「お前のせいだぞ」
息切れを起こしかけながら相棒が言った。
「お前が美人の依頼となると見境なく引き受けるから
こんな山奥にまで来る羽目になったんだろうが」
「うるせぇな槇ちゃん、お前こそ一銭にもならない依頼ばっか引き受けやがって」
そう言い合いしているのは鬱蒼と生い茂る薮の中、ジャングルでもないのに蚊の大群がぶんぶんと押し寄せてくる。こうしゃべっているだけでも口の中に飛び込んできそうだ。
「そもそも親戚同士の骨肉の遺産争いなんて知ってれば
何がなんでも反対してたぞ。それを撩、お前が
事情も聞かずに安請け合いしやがって・・・
今日という今日はお前の女好きに心底呆れ果てた」
ああ、自分でも呆れてるさ。愛だの恋だの、そんなものは今まで俺が身を置いてきた環境からは最も程遠いものなのだからな。
いつ果てるとも知れない戦いの日々、そこではたとえ味方同士とはいえ、手を差し延べるなんてことはなかった。誰もがただ自分一人が生き延びるためだけで精一杯だった。優しさ、思いやり、そんなものは皆無だ。
女もいないわけではなかった。だが戦場の男と女の間にあったのは色恋の姿を借りた欲望だけでしかなかった。
今の俺もそう映るかもしれない。日毎街で上手くいかないナンパを繰り返し、美人の依頼とあらば一発を報酬にほいほいと引き受けていれば。
けれど、女をそんなように欲望の対象としてしか見ていないわけじゃない。一度仕事となれば常に考えているのは依頼人の幸福、そのためになら命を懸けるしお道化た真似もする。そして仕事が終われば綺麗さっぱり身を退く、俺のような男が彼女たちを幸福になどできるはずがないのだから。
そんな思いは踏みにじられ、依頼人に裏切られたことも一度や二度ではない。ナンパは相変わらず不発なままだ。
もしかしたら、ほとんど自己満足なのかもしれない。依頼人のためにと言いながらも、こんな今回みたいな、正直自分でも命を懸ける甲斐もないくだらない依頼に駆けずり回っているのも。まして一発の報酬のためだけではない。じゃあ、一体何のために――
「着いたぞ、撩」
ジャングルのような藪を抜けてたどり着いた先は小さな水場だった。
小川が流れているのか、暗闇の中かすかなせせらぎの音が聞こえる。
出発する頃には薄明かりが残っていたが、街灯すら無い山の中、周囲はすでに真っ暗だった。報酬とは別に「迷惑料がわりに」と依頼人からこの場所を教えられたのだ。都会では見られないようなものをお見せします、と。
「おい、見てみろよ・・・」
その暗闇の中空を槇村が指差した。
ああ、判ってるさ、夜目だったら俺の方がよっぽど利く。
相棒が指差す先には小さな光がふらふらと宙を漂っていた。
それは最初ほんの一点だけだったのが、次第に光の点が次々と茂みの中から浮かび上がっていった。そして瞬きながら思いおもいに群青の闇を背景にレモン色の軌跡を描いていた、まるで曲線を競い合うかのように。
「ホタル、か・・・」
確かにこれは東京では見られない光景だった。彼らが住める清流も、光を浮かび上がらせる闇も存在しないのだから。そのほのかな光は新宿のネオンの中ではかき消されてしまうだろう。
「なあ撩、なんでホタルが光ると思うか?」
槇村の真面目くさった口ぶりが記憶の中の声と重なった。
慈愛に満ちた、穏やかな声に
「着いたぞ、撩」
ジャングルを抜けてたどり着いた先は小さな水場だった。
密林を流れる川の支流なのだろう、小川が流れているのか、暗闇の中かすかなせせらぎが聞こえる。民家などは遥か彼方、戦場からも遠く離れた岸辺は暗闇と静寂に包まれていた。
「なあオヤジ、一体何が見えるっていうんだよ」
数十キロの行軍にも音を上げたことのない俺がほんの数キロの、しかし理由も知らされない遠出に息を切らしていた。こんなことでエネルギーを浪費するなら――政府軍に比べればレーションの栄養値なんてたかが知れている――キャンプで体力を温存しておいた方がよっぽどマシだ。まだ戦場の真っただ中には出たことはないが、明日も斥候の任務が待っている。そのために睡眠はとれるうちにとっておかねば。
「おい、見てみろ」
そんな不満たらたらの俺を横目にオヤジが暗闇の中を指差した。
その光景に息をのんだ。
ジャングルの闇の中、光の点が――今、俺たちが日本で見ているものより大きく、はっきりと――宙を飛びまわっていたのだ。
点はいつしか群れとなり、小さな水場を明るく照らす。光が生き物のように――実際、生き物なのだが――宙を舞う光景は、この世のものとは思えない幻想的なものだった。
「撩、これがホタルだ」
「ホタル・・・?」
