんだから、この国ならではってものを もうすでにベッドから起き上がり、日常生活にはほとんど支障がない。そのうえで外でも同じように自由に動き回れるか、そのテストも兼ねてというのはオレにも見当がついた。それでも二人でこうしてそぞろ歩くトワイライトのひとときはなぜか心弾むものだった。ようやく初めての外出というのもあるのかもしれない。だが、それ以上に―― 「ねぇ、オレたち注目のマトじゃないか?」 同じように浴衣姿で、あるいは洋服ですれ違う人たちはちらりとこちらを窺っては何かをひそひそと囁いているようだった。それは決して悪意のあるような眼ではなく、むしろどこか羨望混じりというか。 「もしかしてオレたちって、コイビト同士に見られてるんじゃないかな」 確かに今の二人の関係は主治医と患者というものだ。今だって患者の外出に医師が立ち会っているにすぎないのかもしれない。でもそれは白衣とパジャマという格好ならともかく、二人とも浴衣姿であればたとえ本人同士がそう思っていても、周囲からすれば連れ立って歩く妙齢の男女にしか見えない。だとすれば、二人の関係は自ずと推測できるというもの。 「迷惑かい?オレのコイビトと思われるのは」 カノジョの言葉をオレは社交辞令の謙遜とは思いたくなかった。それくらい今のカノジョは魅力的だった。長い髪をアップにまとめているだけで印象はいつもとぐっと変わる。それが淑やかな和服姿となればなおさら。もともと、どちらかといえば華やかな顔立ちというよりはアジアンビューティといった感じだったから、こういう格好がよく似合うだろうと思っていたが、正直それ以上だった。普段の白衣とシンプルな装いとは打って変わって、女らしさが滲み出ているというか……あまり太陽を浴びることのない生活ゆえか、透き通るような白い肌も夕闇の中ではかえって艶めかしいほど。ましていつもはお目にかかれないうなじなど、まるでむしゃぶりつきたくなるくらい――ガマンガマン、オオカミ男に変身してしまっては元も子もない。 いや、普段の飾り気のない清潔感のあるカズエも素敵だった。医師としての理知的な態度は今までオレの周りの女性のはいなかった、だからこそ惹かれるものがあったし、一方で普通の医者なら匙を投げるようなこんな患者にさえ親身に献身的に支えてくれれば心が動かされないはずがなかった。聞けば、もともとカノジョは免疫学者であり、薬物の治療はおろか臨床全般は専門外だったという。おそらく俺の治療にあたっても、寸暇を惜しんで研究と努力を重ねていたに違いない。それでも、あたかもスワンのようにそんな苦労を表に出さないカノジョが――いつの間にか、愛おしいと思うようになっていた。 「――わぁ、すごいじゃないミック!」 そう子供のようにはしゃぐカズエの手には、何匹もの金魚の入ったビニールの巾着。だいたい5匹はいるだろうか。 「カンを掴むまでウェファースを3本も無駄にしちまったけどね」 白い手袋に覆われているその下は今も焼け爛れた跡が生々しかった。筋肉はリハビリ次第である程度回復するとは、教授もカズエも共通した診断だった。だが切れた神経は繋がることは難しいだろう。おかげでまるで白手袋の上にも何重にも手袋を重ねたような感覚だった。それでも、何重もの分厚い手袋を重ねても指は動かせるように、感覚さえつかめればペンを持つのも箸を使うことさえできるようになるはずだ。もちろん―― 「これなら現役復帰もできるかな?」 そう流されてしまったけど。 「でも意外だわ。前にもやったことがあるの?」 ちらりとカズエを刺激するような言葉を混ぜてみる。けれどもカノジョの目は相変わらず朱色の小さな魚に向けられていた――これじゃ脈なしかな? 「水槽、買ってこないとね」 そう彼女は切なげに微笑んだ。そして沈黙――遠くでボン・ダンスだろうか、祭囃子が夕方の風に乗って聞こえてきた。昼間の炎天下と、それ以上にじめっとした暑さには悩まされていたが、日が落ちてから漂い出す涼風はそんな真昼の空気をどこかに運んでいってしまうかのようだ。 