Traditional Wish 


いったいいつから一月一日は、ただの365分の1日になってしまったんだろうか。
今日が元旦だと意識させるのは、昼間から賑やかなテレビと食卓に並ぶお雑煮と重箱ぐらいなものだ。
それだって、中身は手作りなどではなくスーパーに並ぶ出来合いのおせちをただ切って詰めただけのもの。
それ以外お正月らしいことは取りたてて何もしないのだ。
混んでいるからといって初詣にも行かず、窮屈なだけの着物なんてもってのほか。

向こうで迎えるNew Year Dayはクリスマスの盛り上がりに比べればそれのおまけみたいなものだ。
休暇だってChristmas holidaysというくらいだ。
もちろんタイムズスクエアのカウントダウンは毎年大盛り上がりなのだが
その14時間前に国際放送の紅白歌合戦を見てしまうと、どうしても日本のお正月が恋しくなってしまう。
だけれど、戻ってきたときに感じるのは「あれ、これが日本のお正月だったかしら?」という戸惑い。
どうやら私も日本ではまだサムライが刀を差して歩いていると勘違いしているアメリカ人を笑えないようだ。
テレビの中の伝統的なお正月と現実を遠い異国でいつの間にか混同してしまったのだ。
確かに、私だって日本にいたときは典型的な寝正月だったっけ。

でも、今度の年末年始はちょっと違った。
大掃除の後には妹と二人でおせち料理を一から手作りした。
筑前煮くらいだったら家で作るだろうけど、まさか黒豆や伊達巻きまで
自分たちでできるとは思ってもみなかった。
そして大晦日には除夜の鐘を突きに行った。
そんなこと、こっちにいたときも含めて今まで一度もしたことがなかった。
そして、昨夜はお寺だったからと初詣には近くの神社に向かったのだが――

「大丈夫、さゆりさん。きつくない?」

参道の階段を上がる間も、しきりと妹はそう声をかけた。
それもそのはず、成人式の振袖以来の着物姿なのだから
――卒業式の袴を含めても年数としては大した違いはない。
でもあのときは何本もの紐で雁字搦めにされた記憶しか残っていないのだけれど
香の着付けだとなぜか苦しさは感じなかった。
かといって、歩いていても着崩れしていないのだから、きちんと押さえるべきところは押さえているのだろう。

「ええ、帰りに屋台の焼き鳥くらいだったら入りそうよ」
「ならよかった」

そうほっとしたような笑みを浮かべる彼女は、いつもの快活なジーンズ姿とは打って変わって
こっくりとした赤紅の着物に、黒地に細かく可愛らしい橘紋を散らした帯
その上に紅と浅葱――というよりシアンといった方がいい――の市松模様が目にも鮮やかな長羽織に
臙脂の透かし編みのショールをふわりと巻きつけていた。
普段あまり赤やピンクといったイメージのない妹だけれど
赤の地色に抽象化された梅柄を大胆にあしらったその着物は
典雅というよりはモダンですらあり、彼女のくっきりとした顔立ちにもよく似合っていた。

一方の私はというと、青寄りの紫の上に全体にわたって
小さな梅や牡丹といった柄が散りばめられた着物に
黒繻子に色鮮やかな雉の刺繍が施された帯。
さらには冬の外出用にと和服用のコートまで用意されていたのだが
それは黒のウール地によく見ると同じ黒で大きく唐草模様が織り出されたものだった。

「意外だったわ。香さんが着付けもできるなんて」
「ドレスコードで着物が必要なところにも潜り込まなきゃいけないし、ドレスと一緒よ」
「まぁ、『リリー』のママにあれだけ頼み込んで教えてもらったんだからな」

と言う冴羽さんはいつものよれよれのコートにマフラーを巻いただけだ。

「本当は明治神宮なんかの方がよかったのかもしれないけど――」
「いいのよ、あっちじゃ大混雑だもの」

といっても、花園神社もさすが新宿の総鎮守ではある。
近くにゴールデン街などの盛り場もあるだけに、社殿の前にはすでに黒山の人だかりができていた。
それでも、和服姿なのはこの中で私たちくらいだけではないだろうか。

「でもそれ、ぴったりでよかったわ」
「着物?」
「本当はさゆりさんに合わせて作らなきゃいけなかったんだけど
たまには撩の特技が役に立ったみたいね」
「たまにはってなんだよ」
「だけど……せっかく誂えてもらったのは有り難いんだけど――」

