彼だけの
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「んーっ、次」 原宿・表参道、ブティック・エリ・キタハラ本店の、いわばVIPルームともいうべき一室で今年の春の新作を着飾ったショップスタッフ――店員とはいえ、お客様の最も近くでエリ・キタハラのファッションを見せるのだ。ショーモデルと役割は変わらないし、それと同等のスタイルが求められる――をとっかえひっかえしてるのは、高いスーツにロレックスのエグゼクティヴなんかではなくて・・・いつものように薄汚れたよれよれのコートと、洗濯を重ねて色あせた赤のTシャツの、親友の恋人。 「でもわたしに任せてくれれば完璧なコーディネートしてあげられるのに」 女の意見をこうやって黙らせるのは男の悪いくせ。冴羽さんもそんな男の類に漏れないらしい。だが、 「だけどさ・・・それって香の一側面に過ぎないんじゃないかな。 そう、私の親友は「女らしい」とか「男っぽい」なんていう簡単な言葉でくくれないような、多面的な魅力を持っている。ショートヘアと長身の外見、シティーハンターのパートナーとして危険な仕事にも立ち向かい、ときには彼に制裁のハンマーを下す姿からは想像できないかもしれないけど、ああ見えて家庭的だし結構控えめで、我慢強くて芯の強い、どこか古風な女性を思わせるところがある。 思えば、昔から私のデザインのモデルはいつも香だった。 とはいえ、今年の春物はもう総て見せつくしてしまった。その中で冴羽さんが首を縦に振ったのは一つもない。だったら、あとはコーディネートの腕の見せ所。 前身ごろにシャーリングの入ったカットソー――ドレープづかいはエリ・キタハラの十八番だ――にマーメイドラインのスカート。トップスは光沢のある素材を使い、それがドレープの美しさをより際立たせている。だが、 「ボツ。そんなひらひらしたスカートじゃいざっていうとき動きづらい。 確かに――冴羽さんたちの危険な日常は、その片鱗だけでも知っている。現に私も巻き込まれたことがあるし、だからこそ彼の言葉には説得力がある。 襟元に細かいプリーツの入ったフェミニンなオフホワイトのブラウスには、正面にぴしっと折り目のきいた紺のクロップトパンツと合わせてみる。こういう丈の短いパンツは快活な彼女には似合うし、ブラウスの袖は透ける素材の、緩やかなパフスリーブになっていて、香の普段は表に出ない可愛らしさを十二分に引き出してくれるはずだ。だが、 「だめ、却下」 「そう?いい組み合わせだと思うけど。 そうだ、香はいつも自分のことより相手のことばかり気を遣う子だった。相手に喜んでもらう、笑顔になってもらうためなら自分の意志などいくらでも曲げられる。それは昔から変わらなかったのに――。 「たとえ似合ってても好みに合わなきゃ着たくはないさ。 そう言う冴羽さんの頬が少し赤らんで見えたのは気のせいだろうか。 「――判ったわ。ミカちゃん、アトリエからアレ持ってきて」 「ところで、どういう風の吹きまわし? どうせアトリエの奥にしまいこんであるブツを取ってくるまで時間がかかる。その間にここに至るまでの経緯を冴羽さんからじっくり聞くのも悪くはない。 「たまには二人っきりでどこか雰囲気のいい店にでも行こうっていうのに、 あら、私の知らない間にずいぶんいい展開になってるじゃないの。 「あの鈍感、ほっといたらいつまでたっても俺の気持ちに気づきそうもないから 確かに香の性格は恋愛向きじゃないものね。あれから少しは変わったかと思ったら、高校生のときと全く進歩が無いんだもの。だから、ロマンティックなムードに持ち込んで口説き落とそうというわけか。いわばあの日のデートの再現、またはリベンジといきたいところなんでしょうけど―― 「それは冴羽さんが100%悪いわね。 まるで狼少年だ。いつも心にもないことばかり言っていたから、いざ本心を打ち明けようとしても信じてもらえるわけがないじゃない。 「じゃあ、なおさら香にふさわしい服を選んであげなきゃいけないわね。 でも、恋人が愛する女性のために、最も彼女らしい服を選ぶ、これって最高のプレゼントじゃない。これで香がこの服に込めた冴羽さんの想いに気づかないようなら、手の施しようのない鈍感と言わなければならないだろう、我が親友ながら。もちろん、そのプレゼントが本当に香に似合うことが大前提だけど。 そのとき、何着もの服を抱えてミカちゃんが降りてきた。 試着室から彼女が出てきたとき、私も――そして冴羽さんも、一瞬息をのんだ。 「どう、冴羽さん?」 これにははっきり言って自信があった。 「これはこれで・・・ちょっと派手すぎるんじゃないか?」 あら、ご馳走さま。そのセリフ、そっくりそのまま本人に聞かせてやりたいものだわ。しかし、 「買っても負けても着る人間とケンカするような服じゃ引き立て役にならないだろ」 それはそうだった。 「じゃあ先生、一体どれだったら――」 傍らのアシスタントが心配そうに覗きこむ。目の前に広げられた試作品の中から選び出したのは――何の飾り気のない、シンプルな白のドレスだった。 「冴羽さん、これなら――」 返事は無かった。ただ真っ白なドレスを瞳に焼きつけるように――頭の中ではこれを身にまとった香を思い浮かべているのだろう――じっと目を凝らしていた。 「一応、コートドレスになっていて、ボタンを全部外せばスプリングコートにもなるのよ。もちろん、これだけで着てもいいし、この下に他のドレス――たとえばさっきみたいなプリントのものとかも合わせてもいいわよね。こういう着回しがきくのって、香のことだもの、きっと気に入ると思うんだけど」 まるで出来の悪い店員のように必死で言葉をつなぐ。いや、私の言いたいことはそんなことじゃなくて、いかにこのドレスが香にふさわしいか――。 「白だと汚れが目立つって香がうるさいだろーな」 そんなたわいもないことをぼそっと冴羽さんがつぶやく。だが、その眼は真剣だった。 「でもさ、だからこそ俺が買ってやらないと一生着ないだろうな、こんな服」 アシスタントが顔をほころばす。しかし、次の瞬間、 「ですが先生・・・」 そうだ、実はこれもまた試作品だから値札は付いていない。 「いいわ、冴羽さん。あなたがこれにふさわしいと思う値段を払ってくれれば」 今すぐ払えと言うつもりもない。冴羽商事が常時火の車だということは私だって知っている。だから払ってもらえるときに払ってもらえればそれでいいのだ。それで、親友の幸福に一歩でも近づけるのなら。 高級ブティックに似合わないよれよれのコート男は、エリ・キタハラのロゴ入りショッピングバックを片手に悠々と店を出て行った。手元に残った領収書の控えには「もっこりのツケ帳消し!」の文字が・・・まぁ、彼にしてみれば結構奮発したのかもしれないが。 「さあミカちゃん、私たちにもやらなきゃいけないことができたわよ」 「このコートドレスを商品化するのよ!来年の春夏―― きっと香は真っ白なドレスを彼女自身の色で染めてくれるだろう。だからこそ、現金なものだが、他の人がどう自分の色に染めるかが見たくなったのだ。 「多色展開にすれば着る人を選ばないと思うわ。 同じようなドレスを着て街を歩く女性たちを見て、香は、そして冴羽さんはどう思うだろうか?意地悪なようだが楽しみなことでもあった。
プレゼントって、あげて喜ばれるのもうれしいですが よかったねカオリン、こんな撩の愛情のこもったプレゼントが貰えて。 Happy Birthday, 香!
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