「――ああ、そういえばここの屋台には珍しいものが多いね。 ――って、何で屋台の話なんかしてるんだオレ!カズエが魅力的なんだろ?イトオシイんだろ?? なんでそこでロマンティックなフレーズの一つや二つ出てこないんだ!基本的に、ホレたら押しの一手だった。相手にステディがいようがいまいがかかわらず――いればなおさら燃えるタチなのだが――ひたすらストレートに言葉や態度で押していく。無論退くのも肝心だがそれも駆け引きのうち、愛に飢えてる女は情熱的なムードに弱いもの。だからコロリと参ってしまうのだが、今は――なぜか、口説き文句が出てこなかった。恋愛経験豊富なMick Angel様がこのザマだなんて、こんなことはティーンエージャーの頃以来だ。カオリに手も足も出せなかったあのバカを笑えやしない。 「ここのお祭りね、香さんに教えてもらったのよ」 偶然飛び出した名前に、思わず胸がざわめく。 「前に冴羽さんと来たらしいの。そこで射的の屋台で全然当たらなくって 隣にいるカズエが嬉しそうにヤツのことを口にしているのが面白くなかった。冷静に考えれば、カオリが――オレがこっぴどく振られた女が、リョウとのそんな傍から見ればまるで恋人同士のような微笑ましいエピソードを語っていたことの方が地雷だったかもしれない。だが今はカノジョの口からリョウという名前が嬉しそうに出てくることそのものが腹立たしかった。カズエは昔リョウに惚れていた、そう教授から聞いたことがあった。もうとっくに諦めはついたという。だが、彼女の心の中には今もリョウがいるのだ。 「だったらオレも当ててやるよ」 ちょうど運よく、目の前には射的の屋台。 そう言って、模造のライフルを片手にターゲットへと身を乗り出した。銃はしょせん空気銃、反動なんてデザートイーグルと比べれば無いも同じ。たとえ狙いがずらしてあってもそれを自分で補正すればいいだけのこと。あのリョウができたのだからオレだって――そのとき、周囲の喧騒も祭囃子も、カズエの声ですら耳には入らなかった。 「Gotcha!」 一発試し打ちをした後、2発目で難なく一等の景品を撃ち落とした。 「Kazue, I got it(やったよ)!」 だがそのとき、喜びを最も伝えたい人はそこにはいなかった。 「Kazue, where are you? Where have you gone(どこだ、どこに行ったんだ)!?」 すでに日も沈み、祭りの人出も増えていた。そんな中、浴衣姿のガイジンが必死になって人を探しているのだから目立たないわけがない。カノジョはさほど背の高い方ではない、この人込みの中では容易に紛れてしまうだろう。 「Kaz――sorry, I'm wrong(人違いでした)」 ああそうさ、怖かったのだ。カノジョを失ってしまうことが。だから手を出せなかった。見当違いの好意が相手を困らせ、結果的に傷つけてしまう。それを何より恐れていた。オレはカズエが好きだ、世界で誰より愛している――今のところは。でも、カノジョは?カノジョに他に愛する者がいたら、そうでなくてもオレの気持ちに応えることができないなら、想いは重荷になり、カノジョを苦しめるだけ。それを身に染みて気づかされてしまったのだから、カオリに。だからずっと自分の気持ちにブレーキをかけ続けていた。これ以上好きになりすぎないように、惹かれそうになる恋心を必死で冷まし続けてきた。迷路に迷い込まないように、いつも帰り道を確かめながら。そうやって、自分の気持ちよりも常にカノジョの気持ちを慮ってきたのに、そのオレがカノジョを傷つけてしまったのだからどうしようもない。 「――カズエ」 カノジョを見つけたのは、ボン・ダンスの輪から外れた神社のちょうど目の前。ヤグラの周りにはいくつものボンボリが明るいというのに、まさにトウダイモトクラシだ。 「Kazue, what happend(どうしたんだい)?」 そう――かもしれない。