着物というのはお端折り次第で着丈は何とでもできる。だが袖丈だけは着る人に合わせなければならない。
私は香より小さいから、この着物はもう彼女は着られないのだ。

「それだったら心配しないで。あたしからのプレゼントだから」
「えっ!?そんな……高かったでしょ」
「いいのいいの。ミックとか見てるとこういう仕事ってパーティとかレセプションとか多いでしょ?
だから、そういう場で着てもらえればいいかなぁって」

確かに、菖蒲色の総模様を背に後ろ姿に原色の雉が浮かび上がる装いは
どんなイヴニングドレスにも見劣りしないだろう。
そういう場に民族衣装で現れる同僚もいた。そんな姿に同じ異邦人として
借り着の自分を苦々しくも思ったものだった。だけど――

「それに、前にさゆりさんからワンピース貰ったじゃない。遅くなっちゃったけど、そのお返し」
「でも、それとこれとじゃ値段が違いすぎるわよ」
「時間が経ったから利子がついたってことにしておいてよ」

そうにっこりと笑われてしまったら、こっちが折れるしかない。
あのとき、私は彼女を――妹を一緒にニューヨークへ連れて行くつもりだった。
今となっては愛する人と結ばれて、彼との間に子供も出来て
そういうものをすべて断ち切って連れて帰れるはずがない。
けれども、遠い異国にあって香の身の上だけがこの地に残した心配事だった。
明日をも知れない世界で無事、幸福に暮らしているのか。
それを確かめるのが帰国の一番の目的だったのかもしれない。
結局、私の心配は取り越し苦労だった。
香はしっかりとこの世界に、この街に根を下ろしている。
家族だけでなく、多くの心優しい隣人たちに包まれながら。
だとしたら、彼女の幸福を祈るのにここ以上の場所はないだろう
この眠らない街の守り神を除いては。

「ん、どうしたの?」

黒山の列の直前で、香がふっと腰をかがめた。娘が袖を引いたのだ。
ひかりもまた和服姿――赤というより紅緋色に花絣の揃いの着物と羽織に、頬を同じくらい紅く染めて。
それは決して寒さのせいだけではないようだ。

「おさいせん。人ごみの中じゃおさいふ出せないでしょ?」

そういわれると香は、いつもより上等のハンドバッグから財布を取り出すと
穴の開いた硬貨を娘の手に握らせた。

「ねぇママ、何おねがいする?」
「ないしょ。言ったらお願い聞いてもらえなくなるわよ」

そう言われるや否や人の壁に突入しようとする姪の襟首を、後ろから伸びたがっしりとした腕が
着崩れるのもおかまいなしに掴むとぐいと引き寄せた。

「せっかくのおべべが踏んづけられるぞ」

と言うと撩は娘を掴み上げると自分の肩の上に乗せた。
普段の格好だったら肩車なのだろうが、さすがに着物ではそうはいかない。
でも、肩車よりこの姿勢の方が負担は大きいだろうけれども、彼にとってはこれしきのことなのだろう。
斯くして、居並ぶ大人たちを眼下に見下ろしながら、ひかりは社殿への列を進んでいく
――こういった一つ一つのことが、きっと彼女のこれからの人生のために刻まれていくに違いない。
いつものお正月には着られない着物が着られて嬉しかったこと、
パパの肩に担いでもらったこと、
クリスマスにサンタクロースからプレゼントをもらったこと、etc etc....
だけどいつか過酷な運命が幸福な記憶に影を落とさないとは限らない。
次の年も家族そろって迎えられる保証はどこにもない。
香が、そして彼女の大切な人たちが生きているのはそういう世界なのだ。

ならば、姉の私の願いはたった一つ――彼女たちのこの幸福が、これからも続いていきますように。
そう瞼を閉じ、手を合わす。その祈りが聞き届けられる保証もどこにもない。
でも、祈るほかないのだ。遠く海を隔てて案じるしかない自分は。

「ねぇ、何をお願いした?」

さっきの自分の言葉はどこへやら、目を開けた私の横顔を妹が覗き込んだ。

「ないしょ♪」

ほら、願いに一歩近づいた。


ということで、あけましておめでとうございます。
ようやくさゆりさんの和な年末年始三部作も完結しました。
描写に力が入ったのは、本筋より
三人の着物というのは読んでてよくお判りかと思います【苦笑】
『き○のサロン』や『○しいキモノ』よりは『○緒』や『キ○ノ姫』の方が
イメージというか個人的には好みなもので。

こんな店主ではありますが、2012年もどうぞご贔屓にm(_ _)m


City Hunter