変わりゆくもの、変わらない想い

「香さん、お誕生日おめでとう」

Cat'sに入ってくるなり美樹さんにそう言われた。

「そんな、いいのよ。もう誕生日がありがたい歳じゃないんだし」
「でも今日は冴羽さんとデートなんでしょ、一流ホテルのレストランでディナー」

そしてその後は最上階の夜景の見えるバーで二人グラスを傾けあう。そんな柄にもないことが3月31日の定番になってもうどれくらい経つだろうか。

最初はそのホテルから受けた依頼だった。依頼人が美女じゃないと不満たらたらの撩の尻を思い切りひっぱたいて無事トラブルは解決できたが、たまたまあたしの誕生日がもうすぐだったということで、成功報酬とは別にその当日、フレンチのフルコースと雰囲気のいいバーでのひとときというプレゼントを貰ったのだ。もちろん撩からのサプライズだった。

窓辺の席は夜景が二人占めという感じで、テーブルには「記念日のお客様に」とバラが一輪。もちろん料理はおいしかったし、その後のバーは景色もカクテルも綺麗だった。でもまさか生演奏で『Happy Birthday』を歌ってもらえるとは思ってなかったけど。そして撩もいつもとは考えられないくらい優しくて――まるで依頼人の美女に接するときのように。
そんな恋人同士のような――もちろん恋人同士なんだけど――ロマンティックな誕生日にすっかり感激してしまったから、次の年の誕生日も、という風になってしまった。もともと撩に毎年手を変え品を変え、というマメなことは求めていないし、むしろ毎年同じように二人で誕生日を迎えられる、それだけで充分なのだから。

「でもそれってマンネリじゃない?
こういうのはやっぱり常に新しい刺激を求めないとねぇ」
「ちょっと、麗香さん」

確かに、彼女の言うとおりかもしれない。たとえそれが素敵な記念日だったからとはいえ、同じようなことが毎年続くのであればその感動は薄れていってしまうだろう。そしてそのうちにお座成りのルーティンワークになってしまうとも限らない。心のこもっていない単なる儀式に。

「ところで今日は、冴羽さんは?」
「ちょっと依頼が入っててね、『何とか今日中にケリつける』って言ってたけど」
「そうね、仕事片付けて素敵な誕生日になるといいわね」

そして美樹さんや麗香さんと、どこそこに新しいお店ができた、あそこのイタリアンは美味しいらしい、なんて話をして、

「じゃあ伝言板見に行かなきゃならないから」

とお店を出た。思えばCat'sから新宿駅までの通りも、変わらないようであちこち店が入れ替わっていた。中にはあたしが知ってるだけで3回も変わった店もある。伝言板には相変わらず依頼はなかったが、

――そういえば伝言、減ったよね・・・。

携帯電話が広まってから、ここに伝言を残す人はめっきり少なくなってしまった。ほとんどあたしたちの依頼用にあるようなもの。

「そういえばMyCityも名前変わっちゃったもんね」

あたしが撩と暮らし始めてからすでに一度、看板のロゴが変わっていた。
この街も時代の波には抗えない。総てが移り変わっていく中、あたしたちだけが変わらないものにしがみつき続けることに意味があるのだろうか――。

やめやめ、帰って支度しなければ。撩が帰ってくる前に。

ワードローブの一番奥から取り出したのは黒のドレス。シルバーのラメの入ったそれはもちろん絵梨子から貰ったものだけど、一体いつ貰ったものだろうか。あまり流行り廃りのないシンプルなデザインだから、随分長いこと着ているような気がする。特に、誕生日には毎年のように着ているんじゃないだろうか。

数少ないアクセサリーを総て並べた中から選んだのは、大粒のキュービックジルコニアのイヤリング。模造ダイヤとはいえこれだけ大きいものだと結構な値段らしいのだけど、やはり絵梨子に貰ったものだからその辺は判らない。
このドレスにはついついこれを合わせてしまう。

