この胸いっぱいの愛を
              〜ver. K

二日酔いの朝は匂いに敏感になる。まして元から嗅覚に自信があればなおさら。

目が覚めるとアパート中が悪臭に包まれていた。起きぬけの不快感に拍車がかかる。悪臭といっても刺激臭がするとかそういうものじゃない。鼻につくような甘ったるい香り、好きな奴にしてみればこの上もなくいい匂いなんだろうけど、俺にしてみればもはやこれは公害だった。
どうやらこの悪臭の発生源は階下のキッチンらしい。眠い目をこすりつつ階段を一段ずつ降りるごとに匂いがきつくなっていく。

「香ぃ、おはようさん」

そこでは同居人兼相棒が匂いをものともせずにキッチンに向かっていた。
むしろこいつにとっては『いい匂い』なのかもしれない、Kプラザホテルのケーキ食べ放題に嬉々として誘われる香にとってみれば。
時計を見上げる。もう「おそよう」の時間帯だ。

「香ちゃーん、俺の朝メシは?」

返事は無い。その代わりにダイニングテーブルに向って冷たい視線を投げかけるだけだ。そこにはトースターに食パンがセットされ、コーヒーサーバーの上には紙と挽かれたコーヒー豆の入ったドリッパーが乗せられていた。・・・自分でやれっていうことね。

香の不機嫌の理由は明快だ、俺が昨日のうちに帰ってこなかったからだ、バレンタインだというのに。昨夜はミックと一緒に「チョコの回収」と称して歌舞伎町中を飲み歩いていた。行きつけのバーやキャバクラ、なぜかオカマバーに至るまで、甘いものは嫌いだというに「香ちゃんに持って帰ってあげなさいよ」とチョコ攻めに遭って・・・このザマだ。
おかげで香からのチョコレートはまだ受け取っていない。山ほどの義理チョコをドブに捨ててでも欲しかった本命は。

「ねえ香ちゃん、なーに作ってんのかなー?」

反省と謝罪を言外に忍ばせた猫なで声ですり寄る。肩口から香の手元を覗き込んだとき――固まってしまった、完成後のチョコレートのように。
家で一番大きなボウルを持ち出して湯煎にかけていたのは、ボウルいっぱいのチョコレートだった。そこにはナッツやらヌガーやら何やら怪しいものがぽつりぽつりと浮かんでいる。それを香は一心不乱にかき混ぜていた。
見れば昨夜のまま脱ぎ散らかされていたコートの上に、昨日のチョコの包み紙が散乱していた。どうやらそれを一つ残らず一緒くたにして、同じボウルに溶かしてしまったのか、ゴ○ィバもチ□ルもごちゃ混ぜにして――傍らには巨大なハート型。
その匂いも相まって、俺の目にはボウルが魔女の大鍋に見えた。


  


「それで逃げ出してきちゃったの?」

鼻腔をくすぐる馥郁たるコーヒーの香り、もちろんブラックで。
うーん、俺にはやっぱりこっちの方が似つかわしい。

「あったりまえだろ、美樹ちゃん。あんな悪臭の巣窟の中じゃ
朝メシのトーストもチョコレート味になるっつーの」

そんなところに俺が我慢できるはずがない。
というわけでアパートを飛び出してCat'sに転がり込んだ、というわけだ。

「ありゃチョコレート好きでも拷問だぜ、あーんなでっかいチョコ渡されたら。
それもハート形」
「それは冴羽さんが悪いんですよ。よりにもよってバレンタインに午前様だなんて
香さんの恨みがたっぷり詰まったチョコレート送りつけられて当然ですよ!」

と、かすみちゃんが香の肩を持つ。
一族のところに帰る夢はどこへやら、最近じゃもっぱらあいつの味方だ。

「でも香さんが巨大チョコレートを作ったのも、やっぱり愛ゆえよねぇ」
「愛だって!?恨みつらみの間違いだろ?」

だが、目の前では昨日愛する夫に愛情のたっぷり詰まったチョコレートを贈ったであろう新妻がにっこり微笑んでいた・・・もしかしたら海坊主サイズのハート形かもしれない。

「香さんにとって冴羽さんのことがどうでもよかったら
朝帰りだろうが何だろうが腹を立てたりしないでしょ?
そんな判りやすい焼きもちを妬いてくれるってことは、愛されてるっていう証拠よ」

焼きもちねぇ・・・そんな香を微笑ましく思える自分が、正直意外でもあった。
昔も今も、この世のあまねく美しい女性たちに愛を注いでいた。その中にはステディなお付き合いをしたいと思った者もいないでもない。だが、ひとたび彼女たちが嫉妬の色を見せ始めると一気に気持ちが冷めていった。縛りつけられるようで。俺が誰と寝ようが、誰を愛そうが勝手だろう、と。
もちろんそれが愛情の裏返しだということは判っていた。けれども、あの頃の俺は一方的な愛情を注ぐばかりで愛されることには不器用だった。誰かに愛されるよりも自由気ままに愛を振りまいていたかった。
それが、今はこのザマだ。ナンパも新たな恋を探すためというより、半ば香の気を引く手段になっている。そして怒りの鉄槌が下るのをどこか期待しているのだ、それこそが彼女の不器用な愛情表現なのだから。
愛に見返りなどいらないと思っていた、鬱陶しいだけだと。だが今はその鬱陶しいほどの愛情が心地よかった。

きっと帰ったらそろそろあの巨大チョコレートが出来上がっている頃だろう。それは香の愛情の大きさ。ならば、心して臨まなければなるまい。たとえそれが押しつぶされてしまうほど大きな愛であっても。


実はCHの中でかなり早くから、昨年のバレンタインネタ以前に思いついた話です。
なんで誰もこんな話を書いてくれないのだろう、と【笑】
きっと彼女ならこれくらいのことはやりかねないでしょう。
でもこれって半分以上嫌がらせだよ・・・。

City Hunter