さすがはオレの主治医、総てお見通しだ。そう、オレはあのときカズエの心にいるヤツを撃ち抜いて、その存在そのものを消してしまおうとしていたのだ。 「ねぇミック、この浴衣、着るの久しぶりって言ったでしょう? それは教授からも聞かされていないことだった。 「彼が亡くなって、その復讐を冴羽さんに依頼して―― そうとはっきり言ってしまえば、それこそカズエを傷つけるだけだ。でもそうなのかもしれなかった。あれほどカノジョに惹かれたのは、カオリという穴を埋めようとしていただけなのか。でもカノジョの言うとおり、カオリはカオリ、カズエはカズエ。代わりなんてできるはずがなかった。 自分がそうなってみて初めて愚かさに気づかされるなんてことはよくあるもの。オレは今まで男たちからヤツらの恋人をさんざん奪い続けてきた。カノジョたちの心の中に住むヤツらをオレ色に塗りつぶすのが痛快でたまらなかった。でも本当は塗りつぶすことなんてできやしないのに。表面上はつぶされてしまっても、ペンキの奥にかつての恋人は生き続けているのに、一生ずっと。 「この浴衣も、あの人と一緒に着ていたもの。 暗がりの中でもカノジョの目から大粒の涙が零れ落ちていたのはオレにも判った。決して普段の知的でクールなカノジョからは想像もできない泣き顔。その涙を一刻も早く止めたかったから―― 「――ミック?」 何でもっと早くこうできなかったのだろう?今までの自分だったらいとも容易いことだったはずなのに。オレはカノジョをまだまだ貧相な胸板に抱きしめていた。ボン・ダンスが一曲終わったのだろう。しばしの静寂の中、蝉の声が静かに聞こえていた。 「――カナカナ、かな?」 思わずpun(駄洒落)になってしまい、胸の中でカズエがクスリと笑みをこぼした。 「そうね、ヒグラシだわ。でもよく判ったわね」 セミなんて向こうでも鳴いていたが、ただの騒音にすぎなかった。でもその一つひとつに鳴き声があると教えてくれたのはカズエだった。浴衣に風鈴、夕涼みに打ち水、カノジョがいなければこの季節もただウェットに暑いだけの不快なものだったはずだ。でも、大げさかもしれないけれど、カズエと出逢って目に映る景色ががらりと変わったのだ。その愛しさに嘘はない。たとえそれを、かつての自分のように明け透けに表せなくても。 ――これは運命なのかもしれない。傍から見れば売れ残りのあぶれ者同士と映るかもしれない。でもそれぞれ選択肢はお互いしかなくて、相手を選ぶか、それとももう一生誰も選ばないかの瀬戸際だった。これが最後のチャンス。 「ねぇカズエ。その浴衣、また着てくれるかな?」 オレは選ぼう、キミとの未来を。キミもオレを選んでくれればの話だけど。お互い傷だらけで一歩を踏み出す勇気が持てなくてもかまわない。臆病者は臆病者同士、ゆっくりと焦らずに距離を詰めていければいい。逸りそうになる心を何とか抑えながら。 「そのときはオレもこの浴衣、着ていくから」 だから誓おう、その口唇に。来年の夏も、その次もずっと―― 「I'm home, Professor(帰りました)」 それからもボン・ダンスの輪の中に入ったりとすっかりニッポンの夏祭りを堪能してきたのだけど、カノジョは遊び疲れてしまったようだ。無理もない、オレの看病に何ヶ月も働きづめだったのだから。そのカノジョをこうしておぶって帰ってきたというわけで、それでもその手には金魚の巾着がしっかりと握られていた。 「病み上がりの身体には正直重荷だったかのぅ」 振り返ってカズエの寝顔を覗き見る。その横顔はすっかり安心しきったような穏やかなものだった。ほんの少し前までベッドで寝たきりの男の背中だというのに。 「うむ、それならリハビリはもう完了といえるかな」 そう、オレにはカノジョと来年の夏を迎える前にやらなければならないことがあったのだ。 というわけで、2012年残暑お見舞い第2弾
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