口紅はダークな照明に映える深みのあるワインレッド。毎年春の新色を買おうと思いつつ、慌しかったり経済的理由で毎年忘れてしまう。

バッグも靴も、結局昨年と同じもの。だけどむしろそれが嬉しいのだ。また今年もこのドレスが着られる、撩と一緒にこの日を祝うことができるのだから。

「そうだ、撩のも出してやらなくちゃね」

あいつの場合はもっとシンプルだ。文字通り一張羅の黒のスーツに、ネクタイは「堅っ苦しいから」と着けないで。いつもはラフな、というよりよれよれに近い格好なくせに、たまにこういうのを着ると見惚れてしまうくらい様になってしまう。
スーツの埃を払い、撩の部屋に掛けておくとあたしもドレスを身につけた。いつ帰ってくるか判らないけど、「なるべく早く」と言っていた。それに予約の時間もある。いつ撩が帰ってきてもすぐ出かけられるように準備は万端にしておかなくては。

あ、そうそう。マニキュアもしておこうかしら。鏡の前に並んだ色とりどりの小瓶から一つを選び出す。昨年は、そして一昨年もシルバーのスパンコールのバッグに合わせた銀色のをつけていたんだけれど、

――こういうのはやっぱり常に新しい刺激を求めないとねぇ――

麗香さんの言葉がふと頭をよぎる。手を伸ばしたのはガーネット色。たしか昨年の秋頃に買った新しいもの、これならルージュの色にも合いそうだ。
はやる気持ちを抑えつつ、慎重に爪に色を置いていく。それが乾くまでの間、「早く撩が帰って来い」という想いと「マニキュアが乾くまでは帰ってきませんように」との気持ちが葛藤していた。

でも、マニキュアが乾いても撩は帰ってこなかった。昼間がだいぶ長くなったとはいえ、外はすでに闇に包まれていた。まだそんな時間じゃないはずなのに。

「あ、雨・・・」

厚い雨雲が夕日の残照を遮っていた。――まるであの日と同じ。ドレスが皺になるのもかまわずにソファに寝転んだ。

あの日もいつもと同じ誕生日が来るはずだった。なのにその『いつも』は脆くも崩れ去った。昨年と同じドレスを身にまとい、昨年と同じ店を予約していても、いつもと同じ誕生日が祝えるとは限らないのだ、あたしたちは。新しい刺激なんてものよりも、いつもと同じ幸せを感謝すべきなのに――
深紅の爪がまるで血の色のように思えた。撩の血の色に。

それからどれだけソファでうずくまっていたことだろう。
いつの間にか静かにアパートを叩く雨の音も消えていた。そして聞こえてきたのは、小さいくせにドカドカとやかましい排気音。聞きなれたその音にバネのように飛び起きた。

「撩っ!」

ベランダに飛び出せばその下には真っ赤なクーパーと、多少埃っぽい撩の姿。

「悪い、遅くなって。一人で片をつけるつもりが少々相手を甘く見てた」

左手のドレスウォッチを確かめる。レストランどころか、バーでもラストオーダーの時間は過ぎていた。でもかまわなかった、いつもと違っても。また今年も撩と一緒にこの日を祝える、それだけで幸せなんだから。

「香、俺の支度はできてるよな?」
「えっ、うん・・・」

でも・・・

「さっき携帯から連絡入れといた。
『レストランもバーも一席のみ、営業を続けております』ってさ」

その前にシャワーを浴びさせてくれと、撩はクーパーを前に停めたまま小走りでアパートに駆け込んだ。一方のあたしはというと、化粧はもう崩れていることだろう。マスカラなんて涙でボロボロだろうから。

「でもあんまりゆっくり支度してる余裕は無いわよ。
その前に31日が終わっちゃうんだから」

そう言って脱衣所に新しいバスタオルを用意する。

また今年も撩と夢のような夜を過ごせることを、
そしてまた一年間撩を愛せたことをあたしは心から感謝した。


香の誕生日といえば、100%心からお祝いできる日というわけじゃないんですが、
でもそこのところは当サイトではかなり曖昧になっております【苦笑】
ということで香ちゃん、(原作設定では)

42歳のお誕生日おめでとう!

いや、まだまだイケるって!

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