pour femme

香水というのは不思議なもので、同じものでも付ける者によってその薫りが違ってくる。例えば、ある者が付ければ「爽やかな匂い」になるものが、また別の者が付ければ「暖かみがある」印象を与えるというもの。それもそうだ、体温でも薫り立ってくるものは違ってくるし、その人自身の匂いとなれば千差万別だ。

だから興味がある、街を歩けばあちらこちらでその香を嗅ぐような流行りの香水でも、香が付ければどう匂い立つだろうか。おそらく、そんな誰にでも似合うような安っぽい「いい匂い」ではなく、香自身を際立たせるような、あいつにしか似合わない匂いになるに違いない。だが、あいつに似合う香水となると限られてしまう。それは、「香」という名にふさわしく、あいつ自身が放つ香気――芳香に芳香を重ねてもそれが薫香となるとは限らない。ただけばけばしくなってしまうだけか、下手をすれば互いの芳醇さを打ち消し合ってしまう。結局、何もつけない、香自身の匂いが一番ということになってしまう。

でももし、一流の調香師――敬意を込めて“nez(鼻)”と呼ばれるほどの――が調合した、真に香その人に相応しい薫りであれば、どれほどあいつ自身を文字どおり匂い立たせてくれるだろうか。

まぁ、そんな機会はないものと思ってはいたが、まさかそれが訪れるとは考えてもみなかった。

「Enchantee(はじめまして)、ムシュー・サエバ」

そう言って握手の手を差し伸べたのは、オリエンタル・ビューティな大和撫子。月に生えるという香しい木の名を持つ彼女は日本人でありながら、本場フランスのグラースで調香師として名を上げているという。

「Ravi de vous rencontrer(お近づきになれて光栄です),マダム」
「お噂はかねがね伺っていますわ」

そうきっぱり言い切る自己主張の強さは、日本女性には無いもの。下心込みで握った手に思いきり力を込められた。

「ところで、あいつの印象はどうだったかい?」

口説き落とすのはまた別の機会、絵梨子さんに席に促されながらそう切り出した。

「聞いたとおり――いえ、それ以上ね。
生まれながらに芳香を放つという人のことは聞いたことがあるし、
私も何人かあったことはあるけれど、彼女は別格だわ。
その匂いの強さも、そして香しさも」
「でも、だからこそやり甲斐はあるでしょ?調香師として」

絵梨子さんがそう彼女の闘志に火をつける。

「そうね。でも本当に似合う薫りっていうのは
その人自身の匂いとの相性だけじゃないわ。
付ける人の内面まで表すような薫りじゃないと」

これは香さんとは違うやり方なんだけどと言いながら、桂さんはテーブルの上に番号だけ書かれたラベルを貼った小さなガラス瓶をいくつか並べ始めた。

「Cavaleur(プレイボーイ)の冴羽さんならご存知かと思うけど、
香水には薫りの種類によっていくつかの種類に分けられるわ。
もちろんそういった薫りを組み合わせて一つの香水が出来るのだけど、
その中でも代表的な香水を持ってきたの。
この中から香さんのイメージに合うものを教えてくれる?」

それらは確かに俺もどこかで嗅いだ覚えのあるものばかりだった。すれ違った残り香で、抱いた女の移り香で。ただ、その銘までは記憶に無かったが、これでも鼻は利く方で、元は何の匂いかというのはだいたい見当はついた。

「これは果物の匂い。これは……ラベンダー、かな?」

いかにも夜の蝶に似合いそうなもの、そうでなくてもあいつには少々大人びたもの、などなどを端へと除けていく。テーブルの中心に残ったのはほんの3,4本の小瓶。そこに貼られた番号を桂さんが確かめた。

「どちらかといえばフローラル・フルーティ中心よね。
まぁ、確かに私が逢った印象もそうかもしれないわ――あら、これも残ったの」

と言うと彼女は小瓶を手に取り、その匂いを確かめた。それはバニラのような甘ったるい匂い。同じような香水が他にもあったが、これは程よく上品で、言うなれば「甘さひかえめ」という感じだ。

