pour homme |
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エリ・キタハラといえば原宿・表参道のみならずあちこちの有名デパートにもテナントを構え、さらにはパリコレにも進出しようという勢いなのだから、当然フレグランスも扱っている。それを手がけている調香師が次のショーのときに発表する新作の打ち合わせのために来日するという。そしてあたしは、なぜか絵梨子に引っ張られて彼女のアトリエ兼オフィスに来ていた。応接室のソファの隣の席には絵梨子、向かいにはその調香師の人――「ついでにせっかくだから、オリジナルの香水作ってもらったら?」それが絵梨子の誘い文句だった。
「本場一流のプロが調合してくれるのよ。いい機会じゃない」 そう、確かにもう3月、そろそろ撩の誕生日だった。なのにプレゼントは何一つ決まっていない。一緒に生きてこの日を過ごせるのが一番の贈り物なのだけれど、それだけでは何も残らない。共に過ごせた証として、形のあるものを贈ってあげたかった。 「あの……本場フランスの方だって聞いて、てっきりそっちの方だと……」 目の前のソファに座っている調香師の女性は流暢な日本語で返す。それもそのはず、彼女はつややかな黒髪の日本人だった。 「桂さんは単身で向こうに渡って厳しい修行を積んで、 「そんな、大げさに言わないでよ。向こうで私が仕事してるメゾンったって ただ、やっぱりフランスの女性だなぁと思うのは、切れ長の目を隠すことなくむしろ際立たせるようなメイクと、スカーフ使い一つとっても自分に似合うものをわきまえているセンスだった。これが日本となると、みんなファッション雑誌の焼増し写真なのだから。 「はじめまして、香さん。今日付けてる香水は何かしら?」 そう悪気のない笑顔で訊いてきた。 「そんな、香水なんて……あたし、そういうのまったく苦手で」 もちろん今も何もつけていない。ときどき撩は、そういう仲になってからあたしのことを「いい匂いがする」と言っていた。あたしは自分自身の匂いなんて全然判らないし、他からはそんなことを言われたことがなかったから聞き流していたのだけれど、まさか他の人に、それも匂いのプロの人にそう言われるとなぜか舞い上がってしまったのだ。 「香、落ち着いて座って」 それだったらいくつか浮かびそうだけど、あまり香水の材料になるようなものとは思えなかった。 「Ya pas de problem (問題ないわ)、香水の元になる香料は3,000以上もあるのよ。 あたしの内心を見透かしたように、彼女が取り出したのは、スクエアな青い香水瓶だった。そっと蓋を開けて鼻を近づける。あたしはあまり嗅覚の鋭い方ではないのだけれど、それでも透明感のある爽やかな匂いの奥に、ほのかに煙草の――撩のとは違うのだけれど――香かが漂った。 ――これなら大丈夫かもしれない。 と、フランス語で相槌を打ちながら、手元のノートにいろいろ書き込んでいるようだった。 「香、何か肝心なものを忘れてるんじゃないの?」 そう絵梨子が横から肘で突っつく、まるで高校の授業中、あたしが答えを判っているのに手を挙げなかったときのように。 「あら、何かしら?」 そう桂さんが言っても絵梨子はあくまであたしに答えさせる気だ。でも――いくら香料の種類が3,000以上だといっても、それを再現できるものはあるのだろうか。 「ほら、冴羽さんの匂いっていったらアレでしょ?」 撩の匂いといえば、体臭の奥に微かに薫るガンオイルと――硝煙の匂い。 「でも、これを外したら彼の薫りにはならないわよ」 と、テーブルを挟んで顔を近づけあって、あたしをよそに何かひそひそと密談していた。 「あとコーヒーの匂いってのもあるんじゃない?」 と言うと、桂さんは手に持っていたノートを広げ、白紙のページに三角形を描くと、それを3つの段に分けた。 「香水の薫りはずっと同じってわけではなくて、 それは絵梨子自身がよく知っているはずだ。撩のことなんか、最初は「センスの無い男は嫌い」って言ってたくせに、ガードが終わった頃にはぞっこんだったのだから。 「じゃあ、第一印象となるトップノートだけど」 あたしが答える前に絵梨子が先手を取る。でも、あたしだったらそんなにはっきりと即答できなかっただろう。この場合、誰よりあたしたちのことを理解しているその道のプロを代理に立てた方が得策だ。 「じゃあスパイス系や、柑橘の中でもわりとシャープなものがいいわね」 ふっと、このままだとあたしの中の撩のイメージから離れてしまうような気がした。 「あの――、ジャングルっぽいイメージの匂いって出せますか?」 あたしにとって、撩の最奥に潜むもの――それは密林の中の記憶。 「木だけじゃなくてフルーツも入れた方がジャングル感が出ない?」 そんなこんなで1週間ほど経った後、アパートに小さな包みが届いた。「割れ物注意!」と厳重に書かれたその中身は、シンプルなスプレー式の小瓶と、それに詰まった透明な液体。透明なキャップを開けて、同封されていたムエットに吹きかけてみると、ふっと薫り立つクールな――爽やかというより、どこかドライな――匂い。そこにほのかにスパイスや、レザーやゴムタイヤのような、何かが燻っているような、そんな無機質なものが混じる。これが数時間経てば打って変わって鬱蒼としたジャングルを思わせる匂いになるのだろうけれど――どこか物足りない印象を覚えてしまった。何かが欠けているというか、それが何なのかあたしには判らないのだけど。 「あたし、調香師でもなんでもないんだけど」 撩の急かす声に、あたしは急いで身支度を整えた。まだ誕生日まで間がある、小包はどこか隠して、それまでにラッピングしなおせばいい。 春は名のみのまだ風が冷たい季節、デパートを近道代わりに通り過ぎることもあるのだが、1階はどこもたいてい化粧品のフロアだ。その一角の香水売り場にて、 「あー、あれ絵梨子サンの新作じゃねぇの?」 そこには昼間と夜のイメージの対照的な2枚のポスター。先行限定発売と銘打たれ、いかにも高級ブランドらしい凝ったボトルに入ったそのうちの一つは“chasseur de la ville”とのロゴが入っていたが、語学に堪能な撩はどこか苦虫をかみつぶしたような表情をしていた。思わずそこに立ち止まっていたところ、 「エリ・キタハラの新製品ですー」 そう言ってムエットを渡された。それはまさしく今日届いた香水だった。ただ、うちにあるものと一つ違うのは、何かが足りないような感じが全く無かったこと。そして、何が足りないかそのときようやく気がついた――撩自身の匂いだ。煙草と、ほのかな硝煙の匂い。 「あの絵梨子サンが親切でオリジナルの香水なんか作ってくれるわけがねぇんだよ」 そう眉間にしわを寄せながら苦々しく撩が呟いた。 プレゼントネタは何が喜ぶか、何が似合うか あれこれ悩みながら選ばせるのが醍醐味ではありますが、 オーダーメイドの香水だと、イメージというより漠然としたもので 香がリョウのことをどう感じているのか、というのが より見えてくるんじゃないでしょうか。 壁紙の写真はブルガリ・ブラック。 スパイスやレザーなど、わりとワイルド系な香水だそうで リョウに似合うかどうかはともかく、イメージに近いなぁと思いました。 ということで、 香ちゃんのプレゼント、受け取ってやんなさいよ!
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