誰のせいでもない

俺たちは守るべきもののために戦っていた、はずだった。

この国の富と権力を牛耳る者たちを挫き、それらを虐げられた貧しい人々の手に取り戻させるために俺たちは立ち上がった。そのためには多少の犠牲はやむを得ない。強欲な彼らは刃向う者を力で抑えつけ、罪もない人々を捕らえ、痛めつけ、皆殺しにするのだ。何の力もない俺たちは手段を選んでなどいられなかった。
政府軍、民兵、国外からの傭兵、みな完膚なきまでに叩きのめした。
たとえ非戦闘員であろうと、独裁者の犬である以上は容赦はなかった。
それも総てこの国に再び正義をもたらすため、そのためならどんな非道も許されると固く信じ込まされてきた。

だが、幻想は無残にも消え去った、血の雨が降るジャングルの中で。
自分たちがやってきたことは単なる殺戮にすぎないと思い知らされた。
密林の下草の間に埋ずもれるように転がる骸、それらはみな人間の手に掛かったとは思えないほど見るもおぞましい姿になりはてていた。これをたった一人で
・・・俺が?
悪魔の薬――幻覚剤が切れた途端、それまでの妄信も嘘のように醒めていった。俺たちもまた残忍な兵士たちと同じ、守るべきものをこの手で壊してしまったのだ。
総てが足元から音を立てて崩れていった。いったい俺は何のために戦っていたんだ?大義を信じればこそ、銃爪を引けた、人も殺せた。だがそれがまやかしだったとしたら・・・?俺はこれから、何のために生きていけばいいのだろうか?

あの日から俺は青空に背を向けた。
何かを信じることをやめた。守るべきものすら見失っていた。
目に見えない、触れることのできないものは縁(よすが)にするには余りにも不確かすぎた。銃を執るのは幾許かの端金と、それと引き換えに得られる束の間の快楽のため――酒、女、そしてドラッグ。たとえこの身が蝕まれようと僅かばかりの慰めに耽溺した。犯した罪を忘れさせてくれるのなら未来など要らなかった。
余りにも純真すぎた、疑うことを知らなかったがために奪ってしまった多くの命、数知れない未来。それらが夜ごと俺を苛むのだ。
そこから逃れたかった。たとえ一瞬でも天国を夢見たかった。
だが、見せられるのは地獄の光景、俺自身の罪の残像。
目の前には屍の山、口から飛び出しそうになる己の心臓、肺を握り潰されたかのような息苦しさ。典型的なバッドトリップ。

いったいどこをどう彷徨い歩いたのだろうか。
薄汚い街の、下水と吐瀉物の悪臭漂う路地裏に崩れ落ちながら、俺は星の無い夜空を見上げていた。コウナッタノハ、イッタイダレノセイダ――
ダレノセイデモナイ、オレジシンノセイ・・・

「――ょう、撩!」
「ぁあ?」

そこは小汚い路地裏ではなかった。
清潔な、日の光の差すリビングのソファの上。いつの間にか眠りこけていたのだろうか、そしてあの頃の夢を――香に出会う前、まだアメリカにいた頃だろう。
その当時は酷かった。アルコールと女は未だに止められないが、それに加えてヤバい薬にまで手を出して、だがエンジェルダストの後遺症なのか気持ちよくはなれずにバッドトリップばかり。結局、深入りする前に足を洗った。
その後日本に渡り、こいつのアニキに半ば強制的に更生させられて、こいつと暮らし始めて今に至るというわけだが、その10年以上の時間の流れを一気に飛び越えてしまったかのようで、目の前の光景に現実感が持てなかった。
整理の行き届いた部屋、真昼の陽光、そして柔らかなぬくもり。
あの頃の俺にはありえなかったもの。

「どうかしたの?うなされてたみたいだけど――」

寝汗に貼りついた前髪に伸ばした手を、思わず振り払った。断りなしに身体に触れられるのは不快だったはずだ。

払われた手を引っ込める。香の眼は未だ何が起きたのか理解できないようだった。それでもその真意を探ろうとするかのように、大きく見開いた眼をこちらに向けていた。だが、お前に俺が判るのか?
本当の俺は、お前に見せている姿が総てではないのに。