「確かに冴羽さんにとって香は『お菓子』みたいなものだもんねぇ」

桂さんから渡された瓶を確かめながら、絵梨子さんがにやにやと混ぜっ返す。

「あと、彼女が好んで付けている香水があれば教えてほしいんだけど」
「それは――」
「ティーローズ」

絵梨子さんが制しようとしたのを掻い潜って答える。
それは、情けない話だがパチンコの景品で持って帰ってきたもの。
こういう仕事をしているとドレスアップした場面にも出なければならなくなる。その手の場では女の場合、香水まで含めてドレスコードだ。そういうときはバカの一つ覚えのようにそれを付けていっている。これはたまたま香自身の匂いを邪魔しないのだ。要はそれ以外、冒険したことがないということだが。

「ふーん……ローズ、ねぇ」

向かいの美女が意味深に口唇の端を上げた。
ああ悪いか、俺にとって香の花はバラなのだ。他のやつは否定するかもしれないが、それはあいつの一面しか知らないのだから。赤、白、黄色とさまざまな色があり、それによって持つ意味も変わってくる。そしてその匂いもさまざまだ。華やかなダマスク、爽やかなフルーティ、優雅なティーローズ。それはまさしく香そのものだった。
子供じみていたり、気が強かったり、だがその一方で包み込むような暖かさもあり、そして時に俺を誘うような女の表情を見せたり――棘については言わずもがなだ。

「じゃあ、ベースノートの中心はバラで決まりね。あとはトップとミドルだけど」

バラがベースとなればいわゆるフローラル系、つまりはいかにも女らしい匂いになるだろうが、それだとちっともあいつのイメージではない。もっと多面的な、一つの薫りでは表しきれないような香らしさを出せるようなものでなければ、とてもあいつには似合わないはずだ――テーブルの上に並んだままの小瓶を、端に除けたものも含めて再び手に取って、その匂いを確かめ始めた。ひっきりなしにあれこれと嗅いだものだから鼻がバカになりそうだったが、かまうものか。半ば嗅覚が頼りにならなくなりながらも、その中から一つを選び出し、桂さんに突き出した。

「シトラス系か……」

どちらかといえば女物らしからぬそれだったが、その方がむしろあいつの第一印象としてぴったりだろう。この俺だって二度も男と間違えたのだから。

「これとアップルとか瑞々しい感じの匂いと組み合わせればどうかしら。
あとはミントかバジルとか」

絵梨子さんがファッションのプロとして助言を入れる。いつもあいつの良さを引き立ててくれるドレスを仕立ててくれるだけのことはある。こう見えても俺だって、彼女のデザイナーとしての腕は認めているんだぜ。

「それでミドルは一転して女らしいっていうか『乙女』っていうか。
ふわっと甘い感じのフローラルにフルーツ、あとコンフェクショナリー(お菓子)系の
匂いもいいかもね」

さすがは親友兼専属デザイナー、彼女の中にはすでにしっかりとしたイメージはできていたようだ。それに関しては俺も異論は無かった。

「で、ベースはローズだけど」
「そう、さらに打って変わってセクシーな感じで。
でも変に扇情的なのでなくてもっと上品なのがいいわね。
それでピリッと棘みたいなものが出せれば」

そう言うと横目で俺に目配せをする。
ああ、そのとおりだよ。完璧だ。この世で男では俺しか知らない香の姿を知っているようなのは癪ではあるが、それを見抜くのもやはりデザイナーの眼なのだろう。
桂さんもまた、すべての意味を理解したかのような表情で頷くと、膝の上に広げていたノートを閉じた。

10日ほど経ったのち、指定した私設私書箱にそれは届けられていた。
この世にたった一つの香だけの、そして俺だけの香水。
そろそろあいつの誕生日も近い。きっと香水なんか興味のないあいつにとっても、この上ないプレゼントになるだろう。もっとも、そういうものを好きこのんで付けていく女じゃないが、おそらくはドレスとともに身につけるに違いない。エリ・キタハラのドレスと相まって香の魅力を最大限に引き出して――しまったら余計悪い虫が増えるだけだ。いやいや、まったく男心は矛盾しているものだ。