そのとき、俺の手の中に小さな光が飛び込んだ。その正体は兵営のランプに飛び込むコガネムシに似た小さな虫で、尾の辺りをちかちかと点滅させていた。なぜか熱は感じなかった。
「日本にもいる?」
「ああ。こういうきれいな水辺にはたくさん飛びまわってるぞ、日本でも」
その幻想的な光景からジャングルの木陰も小川も消え、ただ暗闇とそこに瞬く光の群れが、小さい頃から何度も聞かされた、まだ見ぬ故国と重なった。
「なあ撩、なんでホタルが光ると思うか?」
すぐさま思い浮かんだのは――戦場しか知らない哀しさよ――モールス信号の点滅だった。
「誰かに合図を送ってるとか」
「惜しいな。じゃあ、誰に合図を送ってるんだ?」
「誰にって・・・仲間、じゃないのか?」
「正解はな、ホタルはこうやって愛を語り合ってるんだ」
アイをカタル・・・それは一気に別世界のことのように思えた。
もちろんそういう世界があるということは子供ながら俺だって知っていた。兵士のほとんどがヤリたい盛りの若者だ、彼らの会話を耳にはさめば多少なりとも知識は得られる。だが、それは俺には全く関係のないものだと思っていた。戦場しか知らず、おそらくそこで朽ちていくこの身にとっては。
「こうやって自由に空を飛べるのもほんの1週間程度だ。
羽化したあとは餌も取らずに、ただ水だけで生きていく。
そうして総てをただ運命の相手を見つけることだけに賭けているんだ。
一生に一度の相手を見つけることだけに」
その間に、手の中のホタルの光はだんだんと翳っていった。次第に点滅は弱々しくなるが、それでも誰かを呼ぶように、最期の力を振り絞って手のひらで瞬き続けていた。
「お前もいつか出会うかもしれないな、そんな一生に一度の恋人に」
ホタルの薄明かりの中、オヤジの横顔が嬉しそうに微笑んだ。
「んなわきゃないだろ。俺はオヤジみたいな立派な兵士になるんだ。
女なんかにかまってられるかよ」
――ああ、きっとそうなのだ。
俺もまた一匹のホタルに過ぎないと。いつか巡り会える運命の誰かのために、明日をも知れぬ命を賭けて愛を灯し続ける俺は。
「知ってるさ、ホタルはこうしてナンパしてるんだろ。
おじょ〜さ〜ん、ボクと一発いかがですか〜、ってな」
たとえ何度愛に裏切られても、この手を血で汚そうと――
誰かに愛される、誰かを愛する資格が自分にあるとは思えないのに。
「まるでお前そっくりだな、羽化してからは脇目も振らずに
交尾の相手を探し続けるんだから」
「そこまで言うことはないんでないの?人を本能しかないケダモノみたいに――」
そのとき、俺たちのもとにホタルが一匹飛び込んできた。
それは槇村が差し伸べた手の中に止まると、二人の周りをほのかに照らし出した。
「――香にも見せたかったな」
そう手のひらの光を見つめながら槇村がつぶやいたとき、俺の脳裏に浮かんだのはあのシュガーボーイの面影だった――あの子は今、一体どうしているだろうか。
血のつながらない兄貴とはうまくやっているのだろうか。そして、誰かいいヤツは見つかったのだろうか。確かにあの跳ねっ返りなうえに相当な訳ありのようなのだから、総てを打ち明けて心を開けられる相手というのは探すのは難しいかもしれない。だが、世界中のきっとどこかにいるはずだ。そんな、彼女の総てを大きく包み込めるような男が。俺にとっても理想のもっこりちゃんがどこかで待っているように。
「とか言っちゃって、ホントは『冴子をここに連れてくればイチコロ』
とか考えてたんじゃねぇの?」
「お前と一緒にするな!そりゃ冴子にも見せられるものなら見せたいが・・・」
その光が運命の相手に届いたヤツもいれば、まだ届かないヤツもいる。
それでもなお俺たちは命を燃やして誰かを愛し続けるだろう。
それは誰かに教えてもらったわけではない、理由なんてものもない。
生まれる前からそう運命づけられているのだから――
いつか誰かに巡り会える、その日まで。
昨夏の野外での初披露からTUBEファンの間で感動を巻き起こし、
とうとう今年シングルカットされた名曲『蛍』。
初めて聴いた時から撩のことを重ね合わせていました。
――今日に汚されながら 明日に傷つきながら
それでもナンパをやめない愛を探し続ける撩。
それもこれもきっと、いつか運命の相手に出会うため――。
昨年『定点観測』にもupしましたが、こうして今年決定版が出せて良かったです。
ちなみに、中米にホタルがいるかは確認しておりません【爆】
伝え聞いたところによる東南アジアあたりのホタルのイメージで。
参考サイト:Yahoo!ホタル特集
City Hunter
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