「りょおッ!」

この場から、香と同じ空間から一刻も早く逃げ出したかった。
今まで生死を共にしてきた、最も自分の信頼できる相棒。その彼女すらまるで違う世界の人間のように思えて。呆然と立ち尽くす香の横をすり抜けて、そのまま俺はアパートを飛び出した。太陽は僅かに傾き始めていた。

あれから俺は夜の街を当てもなく漂い歩き、浴びるように酒を飲んだ。
こんな飲み方をしたのはいつ以来だろうか――日夜、幻影に脅かされていた頃か。過去の過ちから逃れようと享楽と退廃に溺れ、落ちるところまで落魄れた――だが、そんな自分に酔っていなかったか?
罪人だ悪魔だと己を責め、束の間の恍惚のためだけに我が身を苛みながら、純粋ゆえに過ちを犯した自分自身を世界の不幸の哀れな犠牲者と憐れんではいなかっただろうか?そう、結局は破滅を気どって悲劇の主人公を演じていただけだ。
自己軽蔑は甘い毒。痛みに酔いしれ、自らを甘やかしている限り目の前の現実から眼を背けていられる。だが、そうやって過去に浸り続けていれば、このままどん底で蹲ったままだ。ここから抜け出せず、未来すら見ようとせず――
そんな惨めな負け犬になりおおせてしまったのは一体誰のせいだ?
他の誰のせいでもない、俺自身のせいなのだから――。

「――撩、こんなところにいた」

香が赤く腫れた眼で俺の目を覗き込んでいた。
俺は飲み潰れて泥酔した挙句、うらぶれた路地裏に倒れ込んでいた。あの頃のような、ゴミと汚辱にまみれた路地裏に。

「もぉ、心配したんだから」

あちこち探し回ったんだろう、上がった息の絶え間にそう言った。
そして目には今にも溢れそうなほどに湛えられた涙。これはハンマーの一発ぐらい覚悟していたが、俺に与えられたのは――柔らかな衝撃と痛いくらいの抱擁。

「お願いだから、もうそんなに自分で自分を傷つけないで。
悪いのは撩でも、他の誰かでもないの。誰のせいでもないんだから」

――ああ、判ってたのだ、香は。俺が絶えず自分を責め続けてきたことを。
毎晩のように飲み歩いてだらしなく酔い潰れては、癒えることのない痛みにもがいていたことを。だがそれも、香の涙交じりの言葉と、この腕の中の体温に嘘のように消えていった。華奢な背中にそっと両腕を回す。俺を過去へと縛りつけ、引き留め続けた枷はもう無い――これで、前だけを向いて生きていける。

ようやく、守るべきたった一つのものをまた見つけられたような気がした。


10,000hit御礼リクエスト大会の第一弾(出来たもん順)として
同じくTUBEファンでもある同志・輝海さまから
TUBEの『誰のせいでもない』を頂きました。
この曲はいわゆる「前向きなメロディ×切ない歌詞
=店主の好きな“健気系”ナンバー」であり
また個人的な思い入れが強く、共感するところも大なので
それを形にする上で、自分で自分に対して凄くプレッシャーがありました。
出来としては・・・やっぱり原曲を聴いてください。とてもいい曲ですから【苦笑】
ただ、このタイトルの本当の意味としては、前田さん曰く
「過去に捉われたままなのは、他の誰のせいでもない=自分の責任だ」
なのだそうですが、それだとあまりにも撩にとって辛すぎるので
店主自身の感じた意味、「誰のせいでも、もちろん自分のせいでもない」
というようにとりました。
・・・誤読の自由というのは保障されていいはず。

それでは輝海さま、こんなんでよろしかったでしょうか?
これからもHard-Luck Cafeをどうぞご贔屓にm(_ _)m


City Hunter