「りょおー、まだ用事終わらないの?」

外でその肝心のプレゼント相手が声を上げる。
勝手に一人で出かけると、情報屋が逐一ご注進に上がるらしくいろいろ痛くない腹を探られる羽目になる。雑居ビルの中にある私書箱の外廊下に待たせたままにしていたが、春先の寒の戻りで一人で震えているのだろう。だが、とりあえず匂いだけでも確かめないと――同封のニエットに瓶の中身を吹きかけた。
まずふわり匂うのはレシピどおりの柑橘の薫り。まさしくシュガーボーイだったころのあいつだし、今でもショートカットに飾り気のないジーンズ姿では、初対面の眼に映るのはこんなユニセックスな印象なのだろう。だが、それも時間が経つにつれ、深くあいつを知っていくにつれてその中にある女らしい一面も知ることになるだろう。そしていつしか『女』そのものの表情も――だが、ベースノートまで堪能するには時間が無さすぎる。未だトップノートの匂いを放つ小さなニエットを私書箱と称したロッカーの中に置いて行った。女物の匂いなんて、ポケットの中に入れておくだけで誤解のもとだ。香水の入った包みは注文どおりコートのポケットに収まるサイズで、香に気づかれないように忍ばせて店を出た。

「なぁ、寒いから帰りは近道していこうぜ」

だが、その俺の提案が災いのもとだった。デパートの1階、化粧品フロアの一角では華々しくエリ・キタハラの新作香水の発売イベントが行われていた。ブースには対照的な二枚のポスター ――都会の昼と夜をイメージした写真。ちなみに、予想に反して昼間が男物、夜が女物のポスターだ。この辺のうがった深読みも絵梨子さんのセンスらしいというか。そして、女物の方に書かれた商品名は――“Ange de la ville”、都会の天使。もう一つの題名は言わずもがな。まさかとは思ってテスターの瓶を手に取って鼻を近づけてみれば、やはり俺のポケットの中身とほぼ同じ。

「あの絵梨子サンが親切でオリジナルの香水なんか作ってくれるわけがねぇんだよ」

気がつけば周囲の女たちもすでにテスターで試したのか、同じ匂いがぷんぷんとしやがる。それがみな一様に安っぽいというか、万人受けしそうな『売れ筋香水』というか――あいつは今さら男に間違われたのか――いくら寒いからって、アーミーコート着てれば間違われるんだよ――男物の方のニエットを手渡されて困惑していた。その香の手首をぐいっと引っ張った。

「ちょっと、何するのよ」

コートに隠れていた白い手首が顕わになる。そこにほんの少し“Ange de la ville”を吹きかけた。瞬時にあいつ自身の匂いと混ざり合って匂い立つのは、もっと深みのある薫り――ただボーイッシュな表情の奥に何かを隠していそうな、その何かを暴きたくなるような。

「どうしたのよ、撩」

どうやら内心のしたり顔が表情に現れていたようだ。

――絵梨子さん、桂さん、あんたらやっぱり一流のプロだよ。
この匂いは誰にでも似合うかもしれないけれど、この香水を引き立たせられるのは世界で香だけなのだから。



撩の誕生日に引き続いての香水ネタです。
そーなんですよ、実はこっそり撩も絵梨子さんに呼ばれてたんですよw
こっちもまた、撩の思い描く香嬢のイメージを堪能させてもらいました。
でも、あの絵梨子さんが『撩の香水』と『香の香水』
それもお互いを一番よく知っている同士がイメージする薫りを
商売に使わないわけがないでしょう【笑】
壁紙の香水はグレの『カボティーヌ』
ボトルに見覚えのある人も多いはずのロングセラーです。
ただ、香ちゃんに合うかというと……うーん
「意地っ張り」という名前が「らしい」と思っただけです。
というわけで、
Happy, Birthday, Kaori
もらった香水はマリリンの『シャネルNo. 5』代わりにしてみては?【爆】


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